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誰かの記憶に残る女の子になって 擦り切れるまで再生され続けたい


多分、ひとりではずっと歩けない。

一人暮らしをしているのに、誰かの帰りをずっと待っている。食べ飽きた冷凍食品、飲み飽きることのない珈琲。毎日同じ風を浴びているようで、全く同じなんてことはない。寝言で文章が完成していたらいいな。遊んでいるだけで家賃がなくなればいいな。蛇口からポタポタと垂れている水滴にもお金がかかっていて。わたしはそれに心と身体を売り、約束を果たせずに生きている。

短い文章がうけて、これでいいんだと思わないでよ。感じたこと、全てを表現することは出来ない。きっとその中のほんの数滴を大事に書いて、吐き出しているのだ。



祖母に、会いに行った。

意味がないように見えることほど意味がある。意味のあることほど簡単に忘れてしまう。全部気のせいだ。生まれたことも、傷つけたことも、幸せも全部。

早起きは得意だ。
今となっては仕事に行くために毎朝4時には起きている。その日はいつもより遅めの5時半に目を覚ました。顔を洗い、歯を磨く。前髪が上手くいかなかったけれど、そこに気づく人と今は会いたくない。すっぴんでも強い女の子になりたいな。わたしはこうしてベタベタと化粧水と乳液を肌に馴染ませている。


普段とは違う、小さな鞄を背負った。
だって持っていくものはもう心に仕舞ったから。天気がいい日、天気が悪い日。それを聞いて"晴れ"を想像するのはどちらでしょう。前者を選ぶのは幸せな人、後者を選ぶ人は文章の読みすぎだし、嫌いな食べ物をきっと我慢して食べられる人だ。全て個人の感想である。

駅に行けば、人が当たり前のように生きていた。わたしは相変わらず黒い服を着ている。悔しいな、色が欲しい。黒も立派な色なのに。桃色の服に袖を通した時の気持ち、いつかわかるだろうか。わたしという感情が、糸の切れた凧のように宇宙へと消えていく。


久しぶりの電車は緊張する。
別に、なんてことはない。
今までもこの乗り物に身を預け、運んでもらっていた。わたしの祖母は群馬に住んでいる。群馬の中でも本当に本当に田舎。東京から群馬、時代は進み簡単に足を運べるようになった。少し線路を乗り換えれば、すぐに見慣れた景色が目に飛び込んでくる。月日が経っても忘れることはない。この少し寂れた車両に乗り込む瞬間が、どこかわたしを別の世界へ運んでくれる気がした。

もっと早く着く方法もある。
それでもわたしは一番時間のかかる各駅停車に乗った。それでよかった、それがよかった。どうせ無駄遣いしたところで、人生はきっと余る。それに、これは無駄ではない。お金よりももっとわたしは大事なものを乗せ、一生変わらないかのように思える、田んぼを車窓から眺め続けていた。空いている車内。席を譲ろうとしなくてもいい。一車両一人くらいしか乗っていない。そんな贅沢をして、少しだけ背徳感を持った。


もう少し、もう少しだ。
電車を乗り換え、長い時間をかけてたどり着く。そして最後に乗る電車。その色は深く、そして群馬で一番艶やかな電車だ。わたしはその電車がいつまでも手動ドアであることを望んでいる。ただもうそれも、終わる。駅に着けばドアは開く。さみしいよ、そんな普通にしないで。わたしはその重たいドアを一生懸命開けていた。冬は雪が降って、それが溶けてドアの溝に水が溜まる。そこで足を滑らせないように慎重に歩いていた。開けっ放しにしてしまうと中の人が寒いから必ず閉めるのが暗黙のルールだった。でもそれを嫌々している人はきっといない。もっと純粋な気遣いをして生きていたいから。変わっても好きだよ、と、つり革を撫でる。わたしは気を抜くとすぐに無機質なものと一方的に会話をしてしまう。でも、でも君の身体は温かい。



秋の風が好き。
森の色が好き。

わたしは祖母の家の最寄り駅に着いて、一安心していた。駅には赤と青のベンチがある。わたしは迷わず赤色を選んだ。自動販売機で温かい珈琲を買う。ガコンという音がしても、落ちてこない。少しだけ叩いたら、落ちてきた。痛くして、ごめんね。


ここからまたわたしは歩く。
20年前は、この道を一時間以上かけて歩いていた。ただわたしは大人になり、40分もすれば祖母の家に着く。なんの努力もしていないようで、しているのだ。誰にも手をかけてもらえていないようで、わたしは誰かに力をもらって育ってきたのだ。そんな簡単なことを足元にあった石ころに重ねる。


誰も住んでいない家が並ぶ。
それでも誰かがここで住んでいる、暮らしている。殺風景なんて言葉があまり好きではない。耳からイヤホンを外して、わたしは景色に音をのせた。

目印なんてない。
それでも身体が教えてくれる。
ここを右に曲がれば、よく遊んでいた公園だ。そこにある鉄棒で前回りの練習をしていた。楽しくて、楽しくて。調子に乗って何回もしていたら、シャツが鉄棒に絡まって降りれなくなったりした。その時助けてくれた姉は腹を抱えて笑っていたけれど。宙ぶらりんのまま泣いていた当時の自分を思い出し、わたしもまた、ひとりで笑った。

そこの近くには神社もあった。
子どもの頃は神様なんていないと思っていた。石像にべたべた触り、入ってはいけないであろう場所に入ったりもした。育っていたきのみを勝手に食べた。落ち葉をたくさん集めて、それに頭から突っ込み"焼き芋ごっこ"をしていた。今思い返しても何が面白かったのかわからない。ただその時のわたしは間違いなく笑顔で、将来に不安などなかった。家賃も光熱費も払う必要のない生活をしていた。そしてこれは20年越しの後日談だが、きのみに毒がなくて、よかった。


そして歩きに歩いて40分。
左に曲がれば、ある。
用がなければそこの道を通るはずもない。誰も気づかない。それでもそこに住んでいる人がいる。一歩二歩三歩。そこにいたのは"おばあちゃん"だった。


「しをりちゃん、よく来たね。」


わたしはもう今年で27歳。
段々とわたしを"ちゃん付け"で呼んでくれる人もいなくなってきた。でもずっとわたしを女の子にさせてくれる。甘いのだろうか、甘いのだろうな。ただそんなおばあちゃんがわたしは大好きだ。

おばあちゃんはスマホも持っていない。
家にあるのは黒電話で、驚くことでもないのかもしれないがまだ使えるらしい。指を入れ、じりじりと音を立てて数字を打ち込む趣には、画面をフリックしているだけでは到達出来ない。わたしが着くのは11時頃だと伝えてはいたけれど、当日なんのやりとりもしていない。わたしが遅れてくる可能性もあったのにわざわざ外で待っていなくても良かったのに、と。そう思いつつも、寒そうに待ってくれていたおばあちゃんを見て、わたしは幸せを感じてしまった。


「お料理作って待ってたのよ。」

そう言ってすぐに家にいれてくれたおばあちゃんの背は少し縮んでいた気がした。わたしの背が今更伸びることなんてない。ただその小さな手と、小さな身体を見ただけで、わたしは生きる勇気をもらっていた。


玄関は引き戸。
部屋は和室。
身体がしんどくなり、ボットン便所から洋式トイレに変えたという話を聞いた時は、流石に時代に感謝をした。

どの季節に行っても置かれているコタツ。テレビはわたしの持っているパソコンの画面より小さかった。


「そこ座って待っててね。」

そう言ってくれたけれど、わたしは座りたくなかった。もうすでにコタツの上におばあちゃんが作ってくれた料理が何品か並んでいたけれど、わたしはそれにすぐ手をつけたくなかった。その時は言わなかったけれどおばあちゃんと一緒に『いただきます』をしたかったから。

一緒にわたしはキッチンに行き、温めていたお味噌汁とご飯をお椀によそる。おばあちゃんがよそってくれたわたしが食べるご飯はてんこ盛りだった。わたしはずっと子どもでいたい。少しだけ水っぽいご飯を忘れたくない。


おばあちゃんと一緒にコタツに入る。
わたしたちは一緒に『いただきます』をした。


「美味しいよおばあちゃん。」


もう、食べる前からわかっていた。
でも、食べた後に言う。
わたしは料理を食べているけれど、もっと大切なものも感じていたから。そしてわたしの顔を見て「よかったわ。」と言うのだ。きっとおばあちゃんもわたしが言う前からわかっていた。でも言った後に言う。これは社交辞令ではない。本当に受け取りたい愛を前にしたらきっと、こうなるのだ。


たくさん話をした。
わたしはずっとこうして元気に生きているということ。そしておばあちゃんもずっとこうして元気でいてほしいこと。

おばあちゃんは、わたしが生まれてすぐに一人暮らしとなる。おじいちゃんは病気で亡くなった。わたしがおじいちゃんのことで覚えていることは殆どない。それでもコタツにわたしは足を入れ、同じ場所でこうしてご飯を食べている。わたしがその代わりになれるわけなんてないけれど、少しでもおばあちゃんと同じ時間を生きていたかった。



ご飯を食べ終わる頃、おばあちゃんは言った。

「そういえばね、しをりちゃんが映ってるビデオこの前見てたのよ。」


余程話をしたかったのか、足早に別の部屋から持ってくる。そのビデオテープの側面には【○○幼稚園 お遊戯会 しをり】と書かれていた。多分、わたしの母親の字だった。


ビデオテープ、久しぶりに見た。
中のテープがたるんで、穴に指を突っ込んで回していた。


「しをりちゃん、一緒に見ようよ。」


そう言っておばあちゃんとわたしは別の部屋に移る。その部屋は亡くなったおじいちゃんの部屋だった。小さな部屋だったけれど、物置になることもなく綺麗なままだった。きっといつも掃除をしているのだろう。どんな気持ちで掃除をしているのか、それを考えただけで涙が出そうにもなる。それをゆっくりとこらえたわたしは、座布団の上に膝を置いた。


再生されたビデオは、淡い色だった。
きっと元々は彩度が違った。それでもなんとか映像が流れるさまが、ビデオの中に生き物を感じる。


「これ、しをりちゃんだよ。」

指をさして教えてくれた、そこに映るわたしは元気よく踊っていた。自信に満ち溢れているようにも見えたし、何も考えていなそうにも見えた。そしてこれは馬鹿なことなのだけれど、昔のわたしは自分でも可愛いと思う、許してほしい。


そのビデオは、途中で止まってしまった。擦り切れて、コマ送りになる。それでも生きていた。20年以上も前からわたしの映像が残っている。ただそれだけのこととは思えなかった。何よりビデオが残っていることよりも、おばあちゃんはもう90歳も過ぎて、それでもわたしの記憶がしっかりと残っている。それがどれほど幸せなことか、まだ若いわたしにはわからない。でも、わかろうとした。



ずっとずっと、人の記憶に残ること。
容易いことではないし、狙ってするものでもないと思う。ただ生きていて、誰かに話しかけて、会って、書いて。その繰り返しが記憶を生むのだとも思う。

擦り切れるまで再生されたい。
もっと言えば、擦り切れても再生されたい。
再生出来なくなっても、再生しようとしてほしい。これが自分にも出来るだろうか、思えるだろうか。愛に重さはないなんて、それは本当か。愛に大きさはないなんて、それは本当か。

ビデオに映る"女の子"を見てそんなことを考えていたら、家の黒電話がジリジリと鳴った。おばあちゃんは楽しそうに受話器を取る。わたしからかかってきた時も、そんな表情をしてくれていたのだろうかと考え込んだ。


「ばあちゃん、編み物教室に今通ってるのよ。」

電話が終わり、嬉しそうに話してくれた。
家の近くに、新しい教室が出来たらしい。

月に二回だけ通う。
その日に向けて作品を作るのが楽しいと話してくれた、伝えてくれた。出来上がったものもたくさん見せてくれた。この世にひとつしかないハンドメイドがずらりと並ぶ。おばあちゃんが器用で、編み物も出来ることは知っていたけれど、そこまでとは思っていなかった。90歳になって、尚輝き続ける。わたしには無いもの、もう諦めたものを自然と拾い上げている"女の子"がわたしの目の前にいた。


「楽しいよ、人生まだまだ。」

無理して言っているようにも見えた。
ただもう、わたしは腑抜けている場合では無い。
わたしには諦めていることがたくさんある。
お金だってほしい。あれば幸せだ。行きたい場所はある。でもそこに体を持って行く力がない。思い出はある、友達はいる。ただそれを文字に出来ない。書けば書くほど、苦しい。



「あのね、」

わたしはおばあちゃんに伝えたかった。
スマホを持っていない、パソコンを持っていないおばあちゃんがわたしがこうして文章を書いていること。それをすぐに見てもらう方法なんてない。それでもいい。ただわたしが書いている事実を伝えたかった。まだ全然読まれていないけれど。書きたいこと、言いたいこと、まだたくさん仕舞ったままなんだ。


「あのね、わたし今エッセイを書いてるんだよ。」

「それは素敵ね。ばあちゃんもいつか読めるかしら。」


読める、読めるよ。
わたしは今こうして書いていて。
全然読まれていないけれど、もっともっと書いていたいんだ。

お金だってほしい。あれば幸せだ。でももっと行きたい場所があるの、わたしには…


そっと、言葉を閉じた。
おばあちゃんがわたしを否定することなんてない。きっとずっと見ていてくれる。甘えだろうか、甘えだろうな。ただわたしはその甘い味を忘れない。書いていると苦いから、余計におばあちゃんが甘いんだ。


誰かに、こうしろああしろとか言うの、疲れちゃうな。誰かの話を聞くの、眠くなっちゃうな。でも誰かの言葉を聞いていないといけない。ただ義務でもなんでもなかったし、今やっていることを全部やめてもそんなに人生は変わらない。


夕方に手を振った。
ずっと、生きているよ。
だからおばあちゃんも生きていて。
誰かの心の中で、ずっと。生きていたいな。


おばあちゃんの料理、美味しかった。

またすぐに行くよ、ね。


書き続ける勇気になっています。