「人生は楽しむためにある」を採用!
わたしは、子供のころから、周囲の一般的な人たちと関わることがとても辛くて、苦痛を感じていました
周りの友達がおしゃべりしている内容(歌手、ドラマ、悪口など)に興味がもてなくて、どこか自分だけ浮いている感じでした
無理して、そんな仲間たちに入って会話に交わろうとしても、自分の中で違和感が募るばかりで、結局は、自分だけの世界にいることを好むようになりました
表面的な人との付き合いは、得意分野なのですが、深く深く人との関わることがどうしても出来なくて、、、悩むことが多々ありましたが、悩み疲れて、結局はひとりで考えて、決めて、行動するというスタイルが確立していきました
人生は修行だ、人生は魂を磨くものだ、長女だから我慢すべき…そんなことを成長する過程で教え込まれてきましたが、他人や社会にあわせて「いい子」でいることが、自分を苦しめていました。
愚痴や不平不満よりも、物事のいい所を見つけて感謝しましょう
心から思っていないのに、「ありがとう」と何度も呪文のように言ってみたり…
しかし、そんな無理やりなことをすることで、発散されずにいた黒いものがどんどん蓄積されて、身体も心も重たくなってきたのです。
前置きが長くなりましたが、ある時ふと、気付いたのです
わたしってもともと「完全な存在」であったことを…
だから人生の修行しないと、人間的に成長しないのではなく、もともと完全であることを認めちゃって、思い出すだけでいいんだと思うようになったのです。
そちらに気持ちを切り替えることで、明らかに人生が好転していったのです
「人生は修行」を採用していた時は、自分を苦しめていた我慢がより強化されたいたので、それを自分で不採用にして、自分自身を大切にしようと決めたのです。
できるだけ嫌なことはやめて、好きなことをするようになりました。
旅行や美味しいものの食べ歩き、カフェ巡りなど、出来る範囲で実行していったのです。
我慢をやめることで、毎日が少しずつラクに楽しくなっていきました。
旅行も年に3回以上は行きすぎ、美味しいものの食べ歩きも身体に悪い、甘いものの摂り過ぎも体によくないと思い込んでいたので、罪悪感が増すばかりでした。
でも、それらを払拭することで、自然に自分の良さも出てくるようになり、自分のことが素晴らしいと感じられるようにもなりました。
努力して、がんばっても手に入らなかった才能は、もともと自分に備わっていたのです。
今わたしは、「人生は楽しむためにある」を採用して、我慢していた頃より
格段に幸せになりましたし、よくわからないけど、物事がスムーズに運ばれるようになりました。
もともと完全で完璧な自分だから、我慢して、努力して、頑張る必要はないのだと知りました。
そう、自分を生きるのが一番幸せなことなのです
成功する、成長することを目的にするのも間違いではありませんが、それがなくても、幸せで楽しい人生であれば、それでOKだと思っています。
社会の中で身に付けてきた、本来の自分じゃないものを脱ぎ捨てていくこと、それこそが成長と言えるのかもしれませんね。
私の人生の中で、かなり遠回りして、これに気づけたことは決して無駄だとは思っていません、それよりも大きな愛のギフトかなと…
自分以外の何かになる必要もないし、必要なものはすでに持っているし、これから幸せに、豊かになるのではなく、すでに幸せは今ここにあるのです。
今までの勘違いゲームは、このままで完璧だ、完全だということに気づかせるためのものだったのでしょうね。
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