見出し画像

「あなた」の影が濃くなるように。

毎日noteを書いていると、「あー、今日はどうしよっかなー。」とネタを考え込んでしまうことがあります。書きたいことはあっても言語化しきれなかったり、書きたい気持ちは山々だけどこの場にはふさわしくないかな、と取り下げてしまったり。誰に強制されている訳でもないですが、毎日更新を一つの目標としている以上、日々ある程度の切迫感を持つことは仕方ないかな、と思っています。

書きたいこと、すなわち「思い」と「言葉」がバチっときまる瞬間もあって、そんな時はやはり気持ちの良い汗を書いたような心地よさを抱きます。それでは一体、決まるときと決まらないときとの違いは何だろうかと考えてみると、「あなたの影の密度」が関係しているんじゃないかと。

「あなた」というのは特定の誰かをさしている訳ではありません。言葉を紡にあたって、思いをぶつけようとする対象のこと。すなわち、今この言葉を誰に向かって、誰に読んで欲しいと思っているか、を高密度に思い描けているときというのは、必然的に言葉の密度も高まっているように感じています。

あまり健康的な思考ではありませんが、「あいつ、ムカつく〜!!」と感情的になっているほうが、漫然と文章を書くよりよっぽど具体的で、質の高いものが生まれる可能性があることだってあります。

特定の誰かに向かってぶつけた言葉は、それ以外の人物には刺さらないのではと思ってしまいますが、むしろその逆。言葉は具体的であればあるほど、刺さる深度も領域も、広がっていくような可能性を感じています。

毎日noteで日記を公開しようとするような僕ですから、やっぱり根本は自分大好きです。ものを作って世の中に出そうとか、自らの血が通ったものを世の中に出そうとするような人は、大抵自分大好きです。要するに、人間みんな自分が大好きです。

自己顕示が強くなればなるほど、「わたし」の影が濃くなればなるほど、「あなた」の影は薄くなっていってしまう。するとどんどん、世の中からは遠くなってしまって、独りよがりになってしまう。それってなんか勿体無いですよね。

今や、自身の欲動の赴くままに自己表現が可能な世の中となってきました。なので、表現したいと思うことがあるならば誰しも、恐れることなく前進すべき。表現というスタートをきれたのならその次のステップで、その表現が世の中のどの部分において価値を持ちうるのか、「あなた」の影が濃くなるように深く深く考えていけばいいんじゃないのでしょうか。

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

サポートいただく度に、声をあげて喜びます。