立ち話みたいな、ネパール人との電話

朝起きてシーツを洗濯し、キッチンの水回りとガス台をピカピカにして、ゆで卵を朝ごはんにしてカフェオレを入れた。めずらしく、やる気に溢れた日曜の朝。

「仕事するぞ」と思ってパソコンと向き合い、スマホを手に取った。すると、留学先で知り合ったネパール人の友達からFacebookでの着信履歴があった。

思い切ってかけ直し、久しぶりにネパールなまりの英語を聞き、久しぶりに日本語なまりの英語を話した。長らく英語を話してなかったから、全然聞き取れないし、話せなくて困った。でも、たのしかった。

そのネパール人の友達は、相変わらずとてもおおらかだった。電波が悪かったり、ネパール英語が聞きとれなかったりで「え?なんて?」みたいなやりとりを何度かやっても、一切イライラしないでくれた。

そのかわり、わたしと久しぶりに話せるのが「ナイスなこと」だと、何度も言ってくれた。

その友達は、今はヨーロッパへ出稼ぎに出ていて、秋にネパールに帰ると言う。それを聞いてすっかりネパールに行きたくなってしまい、ネパールの観光スポットや航空券を調べていたら、もうお昼近くになっていた。

「全然仕事おわってないのに!?」と嘆きつつ、なんだか救われた気がした。

ここ最近、わたしは「自分もこうなりたい」と思う人、憧れる人に会ったり、会えない間もSNSでその人からパワーをもらうことが増えた。

そんな人たちを見ながら「わたしには何ができるんだろう?」と思っていた。

それは刺激にもなるし、焦りにもなった。

尊敬する人たちの背中がどんどん離れていくような漠然とした不安があって、追いかけたいと思うほど躍起になって、空回りしていた感じがする。

「前に進まなきゃ」という気持ちばかり大きくて、それを達成するまでの道筋や目の前の障害が全然見えてない感じだったと思う。今もまだ、道筋はちゃんと見えてないけれど。

そんなときの、ネパール人の友達からの電話である。

電話の内容は、どこか背中を押してくれるようなものじゃないし、なんなら、英語の聞き取れなさと話せなさと電波の悪さで、意思の疎通さえ怪しいものだ。

それでも、その友達との会話はたのしくて「ナイスなこと」だった。電話だけど、立ち止まってどこかに腰掛けて、のんびりと意味のない話をするような。そこに意味があるような。

一旦、立ち止まる時間もあっていいよな、と思う。前に進んだり、立ち止まったり、ときに後退したり。それでいいんだよ。



#日記 #エッセイ

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