番外編:高橋大輔主演「氷艷」を見て


先日、「氷艶」第2弾「月明かりの如く」を観劇してきた。先行抽選予約で張り切ってチケット予約し、きっと外れるだろうと複数枠応募したものが全て当選。しかも当日券も出るという…。もしや、売れていないのか…?と一抹の不安を覚えたが、断言する。これを見逃した人は、大きな悔いを背負った。確かに、安い料金ではない。しかしアリーナ席23,000円+手数料で23,810円を払ったとしても、これは絶対に観るべき作品だった。(追記:複数当選はあったが、実際公演は連日ほぼ満員、日によっては当日券を買えないほどの人が会場に押しかけたようだ。)

実は筆者も、芝居と歌を齧っている。合唱団の一員として1,500人レベルのホールで歌ったこともあるし、300人レベルの舞台で芝居を打ったこともある。
その程度と言えばその程度だが、舞台経験がある者からすると横浜アリーナという「舞台」は、正直わけがわからない。
一万人レベルの収容人数に、十間どころの話ではない舞台。極めつけが「正面がない」こと。
そんな舞台でどうやって芝居をみせればいいのか、はっきり言って見当がつかない。
もちろん、スケーター達はあの舞台でスケートの演技をすることには慣れているだろう。そういう意味では、芝居人たちよりも「正面がない」ことへの抵抗はなかったかもしれないが、主演 高橋大輔選手はあの舞台で初めて演技をして、初めて歌を披露したのである。しかもそれがちゃんと成り立っていたのだ。最早化け物と言っていいレベルだ。

きっと台詞があるであろうことは開演前から予想していた。しかし、以前バラエティ番組で見せた即興芝居から、「臭い芝居」か「棒読み」になるのでは、と思っていた。そう、「高橋大輔」という人を侮っていた自分を大いに反省したい!

純粋に芝居人として観るならば、滑舌や発声など改善できる箇所はあるだろう。だが、ではそれらがしっかりできる人があそこまでの滑りをできるだろうか。
そう、彼は現在世界で唯一の存在に、再びなったのだ。かつて「世界一のステップ」と言われた高橋大輔選手が、世界唯一の表現者に。

それには、競技への復帰も大きく寄与しているだろう。「変態ステップ」の呼び声高い名プログラム「マンボ」を「前よりいいかも」というレベルまで自分を押し上げた努力には脱帽する。流石の足裁き、身体のキレと身体的表現力で全ての観客を魅了した。殺陣や郡舞ももちろん素晴らしかったが、筆者はやはりソロで舞う終盤の滑りに心を打たれた。

昨シーズン終了後に出た「生涯現役」という言葉をどう捉えるか、少し受け取りが難しかったのだが、今回のパンフレットにある宮本亜門氏との対談と、この舞台での演技を観てすとんと腑に落ちた。表現者として生涯現役を貫き、表現の為になることは何でもやる。その貪欲な探求心が、この氷艶を成功に導いたのだろう。そしてそれは後輩たちへの強烈な着火材でもあると思う。片手間ではなく、全力ですべてに取り組む先輩。この32歳に現役選手達は、負けてはいられないだろう。

滑りのキレという意味では、織田信成さんにも言及したい。プロに転向してから四回転を跳んだ織田さんは、彼のキャラクターを存分に活かした悪役を開拓していた。パンフレットには「新しい織田信成を」と書いてあったが、筆者の目には織田さんらしい悪役で、楽しく演じているのが見て取れて非常に好感度が高かった。出番こそ高橋選手に比べれば少なかったが、主役以外で唯一空を飛び、大きなインパクトを残してくれた。

出番が少なくて残念だったのが鈴木明子さんだ。光源氏の異母兄、朱雀帝の妻を演じた鈴木さんは現役時代からの安定した表現力で難しい役所を滑りで魅せてくれた。

前回の氷艶で悪役を開拓した荒川静香さんは、堂に入った悪役ぶりが見事だった。オリンピックや現役、引退後もあれほど華麗だったイナバウアーが、華麗は華麗なのだがなんとも禍々しい雰囲気を醸し出し、最高の悪っぷりであった。(余談だが筆者はこのイナバウアーを見て「ワンピース」のハンコックを思い出した)

今回スケーターでは唯一貴族ではなく海賊を演じた村上佳菜子さんは、素直な演技が好感だった。パンフレットによると今後芝居にも興味があるとのこと。今回はいささか素直すぎる歌と芝居だったが、伸びしろは非常に大きそうなので、今後の活躍に期待したい。

そして今回サプライズのキャスティングは、やはり海外スケーターの2人だろう。ステファン・ランビエールさんは高橋選手の一度目の現役時代にライバルとして多く戦ってきたスケーターで、その関係性が役の上でも非常に活きていた。個人的にステファンさんは悪役に見えない!と思いながら観ていたので、納得の納め方でもあり、そのような演技でもあった。
もう1人の海外スケーター、ユリア・リプニツカヤさんは久しぶりにスケート姿を見たが、キャンドルスピンも健在で、何よりその可憐さが際立っていた。ロシア広しといえど、紫の上をあの可愛らしさ、可憐さで演じられるのは彼女とシニアに上がったばかりのコストルナヤ選手くらいではないだろうか。(コストルナヤ選手は年齢の割に大人びているので妖艶寄りかもしれないが。。。)(あ、でもラジオノワ選手も、もう少し活発な紫の上ができそうである。)


役者陣に話を移すと、まず本当に驚いたのが福士誠治さん。観劇している時はてっきりスケート経験者だとばかり思っていたが、今回の稽古がほとんど初めてのスケートとのこと。福士さんは以前ドラマ「のだめカンタービレ」の黒木役で、そこでも難しいオーボエを随分吹きこなしていたと聞いたが、その役作り、芝居に向かう真摯な姿勢がここでも大いに発揮されたようだ。終始安定した演技力とスケート力で光源氏を支え、芝居とスケートを繋ぐ大きな架け橋となっていた。

それから平原綾香さん。筆者は前述のとおり歌も齧っているが、氷上であの歌唱力はもう意味不明レベルだ。彼女も相当な努力家であり、出演が決まってからはほぼ毎日、多いときには5時間も氷に乗っていたというから、早い段階からスケート靴のあの細いブレードでも重心を安定させる術を体得したのだろう。
それは元タカラジェンヌの柚希礼音さんにも言える。彼女の力強い歌声、広い場所で遠くの相手まで届けるパフォーマンスは圧巻だった。時間の関係だろうが、「男として育った女」という設定を活かしきるにはあっさりした展開だったのが少し消化不良でもったいなかった。

そして、西岡徳馬さん。あの貫禄のある大俳優がカンパニーに加わったことで舞台全体が非常に締まったように思う。個人的には以前年末のバラエティ番組で大変身体を張った笑いを提供してくれたことが強く印象に残っているのだが、御年72歳にして新しいことに挑戦する意欲に感服である。そういった意味では高橋選手と通ずるものがあったのかもしれない。あまり多くの共演シーンはなかったが、カーテンコールなどで良好な関係性が伺えた。

今回興味深く観ていたことの一つに、アンサンブルの存在もある。アイスダンスの現役である村元哉中選手を始め、スケート経験者も多くいたようだが、明らかにフィギュアスケート用ではないブレードの出演者もいた。それぞれがそれぞれの得意分野を持ち寄り、さらに新しいことに挑戦するという姿勢がアンサンブルにも徹底されていたようで、そのことがあれだけ一体感のある全体の作品を作り上げたのだと思う。

それだけのまとまりを作った座長 高橋大輔選手と、そしてそれを導いた演出家 宮本亜門氏の手腕に最大級の讃辞を送りたい

ただ一つだけ残念だった点を挙げるとすれば、上演中のお客さんの出入りで扉からかなり光が漏れていたこと。横浜アリーナという会場を考えれば致し方のないことではあるが、できれば扉の外側に暗幕を垂らすなどの一工夫があれば、文句なしであったと思う。

しかし全体として、とにかく本当に素晴らしい作品だった。アイスショーでもなく、舞台でもなく、適当な言葉が見つからない、そんな新ジャンルを見事に軌道に乗せたように思う。また同じ演者を揃えることは至難だとは思うが、再演、そして海外公演の実現を切に願っている。次なる展開がどうなるか、非常に楽しみに待ちたい。

追記:なお、この公演の様子は9月1日(日)にBS日テレで12:05〜、10月5日(土)、10月26日(土)にはCS日テレプラスにてTV放映されるとのこと。未見の人はもちろん、会場で見た人も必見だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?