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無自覚がいちばんこわい

生死を左右する局面で、GOを出せる感覚はおそろしい。ことにそれが、悪意をもって選択されたならなおさらだ。

例えば人を殺せる人とそうでない人の間には、もう如何ともしがたい隔絶がある。世の中には圧倒的な悪意が確実にあるが、正直ぼくの心身状態からすると不可解以外の何者でもない。

でも実は、ぼくらの身の回り、もっと近いところにも、同じくらいおそろしいものは潜んでいる。

それは、無自覚だ。

細かくは、悪意についての無自覚というべきだろうか。無自覚な選択や言動は時として、悪意をもってそうするよりも、人を傷つけてしまうことがある。

無意識は容赦がないし、本来であれば超えるのに躊躇する一歩を、平然とわたれてしまうおそろしさがある。

そしてなにより、自分の無意識に自分では気がつけない。

テニスの練習とは違って、自分の行いをビデオに録画して分析して、修正しようなんて誰も考えない。

なんだか回りくどくなった。

自分の無意識と向き合う方法はぼくには分からない。けれどひとつだけ言えることは、自分と向き合おうとすればするほど、他人と向き合う必要が出てくるということだ。

じっと向き合っていればきっと、自分のことがわかってくる。

今日の文字数:495文字

#日記 #毎日更新 #エッセイ #悪意 #無意識 #自分 #人間関係

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