安倍総理暗殺事件回顧

7月8日、あの事件から1年が経過した。そう安倍総理暗殺事件だ。これまでインターネットではかの事件に対し、様々な見解や意見、陰謀論などが寄せられているが、私にとっては純粋に、とてもとても衝撃を受けた出来事であった。今回は個人的にあの日とその少し後を振り返ることに焦点を当てたいと思う。こうした一般人感覚での振り返りが、後に歴史の参考文献になれば幸いである。

2022年7月8日、私は岐阜の企業に就活の面接を受けに行っていた。そこは道路の便が悪く、タクシーを使って慌てて行ったのを覚えている。ボロボロだった面接を終えると、一緒に受けていた2人と面接大変だったね、今日どうやって来たの?、など雑談しながら最寄りのバス停まで歩き、そこで車で来ていた1人と別れ、もう1人、面接を受けていた彼とバスで岐阜駅まで戻った。そして駅のホームでTwitterを見た時、『安倍総理暗殺事件』の一報が飛び込んできた。一緒にいた彼は楽観視していたものの、これはヤバいぞと、私は思った。だって首相の暗殺事件だ。未遂まで含めれば岸総理以来、半世紀前以来の大凶行なのだ。私のTwitterは基本ゲーム友達とつるむ用で、政治のことはほとんど話さないのだが、今回ばかりは違った。もうタイムラインが例の事件でいっぱいで、普段ゲームの事か日頃の愚痴しか言わない友人達が挙って事件についてツイートしていた。家に帰った私はスーツ姿のまま祖母の部屋に押しかけた。祖母もテレビを見て、事情をある程度把握していたような記憶がある。そこは不鮮明だ。暗殺時の動画はTwitterに出回っていたから、それを祖母と見ていた。大変な事だねえ、と言っていたような気がする。母はそこら辺冷淡で、私も深くは話さず大変だなと言ったぐらいだった記憶がある。安倍総理の生死はその時不明、呼び掛けに応じたきりで意識不明。なにか藁にもすがる気持ちでネットを徘徊し、テレビに食いついていた。しかし18時頃、死亡が確認された。その時思ったのが浜口雄幸暗殺事件だった。彼もまた極右の銃弾によって、死亡し、それ以降日本でテロ事件が多発するようになる。そんか暗黒の時代が歩み寄りつつえるのか、と考えさせてしまう出来事だった。
その夜は友人たちと飯のついでに銭湯に行った。学生時代と違い中々会えない上に全員の体積がでかくなって家でゲームも出来ないので、銭湯というのは割と気軽な遊び先であった。銭湯に行くと、大抵テレビが置いてあるのだが、その時には既に安倍総理の死が確認されており、テレビは訃報一色だった。銭湯にいる人は露天風呂に置いてあったテレビをじーっと見ていた。私もその一人だった。その夜は焼肉を食べ、家に帰って寝たのだった...。
その後、犯人・山上徹也の凶行の裏には色んな推測がされた。例えば在日韓国人が犯人だとか、狙撃手がいたとか、色んなデマが流れた。そして、数日して統一教会への恨みが背景にあったと報道された。が、正直どちら様?というのが率直な感想だった。カルトなんて言ったらオウム真理教が関の山で、あのカルト団体が!と騒がれてもちんぷんかんぷんだった。多分、私と同世代はおおよそそんな空気感ではないかと思う。たまたま皮膚科のテレビでやってたミヤネ屋で、アメリカの中枢にも影響とか言っていたけど、そんなになのかなあ、と思っていた。
今の今まで散々騒がれた統一教会だったが、私にとって就活や講義で忙しくそんなこと構っていられなかった。強いて言えば、宗教系の政党である公明党を、LINEで投票勧めてきた同級生が心配だったぐらいだ。こうして、かの事件から1年が経った。

『安倍晋三』という人物の評価は十人十色という言葉ですら足らないほど多岐に渡る。ただ、ひとつ確かなことは、『戦後最も影響力を持った政治家』である事には異論ないだろう。現に総理の自叙伝は飛ぶように売れ、私もなんとなしに本屋で買おうと思ったが、sold out済みで、入荷も大分先と聞き、これを機にKindleでも使おうか...と思案していたが、幸いにも重版されて、購入できた。話が逸れたが、どのような形であれ、『安倍晋三』は色んな意味で戦後最大の政治家である事には変わらず、後世にも、その名は残り続けるであろう。

タモリさんが「今年は新しい戦前になるのではないか」と仰っていた。だが、今思えば日本の戦前は、あの暗殺事件から始まっていたのではないかと思う。新しい戦前にしないと息巻いている人たちも見受けられるが、既に歯車は回り始めた。もう後戻りできない。この記事を書いている際にも岸田総理に対して爆弾テロ未遂が起こった。中学で日本史を学んだ人なら思い出すであろう、『戦前』『幕末』のテロを想起させる出来事だ。安倍総理の暗殺は正に桜田門外の変のように、五・一五事件のようにこの国が大きなうねりに飲み込まれてゆくことを象徴する出来事だった。
私は政治の難しいことはよく分からない。だが、この事件が多大な影響を日本人に与えたことは確かである。この出来事が、今までの日本の呪詛を解き放つ事件となり、日本に災厄をもたらすことの無いよう、事件に関わった人らには、ケリをきっちりつけて欲しいものである。

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