実写化について思うことをバーッと書く

特に調べもせず、見直しもたぶんせずに書くのでご容赦。

マンガとか小説とかの実写化。

新しい顧客を開拓するって意味で、ビジネス的に大事だと思う。
どんなに優れた作品でも、話題に上らなくなれば忘れられてしまうし、忘れ去られたら公式は新しい商品を出してくれない。

個人的に「実写化のための翻案・設定変更」自体はアリだと思っている。
マンガ・小説・ドラマ・映画、どれもメディア特性が違って、それぞれに特性を活かしてないと作品としてダメだと考えている。

映画は尺が2H未満じゃないとだるいなあって思う。
私はメンがヘラいのもあって、長時間集中を保つのが苦手だ。

連載マンガは1話ごとに盛り上がりがあり、物語全体として見たときにいくつかのエピソードに分割され、それが絡み合いながら作品世界を作っている(と思う)。

マンガメディアをそのまま映画メディア(実写/アニメ問わず)にすることは、はっきり言って不可能だと思う。
そのための翻案や設定変更だろうし、(この前web記事で読んで知ったけど)原作があるもののエピソードを選択する職務という仕事がある。

マンガや小説というのは、ある種「不完全なメディア」であって、その「不完全な部分を受け手が想像で補完することで良さが際立つメディア」でもある。

受け手が想像で補完する、ということは、受け手のバックグラウンドによって受け手の数だけの解釈が存在することを意味する。
ちなみに私、「アンパンマン」を絵本で読んだ後にアニメが始まって初めてアンパンマンが喋るのを聞いたとき、「アンパンマンはこんな声じゃない!」とショックを受けた。
解釈が受け手の数だけあるっていうのはそういうことです。

全員が満足するものを作るのは無理です。
これはどうしようもなく事実。
事実じゃなかったら、なくなったら、ディストピアだ。

だから、実写化制作サイドには「この作品のここがいい!ここがよかった!」をベースにした制作をお願いしたいんですよね。

受け手を値踏みするような「こういうのがいいんでしょ?」ではなく。

制作サイドが「ここがいい!」って作ってそれが合わなければ「ああ、解釈違いだったのね」で済ませられるんですよ。
「こういうのがいいんでしょ?」って作られたものって腹立つんですよね。それが好きな作品を原作にしているとなるとさらなり。

まあ映画という「お金を出さないと観れないもの」である以上、観ないという選択肢もあるわけです。
原作を知らない人が観る分には楽しめるんだろうし(せめてそうであってほしい)。

原作者が手掛けた限定品を来場特典にするの、ずるいなあって思う。
原作が好きだったら手に入れたいと思うし、来場特典ってことは合わないことが予測される作品にお金も時間も割かないといけない。

とかなんとか言いつつ、実写ハガレン、観に行きます。0巻欲しいじゃん。

「銀の匙~silver spoon~」の実写映画は私としてはアリな作品で、エピソードの改変や設定の変更は全然許せるし、「ああ、制作サイドはここがこの作品のいい要素だと感じたのね」というのが慮られて悪くなかったです。
制作サイドと私の「原作のお気に入り要素」が近かったのが幸いしただけかもしれないけどね。


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