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【エッセイ】おむすびころりん

祝日だった昨日、朝はゆっくりでもいいのに、娘はいつもと同じ時間に起きてきた。素晴らしい。

そんな娘は気分屋で、朝ご飯はメニューが何であれ、食べたり食べなかったりする。
何にするかを前日に聞いても翌朝の気分は違うらしい。かといって朝起きてから聞いてつくったとしても、ウチにネズミが居たのか?と思うくらいよくよく見ないと気付かないくらい齧られた跡がある…ということもある。

そんな娘が昨日は「おむすびがいい」、「自分で作る!」と言ってきた。
この日は私も朝活をしていて、早朝から起きていて、ひと段落した頃だったので、私にも余裕があった。それに、本人が自分で作った方が食べる率が高い。
だからお望み通り、自分でおにぎりをこさえてもらった。
私が隣でやってみせて、同じようにやる。
これが初めてなわけではなかったので、思い出したとでもいうように一度見ればできていた。

ガチガチになるまで必死にまん丸おにぎりを握っている娘を横に、海苔とお皿の準備をした。
そして満面の笑みと共に『できた!』と嬉しそうに見せてくれたそのまん丸おにぎりに海苔を巻く。そしてお皿に乗せた。
私の三角おにぎりも一緒にお皿に載せ、これまた嬉しそうに家族に見せに行く後ろ姿は何とも微笑ましかった。
しかし、同時にあるシーンが私の頭をよぎった。
昔話で見た『おむすびころりん』の名シーン。
おむすびが坂をコロコロ、コロコロ……。

まだ水平という概念は知らない5歳児。
だいぶずっしりと重いおにぎりが2つ。
しかも片方はガチガチのまん丸おにぎり。
陶器ではなく割れにくいメラミン製の軽いお皿。そして、出来たてを見せようと、はやる気持ち。

これらの要素が合わさると一体どうなるのか…
皆さんも想像に難くないことだろう。

そう、あの思わず頭をよぎったあの光景が、令和のこの時代でも見られたのだ。

向かい合った状態で私からお皿を手渡された娘は、自分の側の手前約4分の1の辺りを両手でしっかりと持った。
私が持っていた側のお皿は支えてもらっていた力を失う。下へ下へと向かう。
そこで本来なら唯一持っている人物が傾いていることに気付き、水平を保とうとするところなのだが…先ほど説明した通り、水平という概念はまだ持ち合わせておらず、家族に見せたいとの思いだけで目的・目標の為に突き進む。

すると、おにぎりの重さで少しずつ傾いたお皿から、まん丸に成形されたおにぎりが…見事なダイブ。
床にポトっ…コロコロ、ゴロゴロ……。

床を掃除したばかりで良かった笑。
3秒ルールだ!
サッと拾ってフーフーと息を吹きかける。チラッと目視でも確認しつつ、
『大丈夫!』
私がそう言いながら、見事なダイブとローリング
を見せたまん丸おにぎりをもう一度お皿に載せてあげると、悲しくて泣きそうな顔からもう一度ニカッと笑顔になった。
もう『ころりん』しまいと今度は慎重に、おにぎりを運び、満面の笑みで自分が作ったことを報告していた。

こんな朝の出来事。

 ・転がる前にドスっと落ちたが全く形が変わってなかったな
 ・まん丸おにぎりは思ったより転がったな
 ・令和版はフローリングなんだな

そんなことを冷静に考えてしまっている自分がちょっとおかしく思えた。

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