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終点は今ではない。ただどう足掻いても、わたしはここへ来るしかなかったのだろう。


痩せ細った、自分の白い手首が頼りない。
どうして、どうしてと。
これが涙なのか、わからない。

だってわたし、今まで何も出来なかった。
"何も"というのは当然話を盛っていて、ただ丁度いい言葉を探すと「何も」になってしまう。ここまでたった数百字書いただけで、わたしの目頭は熱くなっている。忙しい奴だなと、我ながら思う。

笑顔でいるのも、きっと貼り付けている。
わたしのことが大好きな人も、わたしが大好きな人もいつか死んでしまう。そして、わたしもいつか死んでしまう。終わってしまうことが突然怖くなった。それはわたしが「始めた」からなのだろうか。そんなことを帰り道でひとり、考え込んでいた。やけに明るい街灯、足元は自分で照らすしかなかった。もう冬になるというのに、別の匂いがした。地面とか、プラスチックの匂いだ。風邪はもう引きたくなかった。でも、どうして。わたしは鼻を啜りながら、めそめそと家の玄関を開ける。靴を脱ぐ前に、わたしは狭い自分のアパートの一室。「ただいま」と、力なく呟いたのである。



11月24日。わたしたちは文学フリマ東京というイベントに【ト-19】のブース番号にて出店しました。満島エリオさんちゃこさん共同主催によるエッセイ・小説合同誌『36.5度の夜』に、いちとせしをりのエッセイも載せていただいたのです。


その当日までの経緯のことは今まで書いてきたので割愛します。

少しでも興味を持ってくださった方のためにリンクを下に置いておきます。読まなくてもいいです、ただこの"今"のnoteを開いてくださったあなたを離したくはない。

もう読んでくださっている方は、ありがとうございます。そのまま最後までどうかお願いします。


『36.5度の夜』 わたしの描く女の子は、恋となる。

フォロワーから「読者」へ導くために、今のわたしに出来ること。

結局「わたしの好きにさせろよ」が麗しい。



当日、わたしは少し寝不足でした。
こんな日がまた来るとは思いませんでした。前日のわたしは興奮して上手く寝付けなかったのです。そのままわたしは朝5時に目覚めて、またnoteを書いていました。もう、考えて動いていませんでした。適当に朝ごはんを済ませる。意味がわからないほどシャワーを浴びた。顔は削れてしまいそうなほど洗った。自分の一番お気に入りのピアスを両耳に付けて、心を落ち着かせていました。


何よりわたし自身は文学フリマ初参加です。
主催は自分ではないのに、わたしも近い熱まで身体をもっていきたかった。何度も目を通した、文学フリマのホームページ。わたしは昔からそうだ、ゲームをする時も、家具を組み立てる時もまず説明書を読んでばかりいる。「とりあえずやってみよう」という感情を持てる人が少しだけ羨ましかった。


動悸がする。その音を自分の耳に通す。
最寄りの流通センター駅に降り立ったとき、人の多さに圧倒された。

「この人たち、みんな書いていたり、読んでいたりする人なんだ。」と。そんな子どものような感想を胸に仕舞った。そしてわたしは店を持つ側になっているのだ、と。自分の持っている責任を危うくその時溢すところだった。


会場は少し蒸し暑くて。
それがわたしの熱なのか、緊張なのか。何もかもよくわからなかった。入り口でカタログを配ってくれたスタッフの人が皆笑顔だった。「ありがとうございます」とわたしは小声でそれを受け取る。

ずっと身体の中が熱い。
激しい心の震えだった。
肋骨が折れてしまうかと錯覚する。

わたしは最初、誰かのブースに向かうわけではない。"わたしのブース"に向かう、その事実に少し唾を飲んだ。

もうすでにお店の準備を終えているところが殆どだった。何もかもが初めての景色と鼓動だった。【ト-19】を血眼になって探した。


そして数分迷った挙げ句、辿り着く。
【ト-19】にはすでに、エリオさんがいた。

そして机には、わたしたちの本。
『36.5度の夜』が並べられていた。

我が子みたいだった。
わたしはどの本に触れていいのかわからなくて、壊れてしまいそうだった。手にとった、わたしたちの本。ページをパラパラとめくった。

わたしの名前が入っている。
わたしの大好きな人たちと一緒に。

・お茶
・げんちゃん
・ちゃこ
・つきの
・満島エリオ
・雨野よわ
・いちとせしをり


本が、出来ていました。
「ありがとうございます。」

その時、すでにわたしは全身の力が抜けてしまいそうだった。そんなわたしたちの本は、最終的には予想よりも沢山の人たちに手に取ってもらえた。

何よりわたしは"内側"にいました。
そんな当たり前のことをひとつひとつ確認していた。会場に足を運んでいる、殆どの人が好きな本を目掛けて歩いている。それぞれのブースの前に立っている。外側にいる。ただ内側に自分たちがいること、全然当たり前ではなかった。書いてきた結果がここなのだろうと、わたしは勝手に感極まっていたのである。


わたしは、空っぽになった。
でもすぐに、会いに来てくれた。

「しをりさんと話したいって人が来てますよ。」


そうエリオさんが言った。
わたしはすぐに顔を起こした。

走った。とにかくわたしは走った。
会場は走ってはいけない。
そんなこと、ホームページにはわざわざ書かれていない。書かなくても守れることだからだ。だからわたしも守る、当然。走るというのは心の話で。わたしは内側にいた。でも、内側に居続けられなかった。考えて動いていなかった。でも感じながら動いていました。それぞれのブースは、一直線に繋がっていて。店ごとに間隔はあいていない。おおよそわたしたちのブースは真ん中に位置していた。ぐるっと外回りして、わたしはすぐに"外側"へと走ったのだ。


「ありがとうございます。」

手に取ったその本と、わたしは同じように相手の手を取った。ごめんなさいなんて、言いたくない。けれど嘘じゃない、嘘じゃないよね。わたしの言葉を読んでくれるの?って。ずっと心と、いちとせしをりと話していた。紙に書かれている、わたしは読んでくれるあなたの「栞」になりたかったのです。


とにかくわたしは、わたしたちの本を買ってくれる人が来れば、すぐに外側に行った。そんな落ち着きのない人は会場を見渡してもあまりいなかった気がする。

手に取ってくれたから、わたしも手に取りたかった。まだわたしに内側は早すぎる気がしたから。表情を飲み込みたかった。わたしは自分の容姿に物凄くコンプレックスがある。ここまで生きてきた、自分の外見が美しくないことなどわかっている。ただ"いちとせしをり"は、わたししかいないって。そんな心の支え方をしていた。いくら醜い笑顔だとしても、わたしなんだよ、わたしの言葉と表情なんだよ。「ここに来れてよかった。」始まってから、noteを書いている今も思っている、感じている。

店の顔は、主催のエリオさんとちゃこさんのお二人で。わたしはそれでも自分の出来ることを一日中探した。出来ることは限られていたとしても、拾う、集める、そして掴みたかった。



もっと、別の感動もあった。

わたしたちに会いにきてくれる。
その人たちはほとんどがnoteを書いている人たちだった。それもそのはず、執筆とイラストを手掛けたわたしたちは、noteで繋がっていたから。わざわざ書く必要もないくらい、嬉しくて。いつも言葉で会っている皆が、手に取ってくれる。幸せです。涙はずっと、足りない。感謝しても仕切れなかった。


ただ、来てくれた。
それはわたしのTwitterを見てくれていた人たちだった。

わたしは元々Twitterを昔からやっていて。ただnoteは今年の一月一日に始めたものでした。ずっとわたしは昔からSNSで生きていました。それでも実感出来なかったのです。わたしのTwitterとnoteのフォロワーの方はあまり共通していないと思っていたから。Twitterで毎日noteの更新を呟こうと、リアクションをあまり手に取ることが出来なかった。それも全てわたしが鈍感だっただけなのでしょうか。


外側から聞こえてくる。

「いちとせさん、買いに来たよ。」

その言葉を受け取るのに必死でした。
初めて会った。でも初めてな気がしなかった。
そんなこと今まで言ってくれなかったじゃん。でも、今言ってくれた。嬉しい、嬉しい。けれどわざわざ言葉にせずとも、伝わることもあったのだろう。

そんなことでいちいち喜んでいるところも、笑われてしまうのかもしれない。こうして言葉を打っていて、水滴でみるみるパソコンは汚くなっていく。


「一生懸命書いたんです。」

わたしは名刺を持っていない。
そんな丁寧にまだ出来ない。
それでもわたしに出来ること。
わたしだから出来ること。
わたしは読んでくれる、買ってくれるあなたにまず言葉と表情を伝えたかったから。

あなたの目の前にいる、これがわたしたちの書いた本です。そう当たり前のことを言い続けた。一生懸命作っていない人たちなど、あの会場にはいなかった。それでも言いました。「一生懸命書いたんです。」と。



そしてその日、買いに来てくれた。わたしにとって一番印象に残っている女の子がいる。その女の子がわたしたちの本を手に取ってくれた、そして買ってくれた瞬間。わたしはお手洗いに行っていました。

そしてブースに戻る途中。
遠くから見えた。
【ト-19】を目掛けて、走る。
その女の子は、わたしたちのブースを離れていくところだった。見失わないように目を凝らした。追った、心を。

顔を、表情を見たことがあった、それも昔からだ。もう躊躇っている暇はなかった。追いつき、わたしはその女の子の肩を叩き、言った。


「わたし、いちとせしをりって言います。あの、あの…わたしと昔からTwitter相互の方ですよね?」


わたしはSNSで顔出しをしていません。
その女の子は少しだけ顔出しをしていて、何と無く見覚えがあった。もしかして、もしかしてって。わたしのnoteにもTwitterにも読んだ感想をもらったことはなかった。でも、もしかして"いちとせしをり"が載っている本を選んでくれたの?って。

その女の子は当然、驚いていた。
わたしの顔は見たことがないはずだし、日々女の子になりたいと叫んでいるわたしの容姿は"男性"だったから。


それでもすぐに笑ってくれた。
必死にわたしは伝えた。
「ありがとうございます」と。


そしてその女の子は言った。

「"いちちゃん"の本、大切に読みます。」

そのハンドルネームは、まだわたしが"いちとせしをり"になる前。"いちちゃん"として活動してきた過去がある。そんな時間からここまできた。名前は変わっても、ここまで繋がっている。

苦しいと、優しいが同時に襲ってきた。書いている世界が、わたしの言葉がnoteの外に出たことを、彼女が一番にわたしを感動させてくれたのです。




Twitterでも書いた。
もっと届けたかったから。
会場に足を運ぶことが出来なくとも、読んでくれる人の言葉が欲しかったから。

このツイートもひとつのきっかけになり、わたしはその日沢山の方からDMを、言葉をいただいた。noteのアカウントは持っていなくとも、わたしの言葉と文章に触れてくれていた。


「良かった、」

わたしは、どこか虚無へ向かってnoteの更新をTwitterでしていた気がしたから。鈍感だったのはずっとわたしの方だった。「ごめんなさい」から、わたしの気持ちは「ありがとう」へと変わった。



そして、閉場する一時間前。
エリオさんはわたしに店番を任せてくれた。

ひっきりなしに外側へ走っていたわたしは、初めて椅子にひとりで座る。同じ景色のはずなのに、全然違った。通り過ぎる沢山の人の視線が乱れる。


エリオさんは

「無理して売ろうとしなくていいですからね。」

そう、優しく言葉をくれた。
きっとそれには沢山の意味が含まれていて。わたしに緊張してほしくなかったのか。そして届くべき人にだけ届けば十分だったからか。ここではそれは書き切れません。


唾をわたしはまた飲み込んだ。
責任が変わった。
エリオさんとちゃこさんに乗っかっていただけのわたしに、突然押し寄せてきた。

わたしは人と話すのは得意ではありません。すぐに言葉には詰まるし、汗も止まらなくなる。言いたいことと違う言葉を使ってしまうこと、それは日常茶飯事です。


けれど、わたしは"人"が好きです。
それを抱きしめて、前を向いた。

文学フリマでは、元々自分の知らない人のブースにも足を運んでいる人が沢山いました。そうなると、わたしたちのブースへも寄ってくれる人がいる。無言で手に取る。そんな人がわたしひとりの時も来ました。

ペラペラとわたしたちの本をめくってくれる。落ち着いていられませんでした。駄目な本だ、買う価値がないなんて思わせない。言葉が自然と溢れてきました。


手に取ってくれた、その瞬間わたしは伝える。

タイトルの話。
書いたメンバーの話。
意味も、生い立ちも、繋がりも。
こんな言葉なんです、こんな文章なんです。
そして、ここに書いてある。
わたしが"いちとせしをり"です、と。

心を座らせている場合じゃない。
声に出した、表情に出した。
すると少しずつ、寄ってくれた。


「じゃあ、これ一冊ください。」

わたしたちのことを全く知らない人に渡った。そのことが本当に嬉しかった。お世辞でも、無作為でもいい。一歩が、一滴を抱きしめたい。わたしがブースにひとりで構えていた時間はほんの数分だったけれど、4名の新しい「読者」へと渡った。心は跳ねに跳ねた。この高鳴りはずっと抑えたくない。


そして最後はエリオさんと店番を変わり、文学フリマ東京はあっという間に終わったのである。終わってしまった、皆で行った片付けすらも、終わってほしくはなかった。



文学フリマ後、わたしたちメンバーは一緒にお酒を飲みに行った。書いてきた話も、これからの話も沢山した。積もるだけではない。秘めておくことを曝け出せたのも、共に同じ本に生きた結果なのかもしれない。

そして皆の帰り時間も近づく。
居酒屋を後にし、ひとり、またひとりと。だんだんと「またね」を渡し、別れた。


最後まで一緒だったのは、わたしのことを選んでくれたエリオさんでした。


エリオさんと帰り道、ふたりで同じ電車に乗った。話すことが何も思いつかなくて、ずっと「終わっていく」一秒一秒が苦しかった。合間を埋めることが出来なくてごめんなさい、詰まらなくてごめんなさいって。わたしは電車内の広告を見ているふりをしながら必死に涙を堪えていた。

つり革に手を伸ばし、小柄でも大人な女性の佇まいをしている。横顔も綺麗なエリオさんは、いつも凛としていて。わたしもあなたのような「表情」が欲しかった。結局ないものねだりなのかもしれない。ただもっと、淋しい顔を見せて、と。あなたの表情を見ようとすればするほど見れませんでした。ただこれはわたしの想像だけれど、あなたは表情を、感情を眠らせている人だ。


最後に「またね」とエリオさんと別れる時。わたしは駄目になってしまいそうでした。本当はあなたにその場で抱きついてしまいたかった。でもあなたは女性で、わたしは男性でした。どうして自分はこんな時も女の子になれないのだろうとまた違う涙も出そうになる。終電も近い、改札の前でわたしがあなたに抱きついてしまったら、きっと変な目で見られてしまう。誰も見ていないのに、わたしはそういう"目"を想像してしまう。正直に生きたかった。でも"今" が正直でした。「わたしが女の子だったらもっと簡単だったのかな。」もしいつかわたしが正真正銘の女の子になれたら、一緒にどこだって行けるのに。手だって、もっと簡単に取れたでしょうか。あなたの白い手首に触れたかった。化粧室にだって一緒に入れる、もっと女の子の話だって出来る。わたしは、あなたとずっと一緒にいたかった。あなたの目が最後少し潤んでいた気がしたのも、気のせいだったのだろうか。わたしは涙がずっと足りない人生だった。生きづらさではない。わたしは生きやすい人生を拒んでいる。別れた後もわたしはあなたに長文でメッセージを送った。最後の文章に、"返信は不要です"と添えようと思った。重たい奴だと思われたくなかった。でも、消しました。だってわたしはあなたからの返信が欲しかった。ずっと、あなたの言葉が欲しかったのです。誘うような真似をして「ごめんなさい。」ただ、あなたはこの本に『いちとせしをり』を誘ってくれた。本当に「ありがとう。」書いても書いても納得出来ない人生を送る。もっと、あなたの底に眠った"表情"をいつかわたしが手に取ります。


ここへ来れてよかったとはまだ思えない。

ただわたしは書くことをする。この場所に来るしかなかったのだろうなって。数えきれないほど挫折してきました。失敗です、不出来です。悪口も陰口も使いました。人をいじめたこともあります、いじめられたこともあります。人を殴ったこともある、嘘をついた過去も全て綺麗に心に仕舞ってあります、覚えています。大好きな人の幸せを、自分が受けたように感じれる。わたしは人より涙を無駄遣いしてきたのでしょうか。涙は無限ですか、有限ですか。そもそも計るものでもないのでしょうか。背中を押したい人もいる、でもそれ以上に自分の背中を押してほしいと思う人がいるのはおかしいことではないはずです。わたしの「一滴」をこれからも、読んでほしい。本に載っているわたしのエッセイのタイトルは『一滴が欲しい、隣の花がわたし。』です。愛する人の隣に咲いていたい。水を自分で得る力がないこと、それは関係ない。わたしは愛する人から水をもらいたかった。愛する人の水で、わたしは誰よりもその分 根を強く張り、特別綺麗に花を魅せるのです。たとえ水がなくとも、わたしは生きれます、生きてしまいます。最後まで枯れることはありません。何故って、わたしはあなたに持てる愛と言葉を全て渡すという未来が残っているから。いくら選ばれようとするなって、言われても出来ないです。わたしはあなたに、読んでくれるあなたに振り向いてもらうために、自分で選んだ自分の言葉を抱きしめたり、突っぱねたりしています。でも、大事にしています。大切にしています。あなたのことも、自分のことも。全部、ぜんぶ。


今回頒布した合同誌。
『36.5度の夜』

手に取ってくれた、買ってくださった方々。
わたしたちの言葉が載った本を「欲しい」と言ってくれた方々。届いていますか。言葉も、表情も。

これからも"変わらず"書き続けます。
それだけではありません。
"変わりながら"書き続けます。

大人になっても、また大人になるのです。
いちとせしをりになっても、またいちとせしをりを目指して書き続けます。


生きやすさを提示するのは、わたしの役目ではない。


わたしの生きている姿を見てほしい。

あなたには、わたしと同じ水を飲んでほしいのです。

そんな心の書き方だって、ここにあってもいいでしょう。


書き続ける勇気になっています。