なぜあの場所でichiが始まったか?

はじめまして。(そうじゃない方もこんにちわ)

ichi代表の松本麻衣子の夫の丈(たけし)です。私もichiの立ち上げから関わっている一人として、noteに色々と綴っていきたいと思っています。

さて今日は、なぜichiが、いわき市平の寂れた中心市街地の真ん中の、大工町公園の目の前で始まったのか?という話をしたいと思います。

普通に考えたら、郊外など土地代が安く駐車場が沢山取れるような立地の方が、子供の荷物を沢山持って車で移動をする子育て中の方たちをターゲットにした店としては良いような気がします。

それでもあの場所にichiはあるのはなぜか?それは、私がいたからに他なりません笑。

私は、震災後に地元いわき市にUターンしてからずっと、いわき駅前を拠点にまちづくり事業に携わってきました。当時は、寂れたスナック街をリノベーションした夜明け市場を運営をしていましたし、新しいまちのアクションを支援するNPO法人であるTATAKIAGE Japanの代表もやっていました。

そんな中、2015年、いわき市の中心市街地で、中心市街地活性化基本計画をつくるという話の中で、佐賀のわいわいコンテナなどを手がける建築家の西村浩さんや岡山の問屋町の再生をしている明石拓巳さんをゲストに招く講演会がいわきで開かれ、なぜか私も一緒に登壇をし笑、昼間のまちを再生する斬新な手法やリノベーションまちづくりについて知りました。(今となっては、西村さんや明石さんの凄さを知れば知るほど一緒に登壇の機会を頂いていたのが、恥ずかしくもあります。。)

夜明け市場だけでは、夜のまちにしか変化を起こせていないことに限界を感じていた私は、昼間のまちを再生する手法や全国の先進事例の可能性にすっかり魅了されていきました。(その後、リノベーションまちづくりについて学んだり、公民連携について学んだりをし始めることになりますが、その辺りは機会があればご紹介します)

講演会の後、いわき駅前の白銀町・大工町の未来のヴィジョンをつくろうという委員会のようなものが立ち上がり、そのメンバーにお声かけ頂きました。アドバイザーは、先ほどの建築家の西村浩さん。数回のワークショップや町歩きを一緒にする機会をいただき、まちにある一番の資源として挙がったのが、「大工町公園」でした。

大工町公園は、いわき駅から徒歩3分ほど歩いた場所の駐車場の目立つ寂れたまちなかに位置する小さな都市公園で、過去に悪さをする若者の溜まり場になってしまった経緯から、すべての物陰が撤去された、何もない、土がむき出しの「砂漠」のような公園です。人の居場所がないので、悪さをする若者どころか、ほとんど誰も来ない場所になっていました。

西村さんは、この大工町公園にこそ可能性を感じたのでしょう。ワークショップのまとめの場では、数あるまちの可能性から大工町公園が見事にあぶり出され、委員の若手が中心となって、公園から始まるまちの再生ビジョンをとアクションプランをつくることになりました。

最終的に私たちが発表したまちのビジョンでは、大工町公園を中心として、大工町の歴史であるものづくりを、DIYや手作り作品を個人がデジタル機器などでつくる現代の流れに合わせた、新しいものづくりのまちとして実現していくプランをつくりました。最終的には、公園とその周辺の遊休不動産を活用して店舗集積を図り、公園を中心としてまちを再生することを目指していこうというものです。

そして、大工町公園でまずはクラフトマーケットを開催して、いずれ公園周辺の物件でお店を出してくれるような候補となる作家さんを集めようとして2016年に始まったのが「だいくまちパークフェス」です。

出店してくれた作家さんの中から、うまく公園周辺の物件活用ができる方を探すことや、新しいものづくり文化をつくっていくことをが狙いでしたが、イベントが終われば、いつもの人のいない大工町公園と駐車場だらけのまちに元通りです。
そんな街では、いきなりお店を出したいなどと言ってくれる人が出るわけもないということに何回かイベントをしてみた後に気づき、それなら自分で空き物件の活用を始めてしまおうと考えました。誰かがリスクを取って日常の風景を少しづつでも変えていかないと計画は前に進まないだろうと感じたからです。

そうして、白銀町と大工町のビジョンを一緒につくった仲間でもあった不動産オーナーの猪狩さんに、公園前の物件を貸して貰えないかと話をし始めました。元クリニックで医師が引退して閉じてしまった後は、まちづくり会社の事務所になったりしていましたが、スペースを使い切っておらず、もっとうまく活用が可能だろうと感じていました。その物件が後のichiになる物件です。

ちょうど時を同じくして、妻の麻衣子が、託児所のあるカフェをやりたいと言い始めていて、うまく作家の中から物件活用が始まらないのであれば、妻のプランとこの物件をマッチングさせてしまうことができないかと考えました。

もともと、ものづくりをやっている作家さんは、主婦などの女性が副業的にやっている場合も多く、ママがターゲットになっているカフェのイベントやワークショップなどで、ものづくりにも取り組むならば、集客や母親同士のコミュニティづくりにも役立ちそうであり相性がとても良いように思えました。また、子育て中の女性をターゲットにしたものづくりという、新しいマーケットをつくることにもなり、これまで関わってくれていた作家さん達にも新しい作品づくりのテーマにもなりえるのではと思いました。

また、目の前の大工町公園の活用についても、託児所の園庭代わりにもなりえるし、子連れでカフェに来た方々にとっても、子供を遊ばせられる場所になるしと、子供が遊んでいる風景が目に浮かび、これはとても良いマッチングになるだろうと思えました。

そうして、ものづくりという文脈を取り込んだ形で、公園の目の前に託児サービスとサンドウィッチを提供する今のichiのスタイルが形づくられていきました。

何度も交渉を重ね、最終的には物件を借りることもでき、ichiオープンに向けての企画設計や、費用を抑えるための終わりの見えないDIY地獄が始まっていくのですが、その辺りの話しはまた今度したいと思います。

私の初回は、なぜあの場所でichiが始まったか、でした。
たった一つの物件のリノベーションからですが、目の前の公園を活用し、エリアの価値をあげ、昼間のまちなかの賑わいを再生させる、まちづくりの第一歩としてのichi、女性が一歩踏み出すichiという意味以外にもそんな意味が込められているのでした。単なる託児所があるカフェではなく、色々な背景や思いや狙いがあることが伝わったら嬉しいです。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?