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35/* 世界は手のひらより大きい

大学生の頃、養老孟司と宮崎駿の『虫眼とアニ眼』を読んだ。その時は、へえ〜、ほお〜、とただ関心して終わったけど、この前、ジブリ美術館で放映している『毛虫のボロ』をみて、こういうことかと納得した。

要するに、僕なりの解釈になるけれど、どれだけ広い視野でものを捉えて、どれだけ深い視点でものを穿つことができるか、が大切という話だ。視野をひろく持とう!とよく言われるけれど、それだけでは勿体無いですよということですね。

ある時映画を観に行こうと友人に声をかけた時、字幕は嫌だ、と言われたことがある。曰く、字幕と映像を両方同時に追うことが苦手だから、だそうだ。僕にとっては目からウロコ。そんなこと考えたこともなかった。

確かに、考えてみれば慣れていない人にとって字幕映画、は特殊な能力がいるものなのかもしれない。ましてや、スマホで映像を見ることに慣れている現代人にとっては、あの大きなスクリーンに映し出される様々な情報をキャッチすることすら、難しくなっているのかも。

画面解像度は世界の広さじゃない

スマホは便利だ。どこへ行かなくても欲しい情報はすぐに取り出せるし、知った気になることができる。ただし、手のひらサイズの画面以上の景色はみられないし、奥行きも空気も匂いもない。いくら画面解像度があがったところで、それで世界が広がる訳ではない。

そんなこといったら、映画もおんなじじゃないかと言うかもしれない。スクリーンの大きさが変わっただけだろう、と。確かにそうなのかもしれない。映画も本もどれも、知った気になっただけになっているだけなのかもしれない。

ただ一つ言えるとすれば、映画は映画だと知っているし、本は本だと知っているということ。フィクションであろうがなかろうが、それが作られたものだと、みんな知っているし、知った上で自分と少し切り離して見ることが前提にあると言うことだ。

スマホになると少し違う。まるでそれが全て真実であるかのように見えてしまう。手のひらサイズの画面が世界の全てのような気がしてきて、そこで見聞きした情報を、まるで自分の足で見てきたような錯覚を起こしてしまう。世界は手のひらより大きい。それだけは確かだ。

最後にこれだけは言っておきたいんだけど、僕は別にスマホの利用をダメだと言っている訳ではない。僕も毎日何時間もスマホを開いているし、Youtubeだってたくさん観る。ただ、これだけが世界じゃないんだなと、どこかで冷静になれる自分は持っていないといけないな、とは思っている。

やっぱり本当に心の底から感動するのは、自分の目で見て、耳で聴いて、肌で感じたものだという実感があるからだ。




話題に出たので、一応紹介。


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