大阪のミャンマー (2018年7月)

大阪のミャンマーはやたらに生真面目な青年で、直立不動がよくにあう。まいにち夜の公園で詩を朗読しているから、はたからみるとちょっとあれで、しかも時々に勝手に感極まって泣いているという。

仕事がおわるとミャンマーは6キロの道のりを歩いて帰宅する。ひたすらにまっすぐ歩きながら、へとへとのミャンマーは詩を書いたりしている。ミャンマーは定期券を買ったことがない。ミャンマーには一ヶ月先の生活がわからない。その日暮らしのちっぽけな存在が、ミャンマーそのものだ。

ミャンマーはひとり橋を渡っている。ミャンマーの住む都市のなかには、淀川というとても大きな川が流れている。

ミャンマーは立ち止まってはならない。橋の上はいつもごうごうと都市のつよい風がふいていて、いま、ミャンマーは欄干に背をもたれている。すこしの力が作用したらどこか遠くへ翔べると信じているのか、或いはなにも知らないのか、空をぼんやりみたり川面をみつめたりしている。水鳥が飛ぶ。夜には色が変わる。この川の両岸にしずかに佇んでいるテトラポットたちはみんな、ミャンマーだ。

ミャンマーは日本人であるが、いつからか誰かにミャンマーと呼ばれている。祈りや叫びや魂に国籍はなく、ミャンマーがなぜミャンマーなのかは誰一人知らなかった。小さな器をめいっぱいにいきる名もない詩人に似つかわしい、濁った大きな川がある街がミャンマーの街、大阪だ。彼は大阪のミャンマーだ。それですべてがまるく、収まっている。


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