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三年振りに会った心療内科の先生に「もっと頑張りなさい」と言われた話。


「一生懸命なのはわかるけどさ。」

棘のある言葉が降ってくる。
でも、それは棘ではなかった。わたしの痛覚が、至る所に存在していた。裸でいたかったわけではないのに、このままではわたしは身動きが取れなくなってしまう。

踠いている気になっていました。
けれどわたしの姿は誰から見ても滑稽で、不合理で。

わたしが生きているだけで誰かに迷惑がかかっている。わたしが生きているだけで誰かが苛ついている。わたしが生きるためにお金を稼いでも、わたしがいるせいで誰かが豊かに生きれなくなっている。生きていない方がいい、でもここから離れる勇気もありませんでした。どこへいっても自分が必要とされない、自分をどうしたら必要とされるかもわからない。そして、不思議なことに必要とされた日があっても、それを素直に受け取ることが出来ませんでした。


駄目な人間は誰なのでしょうか。
これから先、わたしは生きてしまう。
だったら話を聞いてもらう他ない。
書いて、それを読んでもらう他ない。
絶対にそれだけがわたしのやることではないけれど、それでもわたしはその"絶対"を信じていたかった。依存しやすい人間で結構だ。異性からモテなくて結構だ。わたしがこうして叫び、囁くこと。わたしだけが見て感じれること、その先へ。


この文章は、わたしがわたしと約束をするもの。

毎日笑って過ごせる人がいるのであれば、毎日泣いて過ごす人がいてもいいはずでした。



財布を軽くしたかった。

わたしは仕事を終え、家に帰る。
その時何気なく財布の中身をみていました。


苦しそうに見えた。
お札の向きが揃っていた方がいいとか、レシートが沢山入っていると不幸になるとか。そんな呪いは信じない。ただ財布の中に溜まっている病院の診察券を取り出すこと、それがわたしにはまだ出来ない。お守りでもない、誰かに見せびらかすこともない。わたしには障害があるのかもしれない、ただそれを本当は盾にして許されたくはありませんでした。

そうして財布の中を整理していると、一枚の紙のカードが出てくる。そこには女性の名前、そして裏面には日付が書かれていました。




三年前に、わたしは心療内科での治療と加えてカウンセリングを受けていました。当時わたしは会社で鬱病になり、パニック障害と病院で診断されていました。もうきっとあの頃のことは忘れない、忘れられない。今でも思う、人生で一番死にたくて、生きたいと思っていた時期でした。


そんな時に受けていたカウンセリング。
薬を飲むのはもちろんのこと、そこで自分の話をして心を落ち着かせていました。今思えばその時間は大切でした。けれど当時は、ただでさえこんなに辛いのに、お金を払ってまでどうして人と話をしなければいけないのだろうと思っていました。


会社の休職期間中に受けていたこともあり、診断書をもらうためにわたしは受けていたようなものでした。ただ次の会社での内定が決まったと同時にわたしはそこへ次第に足を運ばなくなっていました。それはきっと"弱い自分"を見つめたくなかったから。


正直今も、わたしの精神的に不安定なところは治っていないと思う。街を歩いていてもふとした時に身体が痺れ、息が出来なくなることは日常的で。こうして文章を書いている時も、自分が正常であるかどうかは自分でもわかりません。書くことは好きだけれど、わたしは"不安定な自分"を引き出そうとしてしまう日もあり、余計に心が毎日のように混沌としていました。



きっかけはありませんでした。
でもきっと"今"がきっかけでした。

わたしは紙のカードに書かれた、そのカウンセリングをしている女性に電話をして、日程の予約を身体が勝手に取っていました。いつもなら震えるはずの声も、何故かその時は震えませんでした。


○月○日、○時〜

受けに行くのは自分のはずなのに、わたしは他人の予約をしているような素振りでした。



そして、カウンセリングを受けに行く当日。
わたしはいつものように文章を書いて過ごしていました。もう、わたしには他にやることがなかったから。その日のごはんは冷凍の炒飯。もう何度も食べている味。そのはずなのに、その日食べた味は少しだけなぜか苦かった。

わたしは三年前とは住んでいる場所が変わっている関係で、カウンセリングをしてくれる病院は電車で一時間以上かかる。徒歩もいれたら一時間半くらい。それくらいの時間をかけて、わたしはまたその女性に会いに行っていました。


病院の最寄り駅に降りる。
そこの匂いは感じたことのあるものでした。
歩けば歩くほど戻ってくる記憶。
いつも行っていたコンビニはクリーニング屋に変わっていた。他の場所では新しく牛丼屋が出来ていたし、大きなマンションがいつの間にか出来ていたりもした。何気ない脇道も覚えている、あそこでわたしは友達からきた電話を無視していた。そしてあの道を通ったときは、わたしが消えたいと思った道だ。独り言は加速する。ただ整骨院の看板が少し薄汚れている、それだけは変わっていなくて少し安心したりもした。


普段のわたしは六桁の数字すら暗記出来ないのに、ただこんな記憶だけがずっと頭の隅に残っている。場所に降り立てば、するすると帰ってくる言葉。わたしは間違いなくこの道を歩き、カウンセリングを受けに行っていました。


わたしは別に"診察"を受けるわけでもない。ただ受付は病院を通さなければいけない。他の人が入る部屋とは違う、少し異質な扉をわたしはノックした。


「はーい。」

奥から声が聞こえる。
扉を開けると、そこには変わらず三年前と同じ"先生"が待っていた。年齢は聞いたことはないけれど、多分40くらい。それでも肌艶があり、淑やかな女性でした。


「いちとせさん、久しぶりだね。」

本当に覚えているか不安でした。いっそ覚えていてくれなくてもよかった。わたしは何かをきっと話したくて予約をとったのだと思う。その答えを部屋に入るまではわからなかった。でも入るとすぐにわかった。


「あの、覚えてますかわたしのこと…またこんなタイミングで来てすみません…」


わたしはいつだって謝っている。
癖ではない。本当に謝るべきだと思って、言葉を選んでしまっているのだ。そしてそんな謝っているときにも、カウンセリングの設定されている60分という時間は刻一刻と削れていった。


ただ、覚えているのはわかっていた。正確にはきっと"覚える姿"をしてくれていました。先生の机には見覚えのある分厚いファイル、そして薄いパソコン。そこにきっと残っていたから。わたしの名前と、わたしとの会話全てが。


いつも話してくれていたから、

「あなたとの話を、こうして書いているの。覚えておくためじゃない。ただ書くと、残るからよ。」

そう上品な声で話す先生が少し、好きでした。


先生はすぐに、最近はどう過ごしているか、それを聞いてくれました。わたしはその言葉を聞いて、食い気味に話し始める。

フリーターとして飲食店で働いていること。
そして何より言葉と文章を書いて生活していること。それが好きで書いているということ。こんな文章を書いて、こんな言葉をもらえたこと。いつも以上に熱を持って書いたけれど、届けたい人には届かなかったこと。書いていたら会いたかった人に会えたこと。書けなくて苦しかったけれど、書かない日を作る方が何倍も辛かったこと。涙でずっと自分が情けなくて、自分が何者でもないことがわかっていてもエッセイを書いていたこと。これからも書いて、生きていたいこと。ずっとずっと。


息継ぎをしていないかのようにわたしは話す。

残された命があと少しで尽きてしまうかのようでした。話すことはまとめていなかったのに、気づけばわたしは"書いていること"の話をずっとしていました。

わたしは自分の話をおそらく、50分ほどした。先生はただ頷いて、相槌をくれて。そして最後の10分で、こう言いました。


『もっと頑張りなさい。』


胸が、止まりそうでした。
同じ言葉を、わたしは当時会社の上司に言われていました。きっとわたしは頑張っていない姿が周りに映っていたから。でも頑張り方も、頑張る道もわたしには見えませんでした。そのままわたしは倒れ、この病院、そしてこの先生に出会った。



涙は先生の前では流しませんでした。
カウンセリングはあっという間に終わった。

受付に行き、会計を済ます。
60分のカウンセリングで4000円。
これを高いと思うか、安いと思うか。
今のわたしは、その値段をあまりみなかった。そこに意味はなかったと思えたからだ。


病院を後にし、わたしは帰りの駅のホームで夕方の空を見上げる。眩しさを理由にして。わたしは心を、自然と零していました。



ずっと、痛い。


それでも今のわたしは『もっと頑張りなさい』なんだ。

頑張っていいんだ。
昔と同じ言葉のはずなのに、その声は優しく、背中を押してくれるようでした。


” やっと、自分のやりたいことを頑張っているんだ。だから書いていいんだ。別に誰かに言われて始めたことではなかったけれど、ここまで来れた。でもまだ、全然足りない、満足なんて出来ない。わたしの文章、言葉があなたにも君にも、彼にも彼女にも届けなければいけない。だから、ねえ。”


自分なんて、いらないと思っていました。
でも本当は思っていなかったからこうしてまだ生きている、そう考えることだって出来る。

誰かに聞かれた。
「大丈夫?」って。
大丈夫ではないけれど、答えるのだ。
「頑張ります。」って。
頑張っているか、頑張っていないか。本当はそれが問題ではない。過程なんて、誰も見てくれないのだ。結果が出て、初めて少しだけ触れてもらえる。それくらい過程は儚い。過去の描写は勝手に描かれない。だから自分で見せつけるしかないのだ。



三年振りに会った、あなたが「もっと頑張りなさい」と言った。それにわたしは救われているのだろうか。救われているのだろうな。けれどもっと多岐に、そして星のように伸びる。


これがわたしの人生なんだ。
どこにも残らない。結果が出ても灰になる。
それが人間なのだ。苦しい、気持ちいい。

頑張れと言われると、頑張っていないみたいだった。でもあなたの頑張れは、わたしの"頑張り"を押す。

大人になって、言葉の意味を考えすぎるようになっていました。辞書を引けば、携帯で調べれば、言葉の意味は出てくる。でもそれよりも、わたしの心に正解は載っている。


俯いている人に、前を向いている人に。
闇雲に"頑張れ"は使えない。
それくらい繊細なのだ、わたしたちは。

わたしたちが頑張っているかいないか。それが問題ではない、誰も証明は出来ない。


ずっと、好きなんだ。
わたしはこの心と住んでいる、生きている。
わたしはこの感性と住んでいる、生きている。

今までも苦しかったし、今も苦しい。
涙は止まっても、また流れる。今だって流れている。


『頑張らなくていい。』

その言葉はきっと誰でも言える。
宙に、浮いているのだ。


” 泣いている人に、本当に手を差し伸べられる人は誰なんだ。逃げてもいい、頑張らなくていい。でもその先のわたしの居場所なんてどこにもないじゃないか。頑張らない生活は、欲しい。でもわたしは誰かに『頑張らなくていい』が言えない。だったら頑張るしかない、でも頑張れない。結果なんて出ない。それでも導く方法を考える。そして『もっと頑張りなさい』なんだ。”



働き方も生き方も。
世の中は変わってきている。
"弱い人"ほど惑わされてしまうのだ。
わたしも弱い、昔も今も。
けれどわたしは『頑張らなくていい』が信じられなかった。

皆で手を繋いで生きているわけではない。
特別な人間でもなければ、どこかで涙を堪えなければいけない。


自己啓発ではない。
ただわたしは笑っているだけではなく、泣いている時間も大切にしていてほしかった。涙で強くなることはないけれど、流れたそれが無駄なことなんてない。

誰も他人を救えない。
だから掬う、自分で自分を。

わたしはこれからも、わたしが感じれる全てを包み、大切に生きていきます。ねえ、羨ましいでしょう?


書き続ける勇気になっています。