見出し画像

韓国人は ある意味「ミニマリスト」なのかもしれないと思った理由

 日本で10年ほど前より広まってきた「ミニマリストライフ」。モノの執着から解放され自由闊達に生きる人たちのイメージが強い。その定義とは?気になったので検索してみると、不動産用語集にしっかり仲間入りしていたのを見つけた。↓

https://www.homes.co.jp/words/m2/525003737/

ミニマリストとは、
衣食住について必要最小限の物で生活をする
ライフスタイル

実践している人のことをいいます。
~中略~
自分にとって本当に必要な物を厳選し、
それだけを持って豊かに暮らすこと」にあり、
必要な物の量は人によってさまざまです。

不動産用語集~ホームズ

 主に若い人の間でしっかり受けいれられていることを考えると、「ミニマリスト」は単なる流行に終わることなく、これからのライフスタイルのひとつとして定着するだろう。そうなると不動産業としても、ミニマリストライフに合わせた物件の供給に積極的にならざるを得ない。不動産用語に加わったのも、うなずける。

 ちなみに私も、以前「捨て活」にハマっていたことがあり、以降「モノの数だけミニマリスト」として暮らしている。なぜ「モノの数だけ」なの?気になる方はこちらを↓^^

 さて、ここ韓国でも日本発の「ミニマルライフ」が知られるようになった。こんまりさんも知られているし、ミニマリストしぶさんの著書も韓国語に翻訳され、書店に並べられているほどだ。

 しかし、実際は日本ほど「ブーム」として大きく取り上げられてはいない。なぜか?韓国人と日本人の「モノの所有」に対する態度というか価値観が、根本的に違うせいかも知れない。長きに渡る在韓生活を通して感じたことだ。

マキシマリストな夫の豹変

 韓国人夫の話。
捨て活を続ける私の障害は、捨てないマキシマリストな夫の存在だった。
私:「これもう長い間、使ってないよね?捨ててもいい?」
夫:「よく分かんない。ひとまず捨てないで」
 こんな会話が日常茶飯事。「捨てる?」に飽き飽きした夫が爆発したことも。彼は、欲しいモノを我慢しなければならない家庭に生まれ育ったことを知っていたため「捨て」をせまる私が、浅はかだったと反省。それ以降、夫の持ち物にタッチすることはなくなり、結果マキシマリストな家となった。

 しかし、そんな夫が、時たま豹変することがある。
 部屋が手狭になり、本棚をひとつ減らそうという話になった。私は「捨てない」夫がこの本をどうするつもりなんだろうと観察していた。
 安価で読まないだろう本を、黙々と捨てていく。それは想定内。

夫:「これ高かったんだよな」
        ~ハードカバーの古典本を手にとり一言。
私:「それじゃ、とっておこうか?」
夫:「いや、もう捨てる」
私:「え??捨てていいの? もったいない!タングンで売ったら?」
夫:「めんどくさい。まとめて捨てるよ」

 ここで、立場が逆転(笑)。私の方が未練たらたらと、韓国版ジモティー「タングンマーケット」で売ろうとそそのかしている。夫はそんなことに気をつかいたくなさそうな素振り。そう。別に彼は「モノ」に執着する「もったいないマキシマリスト」なんかではなかった。ただ単に常日頃「捨てるだの、とっておくだの、整理整頓するだの諸々」に気を使いたくない人だったのだ。

 ところで、日本人の捨て活動画を観ると、大方の人がひとつひとつ手にとり、自分とそのモノのつながりを振り返り、「捨てるか、とっておくか、売ろうか」と考える過程を持つ。しかし、韓国人は、「捨てる」となると深く考えずに、潔く「捨てる」行動に移す。家族、知人、引っ越すご近所さんの行動を観察してみた結果、私なりに出してみた結論だ。

鍋を全交換する人たち

 韓国人ママ友の家へ遊びに行った時のこと。ひとつひとつ、お手入れされた感じのアンティーク家具がすてきなお宅。倹約家でもあるママ友は、まめな方で、その日は「トッポッキ」を振舞ってくれた。そんな彼女が台所を行ったり来たりしながら発した言葉。
ママ友:「お母さんがね、鍋全部買い換えろっていうの」
私:  「えっ?全部??」
ママ友:「そう、だから買い換えようと思っててね、、、」

 そういえば、私の義姉も定期的に鍋を全交換する。それを単なる贅沢と思っていたのだが、この倹約家のママ友もそうなのか?
 日本人である私の「鍋概念」(笑)とは?
 「厳選した鍋を、ひとつひとつ別物として管理する。」これでしょ?フツウは?
 たしかに、デパートの調理用品コーナーにて、大々的に目につくのは、鍋セットである。大中小の鍋に、蒸し器やジョンゴル用鍋で構成されている。新婚さんが購入するもんだと思っていたが、定期的に全捨て、全買いする人たちも一定数いるのだろう。

引っ越しを機に爆捨て

 アパート群の中で暮らしているため、引っ越しは普通の光景。韓国は日本と違い、高層アパートの不動産価値の上昇はよくあること。新築アパートを購入、その値が上がれば売り、他に引っ越すという投資をする人も珍しくない。

高層アパートでの はしご車を使った 引っ越しあるある風景 

 
 さて、本筋に戻る。
 引っ越し後、大小の家具、電化製品が、共同捨て場に爆捨てされていること多々だ。まだまだ使える、中古として十分に売れそうなものも沢山。インテリアを一新するため、サクッと手離したとしか思えない。それらを拾っていく人もいる。何を隠そう(笑)うちで使っている本棚やタンスも、実は拾ってきたもの。とても頑丈で15年以上経った今も健在。宝の山なのだ。

おまかせ買い

 今の家に、引っ越してきた時のこと。前の家から持ってきたカーテンやブラインドをつけようとサイズを測ったのだが、居間の窓に合うものがない。オーダーしようと、カーテン屋に来てもらった。サンプルの中から好みのテイストを選ぶ。
 居間のみ注文するつもりが、「まとめ買いがお得」という夫が他の部屋のものも注文するというのだ。内心「もったいないけど、まっ、夫のお金だし、いいや!」と他の部屋のカーテンを選ぼうと思っていたところ、、お店の人の一言。頼んでもいないのに「居間と同じテイストで選んどきますね」と身支度をしている。おいおいおい!夫「よろしくお願いします」あっという間に打ち合わせ終了。日本じゃ、ちょっと考えられないような接客対応。「お店の人におまかせ」買いは、韓国あるあるかもしれない。
 あまり期待していなかったのだが、さすがプロ。部屋の色調に上手くなじむ品を揃えてきてくれた。しかしだ。。私としては、失敗してもいいから、正直「ひとつひとつ選ぶ楽しみ」が欲しかった。

「モノ」に執着しない韓国人

 これらのエピソードだけでない。韓国人の買い物スタイルなどを眺めていると、そこにも、日本人とは明らかに違う「モノ」への接し方があった。まだ、漠然としてはいるが、私の考えをまとめてみる。
 韓国人は日本人と比べると、どうも「モノ」へのこだわりが薄い印象なのだ。「要るから買う」「使わないから手離す」即断即決。もしひとつひとつこだわり愛着のある「モノ」であれば、そうならないんじゃないか。私から見ると、少し軽いノリさえ感じてしまうぐらい。日本人ほど「モノ」に執着しないからこそ、手離そうと思えばサッと手離すことができ、ミニマリストになれる人たち。だから、日本のように「捨て活ブーム」がクローズアップされることがないのではないだろうか。ある意味、韓国人はモノに執着しない「ミニマリスト」気質なのかもと思った理由だ。

 じゃあ、彼らは「モノ」ではなく、どこにこだわるのか?丈夫で健康な体づくり。そう「自分自身」にこだわる人が多い。体に良いとされるものは価格を問わず積極的に摂取しようとするし、山登りなどで筋力、肺活力を養う人は多数派だ。大陸続きで、常に周辺国による侵略の危うさに身を置いてきた民族。いつ奪われるかもしれない「モノ」より、生き延びるための「カラダ」が大切。今はもうそんな時代ではないが、そんな価値観が根強くDNAに刻み込まれているのかもしれないなどと思う。
 
 私は、ここで韓国人と日本人の「モノ」への接し方の正否を問うているわけではない。日本と韓国。それぞれ人生の半々を費やした私のちょっとした感想だと思っていただければ有難い。

 最後に余談だが、語彙の豊富さでは日本語に負けていない韓国語。むしろ、食に関する語彙などは途方もなく多い。しかし、モノ選びなどの際に使われる日本語「こだわり」この表現にピッタリ合う語彙が見つからない。一番近いものだと「固執する」という漢字語が存在するが、日本では、この二つの表現の意味するところは「似て非なり」だろう。「こだわり」が難しい大陸民族韓国と「こだわり」を大切にできた島国民族日本。この言葉は、世界に誇れるモノづくりを可能にした日本人独特のものなのかもしれない。

 

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?