見出し画像

こたつとみかんと鉄瓶。ノスタルジア。

燃焼筒が橙に色付き、後ろ三方の銀色の反射盤に映る。ストーブの柔らかな炎は、ほんの僅かな低音を絶えず立て続けている。
燃える静かな音色は皮膚から体の奥底へと流れ、太古の本流、確かな基盤と繋がる。
鉄瓶からは緩やかに白い湯気が立ち上っていた。
ずっと続く冬の名残。

余白の中でだけ見えるものは何なのだろう。
ほんの小さな一瞬の、揺らめきたちが息づく。
細やかに煌めき繋がり続ける一粒の中の永久。
見えない彩りの粒子を虹の噴水のように散りばめて。
見えている全ての色は、内奥の色と同じなのかもしれない。

曇ったガラス窓からは暮れなずむ外の光が柔らかく部屋を包んでいる。
変わらない風景。
願わくば絵画の中の永遠みたいに。


みかんはいつもある。
こたつの上か、ブラウン管の小さなテレビの上に何個かそのまま置いてある。
みかんと聞くと、その後ろに思い描く背景は人それぞれだろうか。
私のみかんの背景は砂壁。焦げ茶色のざらざらした砂壁にぽっかりと浮かび上がる柑子色。

私が戻ってくる時はいつだって急だ。
仰向けで天井を見上げている。丸い蛍光灯。ぶら下がる紐。茶色い壁。白っぽい襖。
今ここの一点の視野から、物が見えている違和感。

急に誰かの人生が始まる。空白の記憶を手繰る。昨日まで何年生だった?担任を思い出そうとしてみる。分からない。
どこからどこまでが自分だろう。分からない。それを決めないといけない。
認識を再構成しようとすると、空間に散っている意識が戸惑う。
視覚を頼りに感覚を擦り合わせる。
この見えている物体は腕で、これがきっと自分。
そう思い込もうとする。
物体の外側が境界線なのだろう。
おそらく見えている近くの物、腕が人間で、体で、体が自分で、自分を私と呼ぶ。
そんなことしたって気付いたら意識も記憶もまた消えている。でも今はここにいる。
世界が止まっているように見える。
それは、安全を意味している。


ずっしりとしたこたつ布団の重みは心地よい。
座布団に手を伸ばした。冷たくて、ものすごく固い。色褪せてくすんだ青色のそれを無理矢理二つに折り、枕にした。どうしてこんなに固いのだろう。ほっぺがひんやりする。

ごろんと横を向くと、少し遠くの部屋の隅の畳の上に、無造作に置いてある本が目に入った。
ハードカバーだ。
叔父が今読んでる本が、布団を敷いた時の枕元らへんに必ず一冊置いてある。
叔父の本を借りて読ませてもらう時だけ、私は現代のハードカバーを手にすることができる。
普段は学級文庫と教科書と家の本棚の本を繰り返し読んでいるので、今が旬の新しい本を拝めるのは貴重だ。大人だけが手にできる、最新のベストセラーのハードカバー。
目線の先にはそんな垂涎のブツが転がっているけど、叔父の読み途中なので読まない。虎視眈々と狙ってはいるけど。
読み終わったら貸してくれるので大人しく供給を待つ。

襖の向こうの部屋には、干しっぱなしのタオルと、小さな木のタンスがある。
タンスの中にある祖母のパジャマは、私が着る用。
窓際にかかったタオルたち。全部白くてぺらぺらしてて、知らない社名が入ってて、使うと洗剤と煙草の混ざった、清潔な匂いがする。バリバリで良く水を吸う。
ひっきりなしに通る電車の音。

私は世界一安らげるその場所で、叔父の帰りを待っている。
何もしないでただいる、ということをする。
安心を細胞で味わいたいから、今の全部を隅々まで丁寧に感じる。


だいたい、ラジオで流れてた音楽と、テレビと本の内容を、叔父から聞く。
でも叔父は、一緒にいる時は二人で一緒にできることをしてくれる。

食材を買いに行ってごはんを作ったり、仕事の話を聞いたり、野球したり、ゴリゴリとコーヒー豆を挽いたり、野山を歩いたり、とても遠くまで自転車で行ってみたり。
軽トラに乗っていると地面の衝撃がそのままうっすいクッションを通してお尻にくる。ボコボコしたところ通ると内蔵がひゅんってなって、体がピョンピョン跳ねるから楽しい。
明るい窓にいとしい直角の背もたれ。
自由でおおらかな空気を纏いながら二人でどこへでも行ける。

たまに部屋中がFAXまみれになっていたり、コーヒーの出涸らしが壁際に積み上がってたりするから、一緒に一日中掃除をして、ぴかぴかにする。
そんな時は特別にお寿司を食べに連れて行ってもらえる。
カウンターに座って、叔父と大将と女将さんの話を聞いて、よく分からないから、オレンジジュースを飲みながらおもむろに学校の宿題を始める。
目の前のガラスの中にはぴかぴかで大きなお寿司のネタが横たわっている。とても綺麗。

ビッグイベントは、7つの頃叔父といとこと三人でディズニーランドに行ったことと、15の頃中国地方をぐるりと一週間叔父と二人で旅したこと。

……この旅のせいで私は
“旅の際同行者は移動と宿と食事は共にする。日中は別行動。例外として山とか自然の中では一緒に行動する。”
というスタイルが旅行のスタンダードだと思ってしまった。
友人と初めて旅行に行ったときに私は「じゃあ後でね!」と朝から一人でスタスタと行ってしまったので、後ほど死ぬほど怒られた。ごめん。

友人然り叔父然り、愛からくる言葉を持っている人が好き。自身の心で話してくれる人が好き。
そこに至った人生の背景と人柄を感じ、在り方の全てに敬意を抱く。

発する言葉を自分の心として扱う。
私もできているだろうか。

言葉の種は、心の奥の土壌に届いて時が来ればやがて芽吹く。深く根を差し色とりどりの花々と多様な木々の繁る美しい森になる。
そう気付けて良かった。
この人生で良かった。
いつだってほんの瞬間が何よりも価値があり愛しいと思えるから。

叔父の普通にしてくれる言動の全てを貴重に思っていたこと。
会話に、何気ない瞬間の仕草に、心があり、意味があり、私がいる。その度に驚きで稲妻みたいに衝撃が走った。
私と目を合わせてくれて、笑ってくれて、怒ってくれて、会話をしてくれてありがとう。
未だに自分の初期の人生の中に一人だけ異質な叔父がいたことが信じられない。奇跡だった?
どの関係も経験も全ては意味のある学びだったと分かる。
私がいることを受け入れてくれてありがとう。
命と同じ大きさの感謝と愛を、叔父に伝えれば良かったなあ。

だから今は、珠玉に思う心で生きた言葉を使い、今に今ありがとうと伝えよう。
ひとつひとつ、ひとりひとりが巡り和す美しい森を育もう。




なんか鉄瓶を見ていたらそんなことを思いました。ノスタルジー!

南部鉄器の鉄瓶は全身しっとりとした黒色です。
こちら火にかけたら直接素手では持てません。

そこであれです。
調べたら麻紐は熱に強いらしいです。
とにかく巻いておけば大丈夫です。
鉄瓶にはもちろん、鉄フライパンの持ち手や、鉄板の持ち手、猫の爪研ぎに巻いているのをネットで見ました。教えてくれてありがとうございます!
すごい。何でもカバーできる。
私もカバーするのだ!
熱いところに麻紐だ。


編んで



巻いて(夢中だったので写真無し)



毛糸で練習とイメトレして




………できた!
全ての装備が整いました!死角無し!
これで火傷の心配もなく、あちちと焦らないので落ち着いて扱うことができそうです。


トサカの部分と、鼻と、お尻に付けました!

やったー!全方位カバー!





サポートありがとうございます!とっても励みになります。 いただいたお気持ちはずっと大切にいたします。 次の創作活動を是非お楽しみにされてくださいね♡