依知川亜希子

フリーランスの編集ライター/コピーライター。1973年横浜元町生まれ。2つの出版社で映…

依知川亜希子

フリーランスの編集ライター/コピーライター。1973年横浜元町生まれ。2つの出版社で映画誌とファッション誌を手がけたのち諸事情あって退社。一時的な仕事のつもりで雑誌の編集ライティングを引き受けているうちに流れでフリーランスに。雑誌やweb、広告などで企画したり書いたりしています。

最近の記事

台北旅行記 Day1:2023.5.14.

2023年5月14日 羽田発JAL097便 出発時刻8:55 台北・松山空港到着時刻11:30 これからどこかへ行く人、帰る人、朝の羽田空港第3ターミナルの国際線出発ロビーは、ちょっぴり張りつめた空気感と、それぞれのそわそわしたエネルギーに満ちています。この雰囲気と匂いを再び体験できることがとてもうれしい。なんだかふわふわと浮ついてしまいます。 まずはチェックイン。海外旅行をしていなかった4年の間に搭乗手続きのシステムが新しくなっていて、機械にパスポートを読みとらせるだけ

    • 2023年5月の台北に降りる

      わたしはもう一生海外旅行ができないかもしれない。 台北のお気に入りの場所で、現地の友人たちとたのしく過ごす時間はもう来ないのか。 mRNAワクチンを接種するつもりがないので、そんなことを考えると辛くなり、台湾関連の本をしばらく開くことができませんでした。 しかし情勢はゆっくりと変化します。 2023年5月8日に感染症法上の分類が2類相当から5類へ以降。 空港では前倒しの4月29日から「出国前72時間以内の陰性証明書」および「ワクチン接種証明書(3回)」のいずれも提出を求めな

      • きみ子と自己肯定

        きみ子は、19年前に84歳で亡くなった母方の祖母。 理容室を営んでおり、1階が店舗、2階が住居という構造だが、プライベート空間がほとんどなかった実家。当時、わたしと母が一緒に使っていた4畳半の部屋は、女性従業員の更衣室も兼ねていた。学校が休みの日でも必ず8時までには起きて、布団をたたんで押し入れにしまう。行儀作法にとても厳しかった祖母は、「従業員が出勤する時間に、うちの者が寝ていてはしめしがつかない」と、わたしが出版社に就職して働き始めるまで朝寝坊することを決して許さなかっ

        • きみ子と寿町を歩く

          きみ子は、19年前に亡くなったわたしの母方の祖母。 豪傑で、たまに不可解な行動をとる人だった。 いちばん謎だったのは、わたしが保育園児から小学校低学年にかけての頃にあった度胸試し。それはいつも祖母に付き添ってもらう歯医者通いとセットになっていた。歯医者の場所は忘れてしまったけど、住んでいた横浜元町の隣隣隣町くらいだったとおもう。そしてその間には、有名なドヤ街、寿町があった。 今ではだいぶスッキリと整理されてきれいになったけど、40年以上前の寿町はとにかくすさまじかった。ゴ

        台北旅行記 Day1:2023.5.14.

          きみ子と食べる

          きみ子は、わたしの母方の祖母。 19年前の2004年に84歳で亡くなっている。 祖母のキャラクターを一言で表すと、粋で豪傑。あ、二言だった。 情に厚く、困っている人を放っておけない性格で、祖母の死後に聞いた話によると、よく友人知人の相談に乗っていて、お金を貸すこともあったそう。 それから、とにかく食道楽。生活拠点である横浜元町はもちろん、本牧、中華街、山下町、伊勢佐木町、渋谷、青山など、あちこちに祖母の行きつけのレストランがあり、わたしももれなく連れて行ってもらった。ド庶

          きみ子と食べる

          きみはきみ子

          きみ子は、母方の祖母の名前。 わたしの人格形成に甚大な影響を及ぼした人物だ。 わたしが祖母と暮らしたのは3歳から26歳まで。のっぴきならない大人の事情で、わたしが3歳のときにわちゃわちゃと両親が離婚。母はわたしを連れて実家に出戻り、祖母との3人暮らしがスタートした。 実家は横浜の元町で明治時代から続いている理容室。1階が店舗、2階が住居という構造ながらも商売とプライベートの境界がなく、2階で叔父と職人が着替えたり、食事をしたり、洗濯をしたり、お客さんがトイレを借りにきたり

          きみはきみ子

          ブランニューわたし

          今日、わたしは50歳になった。うーん、「なっていた」のほうがしっくりくるかも。それくらい自動的に地続きだし、なんとなくイメージしていた“大人の女性”とはかけ離れた仕上がりに自分自身びっくりしている。 そして今朝から感じている妙な違和感。それは39歳から40歳になったときにはまったく感じなかったもの。49歳だった昨日と50歳になった今日を比べたところで、生活も成分もまったく変わっていないはずなのにどうしたことか。今日その違和感の正体をずっと考えていて思い至ったのは、人生の終わ

          ブランニューわたし