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83/* 何を語るかよりも、どう語るか

唐突だが、僕は演説といったものにすごく向いていない。滑舌も悪いし、何より話し方がなっていないから。そんな僕でも、演説的な喋り方を習得したいなーと思った時期があって、僕の記憶にあって、記録に残っている演説音声を聴き漁っていたころがあった。

キング牧師をはじめとする活動家、どこかの大統領とか、スティーブ・ジョブスなどの実業家(TEDはよくみてた気がする)、映画『カイジ』にて香川照之演じる利根川の激烈なスピーチまで、音声を聴き、時に真似をして、人の心を動かす喋り方、について学んでいた。

そんな経験をふと思い出して感じたのは、人の心を動かすのは言葉の力だけではないということ。しばし上にあげたような人々のことを語るときに、「名言」という言葉にフォーカスした切り口が多く使われるが、それが名言たり得たのは、彼らが人の心を動かす語りをしたからだろうと思う。「語り」には、口調、人柄、背景、など言葉以外の様々な要因が詰まっている。言葉だけでは達成し得ないことですら、一流の語りにかかれば、人々の心を動かす歴史になる。

でも、言葉を習得しようとする人はいても、意図をもって、語りを学ぼうとする人は少ないんではないか、と考えた。まるで生まれつき変わりようのないものであるように、鍛錬を諦めてしまっている人が多すぎる。今の自分の語りは必ず何かしらの要因を経て備わったものだ。だとすると、それを変えるだけの要因や努力をもってすれば、目指す語りを習得することだってできるはずなのだ。

様々なひとと話をするにつれ、何を語るかよりもまず、どう語るかが大切だなあと実感してきた。どれだけ立派なことを言っていても、語りが疎かな人には説得力がない。ましてや同じ言葉でも語る人が違えば、凶器にも優しさにもなりうる、という可能性を、理解していない人がいるんじゃないかな。

何度か日記に書いているように、「伝える」ということは本当に難しいことで、努力なしに実現できるものではない。「語り」という側面でそれを考えた時、いろいろなことがしっくりきたので残しておく。

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