毎日更新200日目の朝。それは純粋に抱きしめることの出来ない、魘された舞台。
『それだけ毎日更新しているのだから、それくらいフォロワーやスキがつくのは当たり前だよね。』
そんな声を勝手に想像した。
だったらやってみろと、わたしは心の中で声を荒げる。
涙だって削れるのだ。
わたしは誰と戦っているのだろうか。
夢の中だった。
わたしは魘されていた。
午前4時。
わたしは暑くもないのに額は汗でいっぱいだった。間違いなくそれは"悪い夢"だった。そしてなによりわたしはnoteのことを考えすぎである。いや、むしろそんなはずはないと思っていたのだけれど。わたしはツンデレの少女にでもなってしまったのだろうか。
9月20日。
今日、わたしは毎日noteを更新して200日目だった。
そんな出来事を現実では誰も掬ってはくれない。何故なら外に飛び出した瞬間にわたしは"いちとせしをり"ではなくなってしまうから。
わたしは今、飲食店で働いている。
朝5時には家を出て、16時には帰ってこれるような生活。当たり前だけれど給料は少ない。それでも生きていけるからわたしにとってはこれでよかった。
いつものようにわたしは職場に着く。
外は静かだった。事務所の横にある喫煙所でひっそりと煙草を一本吸うのがわたしの朝のお決まりだった。
けれど今日の煙草はじんわりと、ただ不味かった。
どうして?と。
でも答えはわかっていた。
苦いチョコレートのような味が口いっぱいに広がる。目を思いっきり瞑った。何となくその時、今日は嫌なことが起こる気がしてわたしは下を向きながら更衣室で制服に着替えた。
準備を終えて、出勤までの時間をわたしはぼんやりとnoteを眺めて過ごす。
すると一本の電話が職場にかかってきた。
わたしと同じシフトの子からだった。
内容は簡単だった。
体調が悪いので休みたいそうだ。
それを無理に来させる力はわたしにはない。わたしはただのアルバイトで、正社員ではなかったから。
すぐにわたしは 今日休みをもらっている店長に電話をする。その時点でおおよその展開は予想出来ていた。
「しをりさんすみません。そしたら今日はなんとか〇〇さん抜きでお店を回してもらってもいいですか…?」
そう店長は言った。
〇〇さんというのは、体調を崩してしまった子の名前が入る。
そしてこれは「はい」か「いいえ」で答える投げかけではない。大人はこうやって生きていくしかないんだなと。わたしは自分の立場の弱さを噛み締め、「はい」と答えて電話を切った。
わたしは正社員でないとはいえ、殆ど副店長くらいの立場ではある。経験があるというだけだが、わたしはこの店で正社員を除けば一番仕事が出来る。自慢気に言うわけではないが、わたしが全力で動けばひとりの休みくらいは気合でどうにかなる。ただお客さんからしたら、この店はなんだか慌ただしい雰囲気だなとはきっと思うだろう。けれどわたしにとっても店長にとっても、出勤出来る人間がいないのであれば、もうそれは店が回りさえすればよかったのだと思う。
いつも通りわたしはらしくない笑顔で接客をする。正直この仕事自体は嫌いではない。むしろお店のことはすごく好きだ。だからわたしはぶつぶつと文句を言いつつもこうしてここで働き続けることが出来ている。
けれどどうしてもお昼時、お店の忙しさはピークを迎える。いくら人がいてもいいくらい従業員が必要な時間帯だ。先ほどは気合でどうにかなるとは言ったものの、ひとり人間がいつもより少ないというのは当然厳しい状況だった。そしてそういう日に限ってお店は忙しくなったりするものだ。わたしはもうこれ以上はないくらいの接客を そういう時ほど心掛けるのだが、それでもひとりのお客さんにこう言われてしまった。
「さっさと会計しろよ馬鹿!!」
わたしはそのお客さんにお金を投げつけられた。こういったお客さんはうちには滅多に来ない。けれど本当にたまに来る。わたしがフロントに行くのが少し遅くなってしまったのが原因でお客さんは怒ってしまった。
もう言っても仕方のないことだがわたしが"店員"という立場になった瞬間、わたしが感情も心も何も持っていない人間のように扱ってくる人がいる。わたしだって人間だ。誰だって見てわかるはずだろう。暴言を吐かれれば痛いのだ。それでもわたしは弱く、散らばった小銭を笑顔でひとつひとつ拾うしかなかった。
わたしの身体は空っぽだった。
何もごはんを食べていないとか、そういうことではなく心が少し離れたところで浮かんでいるようだった。
わたしの朝の悪い予感は当たっていた。
そして、16時の今。
わたしはこうしてnoteをいつものように書いている。
この人生は。
なんだ。
儚いとか、そういうものでもない。
どこか自分が壊れてしまった気がしたけれど、とりあえず動く。そんな騙し騙し生きている人生は、もしかするとあっさりとあの世へ連れ去られてしまうのかもしれない。
話がだいぶ逸れてしまった。
けれどこの話は今日のわたしにとって外せない話題だった。
なんども言うが、今日でわたしはnoteを更新して200日目を迎えた。この200日という数字が凄いものなのか、なんでもないものなのか。その答えはわたしにはわかりきっていた。
それでもわたしはこの200日間、どの日だって意識的に手を抜いたことはない。結果的に手を抜いたような文章が出来てしまった日はいくつもあるだろう。ただ 体調が悪いからとか、今日は気分が乗らないからとか。そういうことでわたしはなんとなく少ない文字数で終わらせたことはこの200日間で一日もない。これはわたしが絶対に言い切れる。
文字数に関しては2500字から5000字ほど。
毎日更新をしている人を今まで散々見てきたけれど、これが"少ない"ということはないはずだ。勿論文字数にクオリティが比例するわけではないけれど。
もう。だからなんだと言う話にもなるだろう。
わかる、自分でもわかる。
けれどわたしは自分の成果が"たまたま"だと思われるのが何より癪だったのである。
わたしは今年の1月1日にnoteを始めた。
そして3月の上旬辺りから毎日更新を始める。わたしの現在のフォロワー数、そしておおよそのスキの数。これは"たまたま"なはずがない。
もちろんわたしと同じくらいか、それよりもあとに始めた人でわたしなんかよりも一躍人気者になっている人はいる。それでもわたしは更新記事数に対して編集部のおすすめに選ばれた回数も特別多くない。Twitterは元々やっていて、そこのアドバンテージはあるかもしれないけれど。正直自分の肌感で痛いほどわかるのだが、Twitterしかやっていない人はわたしのnoteを殆ど読んでいない。
もう何が言いたいかって、
『わたしは努力でここまで来た。』
格好悪い。
こんなこと本当は言いたくない。
らしくないこともわかる。
いつまで経っても文章は下手くそだ。
それでもこのnoteでは言わせてほしい。
わたしには友達なんてひとりもいない。
仕事が終わって友達と遊ぶなんてことはわたしは一年ほど前に会社員を辞めてから一度もなかった。なかったというより、友達がいないのだから当たり前だった。趣味にお金を大きく使うことなんてない。わたしには趣味がなかったから。だから生き抜くためだけにご飯を食べ、そしてnoteを毎日同じ時間に書き始め、noteの有料会員でもないわたしは自分で決めた18時半に毎日パソコンの前で投稿のボタンを押すと言う、その約束を勝手にひとりで守っている。そして気絶するように毎日眠っていた。
わたしには持っているものが多くない。
ただ『書くこと』が何よりわたしにとって息を吸い込み、吐き出すことと同義だった。
毎日更新をすることに対して、わたしは苦しいと思ったことがないとnoteでもよく書いてきたけれど。それでも『書くこと』を休みたいと思ったことは何度もある。
体調が悪い日だってあった。
わたしだってどこかに電話を一本かけて、誰か代わりに書いてほしかった。仕事で嫌なことがあって、弱い心しか持っていないわたしはすぐに落ち込んでしまった。涙を流しても仕方がないことも知っていた。それでもわたしは"書かない日"が出来てしまうのが何より怖かったのだ。命みたいだったから。
わたしはただの何でもない人間である。
別にライターでもなければ、書く仕事をしているわけでもない。実績など何もない。とはいえ結果的にわたしはここに取り憑かれているのかもしれない。惨めで滑稽だと周りは思うかもしれない。
それでもわたしは、この日この200日目にわたしのこのnoteを読んでいる人に向けて言いたい。
「読んでくれてありがとう。」と。
悔しい。
そんなことを言いたくなってしまう自分が何より悔しかった。わたしは自分のことだけを見てもらいたいと思う惨めな大人である。けれどそれだけを言い続けるだけでは意味のないこともわかっていた。だからわたしは毎日書いて、毎日誰もが見える場所に自分の文章を出し続けるしかなかった。
どこかのゲームみたいにログインだけしてボーナスがもらえることなどない。200日目だから何か特別なイベントが起こるわけでもない。
ただわたしは当たり前のように200日目を迎える。
今朝は間違いなく魘されていた。
それはわたし自身が自分に優しくすることが出来なかったからだ。誰からも言われていないのに、そんな言葉を想像してしまったのだ。自分がここまできた道を誰かに否定されるのが怖かったからだ。
わたしはまた明日も。
何事もなかったかのようにまたnoteを更新するだろう。
そしてまた明日も読んでくれるあなたがいたとしたらやっぱり感謝してもしきれない。わたしは誰かと手を繋ぐのが苦手だけれど、誰かの空気を引き止める"強い文章"を書いていたかった。
それは攻撃的という意味ではなく。
自分の気持ちを正直に、答えが出ないのであれば絞る。それで手が痛くなってもいい。
「頑張る」という言葉は、結果が全ての世界で不要なのかもしれない。それでもわたしは自分の"頑張る姿"を誰かに見てもらいたい。毎日書くことが頑張ることでもないし、沢山文字を書くことが頑張ることでもないと思う。これはひとつの種類でしかない。休むことを頑張ることだってあるはずだ。
続ければいいってものじゃない。
今になってそれが少しだけわかる。
ただわたしは今日も、
ここが愉しくて苦しくて、そして幸せで仕方がないよ。
書き続ける勇気になっています。