#22 Kaetlyn Osmond

https://soundcloud.com/user-983930015/no-22-kaetlyn-osmond 2019年5月25日

みなさんこんにちは、アイスタイムポッドキャストへようこそ。ホストのジャックギャラガーと、共同ホストのアヤノです。本日の素晴らしいゲストは、カナダで初のオリンピック金メダリストであり2018年の世界女王、ケイトリン・オズモンドさんです。ケイトリン、こんにちは。今日は私たちのポッドキャストに出演してくれてありがとうございます。つい数週間前に競技からの引退を表明したばかりですよね。この決断は難しいものでしたか?

 

そうですね、ほろ苦い決断でした。実は1年前からほとんど決めていたんですが、1年かけてそれが本当に自分が望むことなのか、確かめていたんです。そして新しいシーズンをまた迎えて試合を見ながら、私自身はショーに出たりして忙しくしていたんです。そうしながら、自分がどう感じるかを確認していました。そして、今がその時だと感じたんです。それを見極めるのには苦労しましたが。

なるほど。あなたは間違いなく素晴らしいキャリアを過ごして来ましたよね。オリンピックでは3つ全ての色のメダルを獲得して、世界選手権でも金と銀。あなたのキャリアの中で一番のハイライトを選ぶとしたら何になりますか?

一つだけを選ぶのはすごく難しいですね。オリンピックは間違いなく記憶に残っていくものです。自分が世界のトップにいて、無敵で強いと感じられて自分に自信を持てました。キャリアを通して戦って来たことが全てオリンピックではピタリとはまった感覚で、全てが完璧でした。自分が望んでいたように競うことができて、それに怪我や痛みもマネージしてオリンピックを3位で終えることができた。それはもう間違いなく記憶に残る瞬間です

私も平昌にいたのですが、あなたのフリーでの力強いパフォーマンスがとても強く印象に残っています。ショートの後では宮原選手と坂本選手があなたのすぐ後ろにいて、プレッシャーがかかっていたのに違いないのに。あのフリーに行く前は、どんなことを考えていたんですか?

正直に言うと、自分が3位につけていると言うこと以外の他の人の結果を何も知らなかったんです。自分のスコアすら知らなかったんですよ。もちろん他の選手のスコアも。だからプレッシャーはそんなに感じずに入られました。だって、知らなかったから!w
でもフリーの朝はすごく緊張していました。他の選手がどうということではなくて、自分自身に対して。自分ができる限りのベストの滑りをしたいと思っていたし、それができる準備ができていることもわかっていたので、あの朝はすごくストレスフルでしたね。全てはスムーズに進んでいたけど、私にとってはすごく気の狂いそうになる朝でした。

あの時から頭にこびりついていることがあるんですが、平昌では私は全ての練習も見ていたんですね。それで、あなたもすごく近くで練習していて気づいたんですがあなたは練習をまさに本番のような気持ちの入れようで練習していましたよね。その練習に向かう姿勢なんかが、あなたの成功のキーポイントになったと言えますか?

間違いありません。小さい時から、「協議会でも練習のように滑る」ように言われて来ました。でもそれは私にはうまく行かなかったんですね。なぜかはわからないんですが。だから私は自分のマインドセットを競技会のように練習すると言うふうに変える必要があったんです。だから毎日の練習で大会に出るよりもどんどん緊張していきました。きっとその時にプログラムでどんな失敗をしたかラビがすぐにフィードバックをくれたからかもしれませんw でも私自身、いつでも準備ができるように練習したかったんです。それにもしも本番のプログラム途中で疲れてしまいたくなければ、そうやって本番のように緊張して、細かいところに気を配ってプログラムの隅々まで気を張って練習をする必要があると知っていたんです。だからそうやって練習する必要があったし、それが自信を与えてくれて、大会に行ってもリンクを自分のものにしてそこに所属しているように感じることができました。

ケイトリン、あなたの最後の大会は優勝したミラノでの世界選手権ですが、その時のことについて、世界の頂点に立った時の思い出を話してくれますか?

あの週末の結果は素晴らしかったけど、そこに向かう前の週は本当に酷かったんです。オリンピックの後で疲れ果てていて、ハミルトンに戻ってトレーニングしていましたが、もう泣きたいくらいでした。体を丸めてもうそれ以上動きたくないくらい、疲れていたんです。それにあの時は怪我もケアしなければいけなかったんです。背中の怪我を。それに世界選手権の最初の練習で足首をひねってしまって。だから本当に最悪の始まり方でした。
それにショートではダブルアクセルをミスしてしまった本当にイライラしましたね。だからその夜に友達に電話して「もうフリーは滑れない」と話したんです。どう滑ればいいかわからないと。全てがブラックアウトした気持ちで、どうにかフリーを終わらせることだけを考えて、自分にはそれができるはずだ、と自分にずっと言い聞かせていました。だからあの世界選手権の結果はすごく自分への報いになりました。あの1週間は人生の中で一番きつい1週間だったし、あのフリーの4分は人生で一番長い4分でした。それでも滑ることができて、しかもほとんどパーフェクトに近い滑りができた。リンクから降りた後すぐに友達にそれを話しました。他の結果を気にせず、ただ自分がやり遂げたことに興奮してたので、あの結果はボーナスみたいなものだと思いました。あんなに安心した瞬間はないし、本当に特別な瞬間でした。


それじゃぁ、チャンピオンになった翌朝どう感じたのか、リスナーに教えてくれますか?


わからないです、1年以上経った今も信じられないぐらいですから!でもあの日の翌朝はすごく肩の荷が降りたように感じました。すごくいい笑顔でどこへでも行きたいような気分で。でも本当に、今でも自分がチャンピオンになったっていうのはすごくびっくりしています。


本の数週間前に引退を発表したわけですが、今後のプランは何を考えていますか?きっとなんでもできると思うんです。色々な選択肢がありますよね、コメンテイター、コーチ、振付師、ショーでのスケート・・・何を考えていますか?


すごく色々な可能性があると思いますし、まだ何を本格的にやるか決めていません。ゆっくりした時間を過ごしてこれまでのようにトレーニングに急がなくていいということを楽しんでいます。コーチをすることも考えますし、もっと若い時は振付師になりたいと思っていましたが、今は他の人に振り付けをするためにはこれまでやってきたプログラムからもう少し距離を取らなければいけないと思っています。コメンテーターというアイディアはすごく好きですね。次の大きな目標です。でも今はまだショーでもパフォーマンスをしているし、秋にはロッキーツアーでカナダを回る予定です。それにもっと他にもショーに出たいと思っています。だから、まだいろんな可能性を残して、色々なことをしていきたい、楽しみたいと思っています、

一つ予言をしましょう。2022年の北京オリンピックではきっとあなたはCTV
のコメンテーターチームに入っているでしょうね


そうなったらすごく嬉しいわ!目標です

きっと素晴らしいと思いますよ。あなたはすごく自然体だし、十分なスケートのバックグラウンドも持っている。これから3年、2年半ほどありますから、きっと叶いますよ。

うれしいです。自信をくれてありがとうございますw


それじゃあケイトリン、日本でのスケートの経験についても少し聞かせてください。日本での最初の試合は2010年ジュニアの時の軽井沢ですよね。覚えていますか?


覚えています。あれは私のカナダから出た初めての大会でした。私はまだ14歳でしたが、いろんな大会を経験した中でお気に入りの大会でもあります。泊まったホテルも素晴らしかったし大会会場も素晴らしくて、初めての国際大会、日本という国での国際的な観客に囲まれた初めての経験でした。すごくエネルギーをもらいましたし、すごくテンションが上がりましたね。だって小さな規模のジュニアグランプリの大会だというのにもかかわらずリンクはお客さんで埋まっていてファンたちの熱気がすごかったんです。日本で滑ったことをいつも覚えています。それから行くたびにどんどんよくなって行って、いつも日本にまたいきたいと思います。


14歳という若い時でも、日本のスケートファンの熱気を感じられたんですね。


もちろんできます。あの大会は本当に初めてだったから、誰も私を知りませんでした。それにスケートもあまり良くなかった。一つも3回転ジャンプを降りられなかったんです。確か10位だったかな。それでもファンの人たちは応援してくれたし、まるでカナダのホームで滑っているような落ち着きを感じさせてくれました。それまで皆の前で滑ったことがなかったのにこんなにも応援してくれる人がいると感じることができて、本当に素晴らしい体験でした。


なるほど。それから次の日本での大会は2014年の世界選手権ですよね。会っていますか?それともどこかでNHK杯に出ていたんでしょうか

2013年の四大陸選手権ですね、大阪での。


そうでした。その大会はどうでしたか?


最初のジュニアグランプリよりは良かったですねw正直に行ってあの大会のことはよく覚えていないんです。ただ会場を覚えていて、他のカテゴリのイベントを初めて見た大会でした。ダンスの競技を見ていて、日本のファンの皆さんの気遣いにも驚きました。日本では、リンクに行ってファンの皆さんがどれだけ応援してくれているか見るのがすごく好きです。他のリンクでは観客がそれぞれ自分たちの会話に夢中になっていたり電話をしていたりビデオを取ることに夢中になっている人たちを見ることもありましたから。でも日本のファンたちは完全に試合に夢中になっていて、しかもそれが自国の選手だけではなくて、とても沢山の様々な選手に向けてなんです。それに驚かされたのをよく覚えています。


そして、2014年の世界選手権ではシニアとして2年目のワールドでしたね。ここでの思い出はどうですか?


うーん、とてもいい質問ですねw 自分の滑りはあまり多くは覚えていないんですけど、とにかくオリンピックの後だったということは覚えています。オリンピック後でまだ全体のテンションやエネルギーがすごく高かったんです。でも私はその中でテンションもエネルギーも低くてw だから私自身の滑りはあまり良くなかったんですけど、それでも初めてトリプルフリップートリプルトゥのコンビネーションを決められた大会でもありました。ショートで決めたんですけど、それがプログラムのハイライトで、その後レイバックをミスしてしまったんですね。すごくいいジャンプを降りた後でどうしてあのスピンができなかったのかよくわからないんですけど。それからフリーもそんなに良くなくて・・・でも観客の皆さんがすごく応援してくれて、それはすごく助けになったことは覚えています。


そうだったんですね。ところで、あなたはジェフリー・バトルの振り付けでたくさんのプログラムを持っていますよね。彼は羽生結弦の振り付けでも知られています。彼の振り付けの何があなたをひきつけたんですか?


私がジェフに振り付けをお願いする前は、ずっと同じ振付師にお願いしていたんです。今でも彼、ランス・ヴァイポンにお願いすることもあります。彼には私が10歳の頃から振り付けをお願いしているんです。でもジェフにお願いすることになったのは、もっと違った振り付けや自分自身の違う面を、今まで人々が見たことがないような面やストーリーを語るようなところを引き出してもらえると思ったんです。ドラマティックなことについてはジェフはは本当に素晴らしくて、バレエやオペラの作品からそう行った面を切り出すのが上手なんです。彼との仕事は、自分の新しい面を引き出すチャレンジができるというだけでなく、彼の振り付けはすごく居心地がいいんです。全てのジャンプやエレメントがちゃんとできると思える自信をくれるんです。ジェフの振り付けはテクニックと振り付けを一つのパッケージでみせてくれる、私が長年求めていたものなんです。


ジェフの話が出たところで、羽生結弦の話をしましょう。あなたはもう引退したから他のスケーターについて話すのも自由ですよw羽生選手と同時代に選手をしていた立場として、彼についてどう思いますか?彼のスケートになにかコメントはありますか?


もっと意見を持てたらと思います。彼は本当に素晴らしいスケーターだったけどほんの数回ぐらいしか彼の滑りを見られなかったんです。なぜなら私が大会に出るときはホテルの部屋にこもって誰とも話をしないし何も見もしないから。それを悲しく思うこともあります。だって外には本当にすごく素晴らしいスケーターがたくさんいるのに私は見ることがないんです。片手で足りるくらいの回数しか彼らの試合を生でみていないんです。でもそれを見るたびに、すごく驚かされます。一度、彼が練習に出てきてウォーミングアップして、でも一本もジャンプを降りられなかったのを見ました。だから私は「わぁどうしよう!」と思って、どう彼が本番で滑るんだろう、と。だけどその次に私が知った時には彼はこれまでのキャリアでベストとも言える滑りをして、大会で優勝していたんです。だから、どんなことが彼の道を邪魔しているように見えても、彼の音楽がかかったら、何をすべきかを彼は完璧に知っているんです。もう、とても嫉妬しますよ。

 
なるほど。では宇野昌磨選手についてはどうですか?彼の滑りを見たことはありますか?


大会に出ていた最後の年に、彼を何度か見ることがあって、彼がいつもすごくハッピーでいたことがすごく好きでした。彼はいつでもエネルギーの塊を携えているようだったし、彼の練習を見るのは本当に興味深かったんです。彼はリンクに行くと驚くべきジャンプを全部こなして、かと思えばこけて、そしてすごく間抜けなことをするんです。それがとっても好きで。彼の笑顔やエネルギーがすごく好き。彼は本当に氷の上が好きで、どんなことがリンクで起こっても動じないようでした。リンクに出て素晴らしいプログラムを終えるとすごく幸せそうにしていて、それを見るのはとても楽しかったですね。


去年の夏、高橋大輔さんが4年の引退の後で現役に復帰するという話題で持ちきりでした。大輔さんに関して、スケーターとしてのあなたの考えや4年の後に復帰するという決断について、どう思うか教えてください。


彼の最初の現役の最後の時期に私も滑っていて、彼は私の最も好きなスケーターの一人だったということをよく覚えています。実は幼い頃、競技会に出始める前はほとんど他のスケーターを見ることがなかったんです。でも見るようになってからはもっとスケートのファンになりました。その中で大輔さんは、私が本当に愛したスケーターの一人でした。彼はすごいエネルギーも情熱もあるし、ジャンプもスピンも、全てが同等に本当に素晴らしかったんです。彼については何か一つが秀でているとは言えません。彼自身の全てが一つのパッケージなんです。だから彼が復帰すると聞いて、すごく興奮しました。若い時に見ていた憧れの選手が帰ってくる、彼が今幾つなのかはよくわかっていなんですけど、でも年配になってから帰ってくるというのはすごく刺激になりました。それに何より素晴らしいことは、彼が年を追うごとにむしろ若返って見えることです。だから、彼のように年を重ねてからも情熱を持って戻ってこれるということは本当に素晴らしい刺激になります。


今あなたはまだ23歳で、今から4年と考えても、あなたの復帰も可能性がありますね

んーー、どうでしょうね


OK、去年の夏に坂本花織さんに軽井沢でインタビューした時に、海外選手で尊敬する選手がいるかと聞いた時にあなたは彼女のリストのトップに挙げられました。
坂本選手は少なくとも最後の2年はあなたと競っていたわけですが、彼女についてはどう思いますか?


彼女は素晴らしいスケーターで、すごく強い選手だと思います。それに私があった中で一番いい人の一人ですね。だけど、さっきも言った通り同時期に競っていた人についてコメントするのは難しいんです。私は自分のことに必死ですごく自分のことに集中していたので。


だから世界チャンピオンになれたんですね。


そう聞くと、なんだかすごく嫌ですねw でも本当に文字通り部屋にこもってリンクに行くまでずっとヘッドフォンをして音楽を聴いていたんです。だからほとんど何も聞くことができなくて。だけど、毎回彼女を見るたびにすごくいい笑顔でいたのを覚えています。たとえミスがあったとしても、すぐに修正していて、彼女は笑って全ての瞬間を愛しているよでした。彼女はいつもリンクの上ですごくパワフルで、彼女と一緒に練習リンクにいるときはいつもすごく緊張しました。だって、彼女のように大会で戦いたいと思っていたから。だから、間違いなく私は彼女に刺激を受けていたし、彼女が私に刺激を受けていたと聴いてすごく驚いています。


私は間違いなく言えますが、彼女は本当に真剣に他の選手たちから学ぼうとしていたし、あなたは間違いなく彼女に影響を与えているんです。それは間違いなく言えます。それでは、宮原知子選手についてはどうですか?長く一緒に競っていましたよね。


知子も、本当に素晴らしくて、そして優雅な選手です。いつも彼女の表情での優雅さを羨ましく思っていました。彼女の今まで会った中で、競い合った中で最も素晴らしい人の一人でした。私たちはいつも色々試行錯誤していて、彼女と競い合うのは楽しかったですね。彼女も私の気を引き締めてくれたし、彼女は多分私が一番練習で見ていた選手だと思います。何度か練習セッションで彼女と私だけしか氷の上にいないことがありました。私たちはよく同じ練習グループになったんです。だから彼女とリンクにいて、彼女が氷の上でどう動くのか、どうやってあんなに氷の上で和やかにいられるのかを見てとても刺激になりました。


後もう一人だけ、意見を聞きたいのですが、すでに引退している浅田真央さんについて、彼女についてはどう思いますか?


間違いなく素晴らしい人です。2010年のオリンピックで彼女を見たのをよく覚えています。初めてちゃんと見たオリンピックだったんですけど、こんなにも才能のあるスケーターがいるのかと思って完全に打ちのめされました。素晴らしいものを見せてもらったし、本当に刺激になりました。こんなに素晴らしい選手と一緒に競えるのかと。彼女もリンクでとても穏やかだし情熱も持っている。見ているだけで本当に刺激になりました。だけどやっぱり、自分と同時期の選手たちについてあまり覚えていなくて、でも一緒に競うようになる前のことはおぼえています。彼女のトリプルアクセルは本当に素晴らしかったし、今でも私の大好きなジャンプです。


なるほど、ニューファンドランドで育った幼い頃、誰か尊敬していたスケーターはいますか?


実は、ほとんどスケートを見ていなかったんです。だから自分が試合に出るようになる前の選手や同時期の選手のことについてコメントをするのが難しくて。本当に、自分より前の世代の選手たちについてはほとんで見ていなくて、というよりもTVそのものをほとんど見ていなかったんです。姉と一緒にスケートをして姉に刺激を受けながら育ちました。姉は3歳年上なんですけど、今での姉の方が私よりも優れたスケーターだと思っています。彼女がスケートをやめてしまってからほとんど8年経ったいまでもね。姉の存在がものすごく刺激を与えてくれたし、姉がいなければ私はリンクの上で何もできなかったと思います。


出身はニューファンドランドで、その後エドモントンに写っていますよね。それはどうしてだったんですか?


全部姉のためです。姉はペアのスケート選手で、あるときパートナーをモントリオールで見つけたんですね。そのときすでに夏の間はモントリオールでジョゼ・ピカードにコーチしてもらっていました。だから家族で姉のスケートのために引っ越すことにしたんです。だから私もついて行って。すごく楽しかったです。ジョゼは私が10歳の時に初めてナショナル大会に出させてくれましたし。でもその割とすぐ後に姉のパートナーが引退してしまったんです。その時姉はすでにまだ続けるべきか迷う年齢にいて、だから家族はその時仕事のためにアルベルタに住んでいて、私はコーチと一緒に暮らしていました。それから家族でエドモントンに引っ越すことにして、みんなで一緒にいられるようにしました。私たち家族はすごく仲が良くてずっと一緒にいることが当たり前の家族でしたから。だからお互いに離れているのはすごくきつかったんです。そしてそこで私はロビーに会ったんです。相性も完璧で、これ以上いい環境はないと思えました。


それではあなたの競技人生の中で、最も大変だったことはなんですか?練習なのか試合なのか、どんなことが大変だと思いましたか?


それは成長するに従って変わっていきました。私は全部大変だった時期を経験しましたね。若い頃は試合が何よりも好きだったので、練習が一番しんどかったですね。毎日が試合になればいいのにと思いました。だから試合の間のトレーニングは正直ちゃんと意味を理解していなくて。それから次は怪我がスケートの一番辛いことになりました。なぜなら一つ怪我が治ったらまた次、というふうにずっと怪我をしていて、それが自分ができたことを巻き戻させるようだったのが、本当につらかったんです。それから次は試合が辛くなりました。1年休養してからすごく緊張するようになって初めて試合に挑むことに苦しみました。それまでは試合でむしろすごく調子が上がって試合に出ることにエキサイトしていたんですけど、リンクの上で他のスケーターたちから逃げ腰になっている自分を感じで、ジャッジの顔を見るのも怖くなってしまったんです。だから試合が他のなによりもすごくストレスになってしまって。だけどキャリアの最後の方では、全てのことに関して感謝できるようになりました。だからその頃には何も恐れるものはないようなことになりましたね、ただ精神的にはすごく疲れ果てていたんですけど。厳しいトレーニングを維持するのも、試合に向かうのにも疲れ果てていました。だけどそんな厳しいトレーニングをしっかりしておけば試合でも常に万全で、気持ちよく挑めると理解していました。だから試合でも以前よりも落ち着けるようになって。より良いトレーニングができれば、試合もよりよくなるし、調子も良くなるから怪我も減って自分を良い状態に保てるんです。最後の数年はそうやって自分の方法を見つけられていたと思います。


素晴らしいですね。素晴らしい説明です。ケイトリン、あなたはカナダで45年ぶりの世界女王なわけですから、カナダでは大きなロールモデルになっているでしょうね。若いスケーターたちにアドバイスするとしたら何を言いますか?


いつも人に聞かれていうことは、「楽しみを持つこと」です。スケートに限らず人生はとってもハードです。絶対簡単になんかならない。いつだって障害物はあるし、何かがあなたの道を阻もうとするかもしれない。だけど、もしあなたが確信を持って愛せる部分がスケートにあるなら、それは振り付けでもジャンプでもスピンでもいいんですけど、私の場合は振り付けでしたが、何かそういうものがあれば、ダメな日があってもそこに戻ればいいんです、あなたが愛することに。悪い日が続いて、何週間も何週間も続くように思えたとしても、その愛することを思い出せばよかった瞬間も見つけることができるはずなんです。そうやって良い思い出を持ち続けて楽しみ続け、情熱を持ち続ければ、あなたのキャリアが終わる時にはそういったいい思い出しか残らないようになるんです。私が身を持って体験したことです。


素晴らしいアドバイスですね、素晴らしい。ケイトリン、先ほどコーチになることも選択肢にあると言っていましたが、ジュニアやシニアのシーズンで世界中を一緒に回るような、ブライアン・オーサーたちのようなフルタイムコーチになることは考えいますか?


今すぐではないですね。コーチにはすごく色々な仕事があって、私はまだそれに準備ができていないと思うので。コーチングするのはまだ緊張するんです。多くの人が私を慕ってアドバイスを求めてくれますが、何をいうべきか未だにわからなくてすごく緊張するんですよ。だからコーチングするときはいつもすごくアドレナリンが出るんですwだけど今はそれでも良いと思って他のコーチたちを助けたりしています。これまでずっと、今日は何をするか人に言われてきたのでまだ自分で何をすべきかを考えるのに慣れていないんです。自立した人間になるために勉強中です。


なるほど、本当に正直に話してくれて嬉しいです。スケートに限らず他のスポーツでもそうですが、優れたアスリートが優れたコーチになるとは限りませんよね。生徒たちがみんなあなたと同じ才能があるわけではないですし、人と批評することを難しく感じる人も多い。だからコーチは難しいんですね。


本当にそう思います。少しは良くなって着てるんですけど、でも何かを伝える時に一つずつ一緒にやってみせてどう感じるかを考えてから伝えたいんですね。だけど言葉だけではうまく表現しきれなくて、毎回「私の言ってることわかる?」って確認しながらなんです


ケイトリン、最後に日本のファンにメッセージをもらえますか?日本のショーに出ることがあるかどうかや、何か日本のファンに伝えたいことがあれば


日本の全てのファンの方に、本当にありがとうと伝えたいです。すごく刺激をもらってきたので。いくつかのショーで会うことができましたが、皆さん本当に熱心にスケートを見てくれていて、とても刺激的ですし、生きる情熱を与え続けてくれます。日本にすぐにでもいきたいと思っていますが、ショー等に出られるかどうかはまだわかりません。でも本当に行きたいですね。雰囲気や観客の熱が大好きなんです。だから、ぜひ応援し続けてください。素晴らしいことですから。早く日本に戻れると良いと思っています。


おっけーケイトリン、今日は貴重なお時間を割いてアイスタイムポッドキャストのゲストになってくれてありがとうございました。これからの将来にも幸運が多いことを願います。きっとこれからもリンクの上同様素晴らしい成功を収めるでしょうね。本当にありがとうございました。

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