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伊深塾プロフィール

伊深塾講師の度会有美です。
私の経歴と、伊深塾ができた経緯を紹介します。

私の経歴

私は20代のころ岐阜県の高校で国語を教えていました。中学校と高校の国語の教員免許を持っています。大学での専攻は国語学です。

30歳ごろに体の不調で退職し、その後は愛知県の個別指導塾で教えながら少しずつ療養を続けてきました。現在は体調は回復しています。
愛知県の個別指導塾では小学生、中学生、高校生を教えてきました。指導教科は国語や小論文などが中心でしたが、他の教科も教えました。

この個別指導塾で働いているときは体調がまだ万全ではなく、受験期には生徒が増えて大変になることもありました。体力的に厳しくなり、途中で「辞めたいです」と言ったこともあります。
しかしそこで当時の教室長から「それはもったいない。少しずつでもいいから続けて」と引き止められたことから、結局7年くらい続けました。
あとから考えると、辞めて家に引きこもるような生活をしていたら心が病んでしまっていたと思います。細々とでも続けるなかで、一対一の個別指導には「学校のような集団指導にはない楽しさがある」と感じることができました。「国語は度会先生にみてもらえば絶対大丈夫!」と生徒に伝え、私の体調に合わせて授業を担当させてくれた教室長にはとても感謝しています。

そんな私が、今度は自分で塾を運営することになりました。

伊深塾ができた理由

伊深塾の最初の生徒は、高校入試を二か月後に控えた中三の女の子でした。彼女のお母さんと私は個人的な知り合いです。お母さんに頼まれて、受験指導をすることになりました。

当時私はまだ愛知県の個別指導塾で教えていましたが、翌年には実家のある伊深町へ移る予定でいました。そのころは伊深で塾を開くことは全く考えていませんでした。
でも、彼女がきっかけで「伊深塾」を開くことになりました。愛知県の塾で講師を続けながら、伊深町の祖父が住んでいる家の一室で勉強を教えました。「このままだと、どこにも受かるところがない」と思っていた彼女ですが、2カ月間努力し公立高校に合格しました。伊深町には塾が一つもありません。彼女のお母さんから「伊深町に塾を作ったら、きっと必要としてくれる人がいるから」と開塾を勧められました。
それから一年以上が経ち、祖父は亡くなりました。祖父は小学校の教員でした。子ども好きな人で、近所の子に勉強を教えていたこともあったと聞きました。だからこの家で伊深塾がオープンすることを喜んでくれるのではないかと思っています。

看板猫のデルタ

伊深塾のロゴにもなっている看板猫のデルタは、オープン時に19歳でした。当時の塾生の誰よりも年上でしたが、人懐っこくおっとりした性格で、塾生から可愛がられていました。

不登校で体の調子がすぐれなかった子も、デルタがいたことで笑顔になりました。2002年生まれで野良猫出身、性別はオスです。

デルタがモデルになっているこのロゴは、塾のオープン時に「何かロゴがあったほうが子どもたちに覚えてもらいやすいですよ」と人に勧められたことから、私が作成したものです。

デルタは2021年12月に具合が悪くなり、残念ながら死去しました。

今でも私の中でその存在はとても大きく、心の支えになっています。

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