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【鉄日】24/03/21. ほーみたいっ大坂

大阪べいぶる〜す、てな歌がリフレイン。(悲しい色やね by.上田正樹)
わての場合、アホ〜みたいって感じやねんけど。(インチキ関西弁)

先週末から5日間、お子の引っ越しで関西まで、愛車デスシャドウ(軽トラ)を走らせ行ってきた。
福井→滋賀(琵琶湖)→京都→大阪、約200kmを下道でゆる〜く走りました。
うん、近い! こんなにも近かったんだね、と何か憑物がとれた感じ。
そりゃあ高速道路を使わないから時間は掛かりますが、急ぐ旅でもないし、時速60kmくらいでゆるく走る。
渋滞(京都や大阪)信号待ち、それに公道なのにぶっとんだスピードで追い越してくヤツなどに翻弄されながらも、お子と二人道中を楽しみながら8時間でした。
ゴールは大阪市内を突っ切って関空近くまでなのですが、この辺りはいい具合に地方都市化されていて、いわゆるチェーン店がひしめき合うメインストリートに、駆逐されつつある個人店のバランスがまだ保たれていてる。
今回はお子の生活一式を整える行程、つってもテキトーな家電幾つとある程度の物、たぶん彼は一人暮らしは初めてなので何もわからない、とはいえ今の世の中、コンビニもあれば何だってどーにかなるので、要らぬお世話もアレであった。
生活していきゃあ足りないとこは自身でわかってくるだろーし、何にせよ昭和と違いケータイで調べりゃ大雑把なコトは分かるつー至れり尽せり、つまんねーけど今の子はケータイ手放せない世代。
その代わり便利さと引き換えにし大事なものを失っているんだろうが、今のところそこには気付かないし、どーでもいいだろうし、目の前にある事象しか見えていないんだろう。
自分で気づかなかければ、他者にとやかく云われたって馬耳東風でやんす。
場合は違えど自身もこんなもんだったかもなァと遠ひ目。

今も昔も若人はさすらい夢を追い求め、そうして現実とのギャップにゲップんでやんす。
あちきの場合この齢でもゲップ(嗚咽)は治らず、時には嘔吐涙目、目眩に錯乱、とかく生きていくには苦労は尽きません。
呑むんです。
お酒は潤滑油、その世間との軋轢を滑らかにし、時には滑りすぎ直滑降まっさかさま。
この旅もたくさん呑み喰いし、それでもって世間と自身の歪みをその都度、修正していく。
あゝその場で、我の胸の内で、云いたいことは出尽くしてしまってる。
もしかしたら酩酊の中、ブツブツ小声で胸中を曝け出しているやも知れぬが、外から自分を見れないので仕方ない。

4日目の朝、大阪を後にし京都へ向かう。
200キロの道程を分断し、さらにペースを落とし、僕は僕のために酩酊するのだ。
憬れの地、東京を離れる際はここか倉敷、鎌倉かと無鉄砲に錯綜してみたが、どこも敷居が高そうで諦めた。
憬れの場所はそっとしておくのがいい、たまに訪れ感激しとくくらいが丁度いい。
鞍馬山の五月満月祭へ最後に行ったのが20年前くらいじゃなかろうか、それくらいぶりの彼の地、
困ったなァ、まったくわからないよ、何もかもがうろ覚え過ぎて霧の中だ。
とりあえずスーパー銭湯で疲れを癒す。
車が邪魔になって駐車場を探して方々、やっと見つけたコインパークに駐車していざ、行ってみたい呑み屋までは遠いがこうやって徒歩で向かうのがいい。
本能寺跡とか、池田屋跡が居酒屋とな、ふと気づけばそこらかしこに歴史のひっかき傷、平安の飢饉から新撰組と志士たちが斬り合ってた幕末まで、花魁キャバクラどうっすか!ていう呼び込みの傍らに、生活と同じように鎮座してる。
好きなあの娘とチュウしようがフラれようが、立ちションしようが酔っ払ってゲロろうが、高貴であれ下世話であれ、恋慕であれ悲哀でれ、脈々と続く生活が同時に続いている場所は稀有だ。
祭日前夜の鴨川は若人の語らいか、不倫カップル、大阪ナンバーのナンパ、会社の飲み会、合コン、外人観光客、都会の様相だった。
祇園近くの呑み屋カウンター、両隣は外国人、深夜3時まで営業する寿司居酒屋"かっぱ"、水槽のエビを眺めながら日本酒、千切り山芋と湯豆腐でこの店のぜんぶが分かる。(つってカッコつけても安いメニューだから頼む)
お会計を済まして少しい歩けばすぐ鴨川、素晴らしいじゃないか!
次の朝、停めた車の駐車場がわからなくなり途方に暮れた。
ぐるぐると廻って歩けど稲荷神社、お稲荷様に化かされたんじゃなかろうかと訝しる。
あゝ次回行く時はどこか遠い場所に車を停めて自転車か徒歩だろう、京都はそれで充分動けるじゃなかろうか。
琵琶湖の白鬚神社を詣り、滋賀の終わり頃には猛吹雪、この旅を締めくくる。

愛車デスシャドウ(軽トラ)が10万キロを超えました。