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ここからやっと、"正真正銘"の女の子を目指せる。


彼のことをエッセイにしていた。
わたしのことをエッセイにしていた。
ふたりのことを、エッセイにしていたのだ。


「ねえ、本当にこれで良かったの?」


花束を抱えきれないほど、もらった。それでもわたしは抱えていた、抱えていたかった。

自分の顔が見えないくらいに。あなたに、表情を渡したくて。そんな気持ちもただ、わかるでしょう…?



わたしは昨日、自分にとって「最高」のnoteを書き、公開した。



「好きな人が、恋人になった。」

それだけのことを5000字に起こした。
書こうと思えば、いくらでも書けるけれど、そこで"ひとつ"にした。わたしがいつも投稿しているエッセイと同じくらいの文字数だった。ただ不思議なことにいつも以上に書くのに時間はかからなかった。元々わたしはこうなることがわかっていたみたいに言葉がするすると出てきたのだ。

現実で、今この瞬間でも恋と愛がどこかで起こり続けている。わたしは自分で書いたエッセイをnoteで公開した後も、何度も何度も自分でそれを読んだ。そうしている間にもTwitterではわたしに言葉を送ってくださる方が大勢いた。いいねが押される、スキが流れてくる。シェアされ続ける、リプライが、DMが届き続ける。わたしは大切にひとつひとつ言葉をリツイートし、タイムラインに添わせていた。


「幸せだった」と、これを一言で終わらせることは出来ない。元々わたしは人の幸せを見ることが得意ではなかったから。


自分のことを見てほしいと思うくせに、"自分への言葉"を誰かに見てもらうことに躊躇いがある。ただわたしは、止まれなかった。

「最高」のnoteを書いて、noteもTwitterもわたしをフォローしてくれる人は増えた、けれど同時にわたしから去っていく人も当然何人もいた。わざわざそれが誰だったかなんて、確認はしていない。哀しい言葉だろうか、わたしは自分の幸せで人をふるいにかけていたのかもしれない。涙の痕跡を必死に拭き取ろうと踠き、息を止めて"いちとせしをり"の中に潜り続けた。


そのわたしの姿を、最愛の彼が隣でずっと見ていた。

彼のことをわたしが書き、わたしが読んでいた。これを「作品」と呼べばいいのか、わからなかった。呼んでしまったら、結婚できないのであれば、わたしと彼のエッセイは、もうこれを一生越えられない気がしてしまった。踏み込めない、透明な沼に落ちていく。わたしは彼と生活をし、"創作"をしていたのか。

涙の終わりが見えなかった。
鼻の奥が痺れ、熱くて触れないほどの水滴が零れ続けた。瞼が膨れ上がり、手で触れば簡単に取り出せそうだった。


蓋をしていた。それも、半開きで。
わたしは「女の子」にはなれないのだと思った。書いている時のわたしは間違いなく女の子だったはずなのに、外へ出ればわたしはどこからどう見ても、違った。恐怖と幸福は混ぜてはいけなかったのだと思う。


「最愛の彼の、わたしは恋人になった。」

わたしはここから、やっと始まる。

正真正銘の女の子になる。なってもいい気がした。

誰にも止められていなかったのに、わたしがそれに蓋をしていた。今までもわたしは「女の子になりたい」と叫んでいた。30年弱生きている、わたしだって。自分の容姿がどれほどのものかくらいわかっている。"劣っている"のだ。ただその劣等は、言い訳に使えるのか。わたしは街ですれ違う人に「かわいい」と言われる、思われることがゴールだったのか。劣っているというのは、わたしは誰を見て言っていたのか。比べる必要はそもそもあったのか。わたしに限った話ではない、なりたい姿は、容姿だけで叶えるものではなかったはずなのに。


わたしは、ずっと男だった。

両親は目一杯の愛と共に、わたしに男の子の名前をつけてくれた。わたしには姉がひとりいて、わたしは待望の男の子だったのだ。一姫二太郎を願っていたと聞いた。姉を生む前に流産を母は三回したらしい。そんな後にわたしがここで生きている。

どれほどの苦しみで、痛みで、幸福だったのだろう。

男を捨てたいわけではない。男だったからこそ得をしたこと、数えきれないほど存在している。


もっと、自分のなりたい姿があった。


『性別を、変えるのだ。』


わたしが生まれる瞬間までは巻き戻せない。再生し続けるしかないのだ。こうして言葉を紡いでも、わたしの寿命も「女の子」の寿命も後ろから猛烈な勢いで追いかけてくる。

もう嘘はつけない。
女の子の格好は出来なくてもいい。
女の子のように化粧を出来なくてもいい。
女の子のような爪になれなくてもいい。
スカートもワンピースもハイヒールも、何もかもわたしには、似合わない。「似合うかもしれない」と、自分の中で思ってしまうことも恐ろしい。いや、本当にそうやって仕舞っていればわたしは十分だったのか。


『 わたしは書いて、それを仕事にしたい。』

容易くはないどころか、そこは本当に一握りの人しか辿り着けない場所なのだと思う。わたしの言っている"書く仕事"というのは、ライターという言葉よりもきっとエッセイストという言葉の方が近いことを、ここで書くようになってから知った。


話は少し逸れるけれど、わたしはnoteのプロフィール欄に【毎日更新〇日目】という言葉を入れている。それは当然、日々数字が変わっていく。18時半に投稿ボタンを押す。自分のエッセイが更新されていることを確認し、わたしは静かにその数字をひとつ増やしている。


毎日更新は、noteの街でもう流行ってはいない。むしろ大切に、時間をかけてひとつのnoteを書いた方が良い、そう書かれた記事をわたしは何度も斜め読みし「スキ」を押してきた。その意味をわざわざここで説明はしないし、書かなくても伝わると思いたい。

noteを書くことは、わたしにとって一冊の本を作っているような気持ちだった。ここで書くことがわたしにとって夢に近づいていた。もう、好きなだけ笑えばいい。本当の意味で白紙のページがある本は、誰も手に取ってくれない気がしたから。


生々しい言葉を使うのであれば、わたしは「いちとせしをり」を読んでもらった、それで得たお金を使って自身を正真正銘の女の子に変えていきたい。

その方法はたくさんある。
メディアにわたしの文章が載る。いちとせしをりの本が出る。noteで書いていることもそう。彼と愛を積み上げてきた、それと同じように、わたしは書いて"なりたい姿"を叶えたい。


今わたしはとある飲食店で週5日働いている。そのお金を少しずつ貯めて正真正銘の女の子を目指すことももちろん可能かもしれない。でもわたしの生きたい姿は「いちとせしをり」なのだ。飲食店で当然わたしは自分の本名を名乗り、仕事をしている。男だった、ずっと。毎日毎日「わたし」と「俺」を往復している。体が、心が、今にも壊れてしまいそうだ。

手術をして、正真正銘の女の子になった人の話も沢山読んできた。そこに綺麗なものはほとんどなかった。性別を変えて、心体の行方はどうなるか。仕事の選択肢、家族への接し方、恥部の痛み。あまりの"現実"に命を落としてしまう人もいるそうだ。


彼にわたしは心の中で聞いていた。

「ねえ、本当にこれで良かったの?」

わたしがこの場所でエッセイを書いていることを彼は知っている。「女の子」として書かれた300以上のわたしのエッセイを彼は読んでいるのだ。

今まで書かれたくなかったこともあっただろう。ただわたしたちにとって「最高」の日が訪れた。それをわたしは書いた、実際に。書くに、決まっていた。



これを読んでいるあなたは、何になろうとしている。

この世は、ほどほどに生きていけるように作られている。そもそも何かを目指すことは全員が求められるものでもない。夢を聞いてくれる先生は、いない。語るだけで、叶えようとしなくても誰も本気で叱ってはこない。残酷という言葉すら勿体無いくらい、何も起きないのだ。

したい仕事、生きたい場所、結ばれたい相手、描く家庭。どこまであなたは走っている。わたしは、どうだ。いつまで書くつもりなんだ、死ぬまでか、そうか。

孤独の歩き方よりも、わたしは"ふたり"の歩き方を知りたい。


恋人になって、わたしは彼と話をした。


「あなたとのエッセイを、書きました。」
「はい、わかっていますよ。」
「わたしと恋人になって、どうですか?」
「難しい質問ですね。」
「たまにはわたしも意地悪したくなるのです。」

「しをりさんはこれから、女の子になる。僕から見たしをりさんはもうすでに女の子ですが、それで満足はしないことは、わかっています。」
「さすがわたしの恋人ですね。」
「なりたい姿って、なんなのでしょうね。僕は毎日それを考えるきっかけを持っている。」


わたしは彼と、深呼吸をしていた。
鼓動を空気に貼り付けて、眺めている。
雲があっても夜空は作れるのだ、彼の一滴をわたしは誰にも渡さない。花束は抱えきれないほどもらった。今度はわたしが花束になって、あなたの胸に飛び込む。


わたしの想いに、ついてこれますか、ついてきてくれますか。

いや、表現の色が違った、言い直そう。
真っ直ぐに並ばなくていいよ、広がって歩いてもここでは邪魔にならない。横にいてほしい。目線って、隣にいないと、合わないのよ。

どうやら人生は退屈なくらい長いらしい。ただ愛する人の人生は、短く、儚く映ってしまうのはどうしてなのだ。


蓋は、彼に渡した。

わたしは、正真正銘の女の子になる。

だから、書く。明日も、明後日も。

正解がわからないなんて贅沢はいうものじゃなかった。正解をみんな自分で持っている、作ればいいのだ。創作って、そういうものなんじゃないか。


夢、追いかけるだけじゃない。

手を繋いで、一緒に街を歩いてもいいのよ。


書き続ける勇気になっています。