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食べることがずっと苦痛だった話

わりと僕の世代には多いかもしれないが、僕は最近までずっと食べることが苦痛だった。

その理由は、小学生の頃にまで遡る。僕は小学3年生から高校まで野球をやっていたのだが、自分が太れない体質であった為、常に「もっと太れ!そんな体じゃ打てないぞ!」とか、「そんな量しか食べないから太れないんじゃない?」などという言葉を浴びせられてきた。

何故ゆえ太らなければいけないのかを考えずに、右に習えでひたすら量を食べ、ジムにも通って筋トレをし、プロテインをガブ飲みしていた日々のせいで、いつの間にか食べる事は僕にとって苦痛になり、苦労やトレーニングのようなイメージとなった。

で、結局僕は太れなかったのだが、食に関しては昔から違和感だらけだ。

何で朝昼晩食べなければいけないのか、何故食べ物を残しちゃダメなのか、何で皆んなと同じモノを同じ時間に食べなければいけないのか、何で好きなものだけ食べちゃダメなのか、これらの理由を科学的根拠を示しながら論理的に説明してくれたら僕も納得して食べてきただろうが、そこにある根拠は道徳や倫理的、宗教的なものばかりで、科学的根拠は無かった。

それに加えて、野球をしているのだから沢山食べて太れ!と言われるものだから、食べる事は苦痛以外の何者でもない。

ちなみにアレルギーもあり、好き嫌いが激しかったので、学校の給食や正月などに祖父母の家で食べるおせち料理などは、スーパー不味くて、とても食えるモノじゃなかった。

この通り、食についてはネガティヴな意見しか出てこないのだが、状況が変わったのは一人暮らしを始めてから。
低血圧な僕にとって地獄でしかない朝ご飯は一切食べないようになったし、自炊をすると栄養が偏り、食費が高くつく為、毎日外食をしているのだが、東京は安く食べられる為、色んなレストランに行くようになった。そこで気に入ったレストランや定食屋に毎日通い、気に入った同じメニューをいつも注文して、美味しいなぁ…と思いながら食べている。

こういう自由な食生活になってから、食べる事は苦痛でなくなったし、少しだけ楽しみになったし、少しだけ料理をしたくなってきたほど。

つまり、好きなモノを好きな時間に好きなだけ食べるようにしただけで、生きている間は不可避である食の時間を幸せな時間に出来たということだ。
それまではストレスのかかる時間だったので、人生トータルで見ると、これは極めて重要な事だと思う。

最近はやたら、レシピを教えるメディアや料理教室などが多いが、食育はホントは、自由に好きなモノを好きな時間に好きなだけ食べていいよ!ってどなたか影響力のある方が言えばそれで済むのではないかな…。


故郷の母と父に、何か買って送ってあげたいと思います。