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私たちを世界に誘った 女子旅人たち~兼高かおる、竹内海南江、イモトアヤコ昭和から令和へ 私の考える女子旅観の変容

今回は、これまで漠然と感じていた「旅」についての、私なりの考えを整理しながら、超自己満足でつらつらと綴ってみました^^ 

70年代生まれの私。幼い頃の記憶にある場面。

 たしか日曜日だったか、、とにかく父の休んでいる日の朝、ブラウン管から流れてくる聞き馴れない音の方に目を向けると、そこには見慣れない光景、まるでおとぎ話の世界があった。読んでくださる方々の中に、共感していただける方いらっしゃるかな?

 そう、「兼高かおる世界の旅」です。おそらくこの時代、敷居が高く、大衆にとってはまだまだ憧れの領域だった「海外旅行」。平成になり、海外旅行は身近に、スゴイ!!的なものではなくなりました。そしてまた昭和の時代では特別視されていた女子一人旅も普通のものに。

 今回は、三時代を生きてきた私(笑)の考える、女子旅観の変容について、三人のあまりに有名すぎる女子旅人の姿を通してお話したいなと思います。

兼高かおる世界の旅

 この方は、女子旅人レジェンドと言っても過言ではないと思います。

 1959年から1990年、31年間(これもすごい)続いた長寿番組である「兼高かおる世界の旅」。名レポーターとして知られている兼高かおる氏。その純日本人とは思えない容貌とアグレッシブさ。そして、旅の先々で、チャールズ皇太子、ケネディ大統領など超一流セレブの面々たちにインタビューするその堂々たる姿。その当時、ブラウン管の前にいる視聴者に、「海外」という未知の世界への憧れを持たせてくれたのではないでしょうか。

 最近、兼高かおる氏の著書「わたくしが旅から学んだこと」を読みました。するとそこにはビックリ内容が! ただ単にレポーターとしてだけでななく、番組のプロデュース、編集までされていたというではありませんか。

「私の人生のほとんどが仕事であり、旅だった」

 いやぁ~旅好きの私にとっては、しびれる文言です。^^

 生涯独身だった兼高かおる氏。その著書には、

~私のだんなさまは「世界の旅」でした~とも。

 「結婚しない女性」に対する偏見が強かった昭和の時代。キャリアウーマン(これ今死語ですか?)としての彼女は、その当時、多くの女性の密かなる憧憬の存在だったことでしょう。

 この時代に膨らんだ大衆の海外への関心が、80年代からの海外旅行ブームの一翼を担ったことは間違いないと思います。

 しかし、まだこの時代には、現在のように格安航空便LCCはありませんでしたし、「旅は高嶺の花だ」的存在だったように記憶しています。そこに登場した新しい旅のかたち。それは、80年代に刊行された沢木耕太郎氏の「大陸をバスで横断する」という自身の体験をもとにして書かれた「深夜特急」(これはおススメ!私もまた読みたいですね)に代表されるバックパッカー旅。それは若い人の間でブームとなり、「旅」という概念の範囲を広くしてくれたものでした。

ミステリーハンター 竹内海南江

 あぁ^^「世界ふしぎ発見」のあの人ね!とピンと来る方!!いらっしゃいますよね。ミステリーハンターとしての出演は、歴代の中で一位だということです。ミステリーハンターの代名詞とも言える方なんですね。

 竹内海南江氏だけでなくミステリーハンターのほとんどが女性。私たちとは変わらない等身大の彼女たちが、外国の街を優雅に闊歩しながら、問いかけてくる生き生きとした表情。外国人との気さくで温かみのある(風に見えた^^)やり取り。私たちとは違う外国人の暮らしの面白さ、どんな味か想像もできない料理、歴史と芸術を、私たちとは変わらない視線でレポートしてくれる。それまでは遠い遠い存在だった外国が、手を少しのばせば届くんじゃないかと、ミステリーハンターたちは、テレビの前の私たちに、思わせてくれたのではないでしょうか。

 私たちも行けるんじゃない?時は、80~90年代のバブルが続いている時代。経済的に自立する女性たちの「女子旅」が始動されてきた頃だと記憶しています。その当時は、「旅行の歩き方」に代表する各ガイドブックに載っている名所と呼ばれるところを一通り廻り、その土地の名物料理とお酒を楽しみ、最後に免税店でブランドのバッグを購入して帰国というパターンが主流だったように思えます。

珍獣ハンター イモトアヤコ

 ご存じ~超人的なチャレンジにも、そこに笑いを提供しながらエネルギッシュに挑んでいき、かつ庶民的な親近感と温かみを感じさせてくれるイモトアヤコさん。外国文化を一歩ひいた目線で眺めるという世界旅のイメージをガラッとかえてくれた代表的な方ではないでしょうか。

 珍獣ハンターシリーズでは、珍獣レポートだけでなく、その場での外国人ガイドとのボケとツッコミに似た絶妙なやりとりがまた笑いを誘ってくれるのです。その笑いは、きっと島国人である私たちが漠然と感じている「外国人」との距離感を縮めてくれたはずです。

 国民を感動させた登山部シリーズでの挑戦では、日本人だけでなく現地人のスタッフも交えた、仲間としての日本人と外国人の関わり合いも、私たちが関心を寄せたところでしょう。(これからも期待しています^^)

 以前の一般的な海外旅行観と言えば、外国の素晴らしい景色を見て写真におさめ、文化と歴史を感じ、学び、日本では食せないような料理を楽しみ、お土産を買う。いわば、「外部者として外国文化を少し垣間見る」的なものでした。しかし、最近ではnoteも含めたSNSを見ると、海外に長期滞在しながら現地の友人を作り、家で料理を一緒に作ったりアクティビティを楽しんだりと、中に入り込み外国人との交流を楽しむ。そんなかたちが顕著に増えてきてるように思えるのです。

 もちろんこういうかたちの旅は、以前からバックパッカー旅やワーキングホリデーとして知られてはいました。しかし、私が大学生だった頃(90年代)は、英語習得や知見を広めたいなどの目的ありきの選択というイメージが強くありました。もちろん今もそういう側面はあるでしょう。しかし、私が感じている「違い」。それは「苦労する」的なものから「楽しむ」的なものになってきているなということ。

 90年代、大学生だった頃、後輩が語学留学でアメリカへ行って帰ってきて話してくれたこと。「なんかアメリカ人て思いやりがないですよね。やっぱり日本がいいですよ。」失望つらつらとエピソードを語ってくれました。これはひとつの例ですが、、世界的に見ると標準とは言えない、以心伝心お互いを配慮しながら生きることが美徳である日本人が、そういった考え方、価値観の違いで海外生活につまずくことも少なくなかったはず。

 しかし、現在ではSNSの普及や訪日および在日外国人の増加により、外国人の行動や考え方の違いに、以前のように違和感を感じることが少なくなってきているのではないでしょうか。(どう感じるか感情論は別にしてですが;)そして、それはそれとして柔軟に受け止め世界を舞台に楽しむ若い方が増えてきていると思います。

 今、何より私が羨ましいのは、女子一人旅や女子の海外移住などのハードルがすっかり低くなったこと。また「楽しみのひとつ」として容易に選択できる雰囲気になっていること。以前だったら1に「危ない」2に「危ない」3に「危ない」と言われ続け、なかなか一歩踏み出せないような雰囲気がありました。実際、今もお国によっては本当に女子旅できないようなところもありますが;;

 私もひとりで海外に行くは行きますが、何というか正体不明の「恐怖感」みたいなものは常にあります。もういい歳したおばさんなんだから、何が怖いの?と思いたいのですが、若い頃に植え付けられた価値観や感情は、なかなか払拭できないもんですね。

人生後半戦~世界放浪してみたい私

 今は在韓邦人として生きておりますが、もう20年近くいると、もう「海外」という感覚が薄れてきます。むしろ、日本へたまに行くと、「海外」感を感じたりするほど(笑)あと一か国ぐらい長期移住したいと思うようになりました。それにもっとアフリカや南米など地理的にも文化的にも遠い遠いところへ行ってみたい。ようするに、新たな刺激が欲しいわけです^^

違う何かに接することで、自分をいい意味で壊せる。

 私は、同じ場に同じ人たちとずっといると、意図せずとも、考え方や行動パターンが固まり狭くなっていく。そんな感じがするんです。それもそれで良しだと思いますが、私は、率直それが嫌なんです。小さい頃からそうでした。飽き性の新しもの好き。いつも人と違う行動や考え方をしようとしていた。しかし結婚、子育ての場では、腹を据えて^^じっと同じところでこれまで私なりに頑張ってきました。その二人の子らもほとんど手がかからなくなったので、これからは、自分を壊しに未知の世界へ飛び込んでいきたいです。












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