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謎の鍵は、きっとどこかに隠されている

今日はハンター試験を受けてきました。見事に不合格でした。流石、超難関と言われるだけあるな、という感じでした。あ、ハンター試験というのは脱出ゲームのお話です。

謎解きや脱出モノはネタバレ厳禁をキツく言い聞かされるので、内容についてのお話はしません。いつ口が滑ってしまうともわかりませんので。ただ、難しかったとだけ言っておきましょう。

まぁ見事に惨敗でして、大事な局面で全く役に立てぬまま過ぎ去った試験だったのですが、謎解きイベントはやっぱり面白いなー、と感じました。良い意味で頭に負荷を与えることで生まれる心的疲労感とか、ぎゅーっと使い込んだ脳が徐々にほぐれていく感覚とか、うまく構成されていて癖になってしまいます。

何がこれほど人を熱狂させるんだろう、と考えてみたのですが、課題設定の巧みさ、が一つの要員としてあるような気がしています。もちろん、世界観の作り込みによる非日常感や、時間制限というスリルも大切ですが、謎解きにおいて「課題設定」は最重要課題です。

簡単に溶けてしまっては面白くない。かといって難しすぎて解けないのでは意味がない。脳が喜びを感じる程度の負荷をかけうる課題設定というのは、難易のほどよきラインをたどる極めて狭い範囲に存在していて、仮に自身で課題を設定しようとしたときに、その絶対領域を見いだすのは非常に難しいように感じます。

しかも、ことSCRAP主催の謎解きでいうと、一度つかったアイテムやギミックを再利用するといったネタもあるため、油断する隙もなかったりする。何回な問いを前にして、どこに解決の糸口が隠れているか分からない状況は絶対猟奇にほど近く、脳に多大なる刺激を及ぼすことを今日実感しました。

でもそれって、謎解きに限ったことではないぞというのが今日の本題です。

例えば、「生きるとは」みたいな漠たる疑問を抱いていたとしましょう。働くとは、学ぶとは、とかなんでも良いですが。人生は疑問や問いの連続で、人は何にも疑問を抱かずに居る状態というのは、基本的にありえないと僕は考えています。

その問いの中には、こんなもん解けないよと言いたくなるような不可解で理不尽なものもあったりして、「生きるとは」といった漠たる疑問も同じ類に扱われるかもしれません。

しかし同時に、謎があるから人生は楽しいんだぞ、と僕は思っています。なぜなら、人生のどこに謎を解くための鍵が転がっているか分からない状態だからです。まさに、脱出ゲーム状態です。

一つ異なるのは、脱出ゲームは作られた問いに作られた鍵が隠されて居るのに対して、人生は問いも鍵も自ら見いださなければ活けないという点です。でも、それって心底ワクワクしませんかね。

この世界に溢れる全ての物事が、自分次第で生きる意味になり得るというこの状況は、あまりに幸福だと感じた1日でした。

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