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僕は運動ができない。

私は本当に運動ができない。走らせれば遅いし、縄跳びもすぐ引っかかるし、跳び箱は跳べない。バレーのサーブは入らないし、バスケはシュートしてもゴールに届かない。テニスやバドミントンは、打ち返そうと思ってもラケットが空を切って終わる。唯一水泳だけは人並みにできたがクロール限定だった。自転車に乗るのも苦手だ。

私の父は中学で機械体操部、高校ではサッカー部、しかもインターハイ経験者。つまり超スーパー運動神経がいい。町内の運動会ではリレーでびゅんびゅんと走る父を誇らしく思ったものだ。逆に母は運動ができなかった。そんな母が唯一できたのが水泳だった。少しでも父の血を引けばよかったのだが、運動神経に関しては完全に母の血だけを引いてしまったのだった。

なんで運動ができないのかなーと、疑問に思ったことはあまりない。物心ついた時からコロコロ体型だったから、まぁしょうがないよね、と思っている。生まれてから小1までは他の子と比べても体格に大差はなかった。小2の写真をみるとぽちゃぽちゃし始めていて、小3になるともう貫録たっぷりのまん丸な顔になっていた。仲の良い友達の姉には「イチエちゃんはまんまるでかわいい」と言われており、何かのマスコットキャラクターのような状態だった。

平成初期の小学校は残酷で、「肥満児教室」というのがあった。文字通り肥満体型の児童が放課後保健室に集められて、コーラには角砂糖が何個入っているとか、ケーキは脂肪がどうだとか、ポテチを一袋食べてはカロリー過多だとか、よく保健室の廊下に貼ってある新聞に載っているような話を延々聞かされるのだ。当時わたしは小4か小5だったかと思うのだが、子どもとはいえ多感な時期に、男子ならまだしも(と言っては世の男子に失礼かもしれないがご容赦いただきたい)、女子で肥満児教室に呼び出されるのは恥ずかしかったし辛かった。今の小学校でこんなことをしたら、体罰だとか、なんとかハラスメントに引っかかってしまうだろうから、平成も終わる今はもうないと思いたい。

こんな有様だったので、機敏な動きなんかできるわけがない。体育の時間は苦痛だった。クラスの男子には「豚が走ってる」と馬鹿にされたし、馬跳びすれば顔から落っこちて鼻の下に鼻血のようなかさぶたができた。逆上がりなんかお尻が重くて無理だし、組体操もわたしの下になる友達には申し訳なくてたまらなかった。運動していて楽しい思い出なんかひとつもなく、わたしはどんどん運動が嫌いになっていった。

いちばん嫌いだったのは、運動会。運動ができない私にとっては人生最悪の日だ。なんでみんなの前で、無様な姿をさらさねばならないんだろう。できないと笑われる。ビリになると恥ずかしい。苦痛でしかなかった。

小6のときの運動会に突然、嫌悪のピークがやってきた。徒競走の順番待ちをしていたときのこと。6年生は150メートルを走るのだが、校庭を1周するというひどいコースだった。わたしにとっては、ぐるりとギャラリーに囲まれた校庭を1周するなんて、公開処刑以外の何物でもなかった。よりによって同じ列にならんでいるのは足が速い子ばかりで、わたしがひとりだけかなりの差をつけられるのは明らかだった。もう、本当に嫌だった。嫌すぎて嫌すぎて泣きそうだった。泣いていたかもしれない。

じわりじわりと順番が近づくなか、わたしの頭の中はぐるぐるしていた。あぁ、もう無理。恥ずかしい。嫌だ。逃げたい。ついに我慢の限界がきた。わたしは思わず先生に「おなか痛いです・・・」とつぶやいた。初めての仮病だったかもしれない。わたしはついに徒競走をサボるという策に出た。まさかの児童会長を務めていた私は、1ミリも疑われることなく保健室に連行されベットに寝かされた。そして頃合いを見てちゃっかり自分の席にもどった。12歳のわたしは、公開処刑で自分が傷つくのが嫌で、保身に走ることを覚えたのだった。

中学生になると、本を見ながら腹やせ体操とか、足やせ体操とかをやるようになったがたいして痩せなかった。運動ができるようにはもちろんならなかった。中2の時には、50メートル走で学年最遅認定されたこともある。8秒台、9秒台・・・と先生がタイム別に生徒を整列させたのだが、わたしはなんと唯一12秒台という奇跡の記録を叩き出したのだ。足が速い子であれば本気出したら100メートル近く走ってしまうかもしれない。今でこそ笑い話だけど、当時は晒しものになったような気分で、いたたまれなかった。体育の神様は残酷だった。

高校生になると、あまり真剣に体育をやらなくてもよくなった。4月は体力測定があるから死ぬほど嫌だったけれど、それが過ぎればミッチェルという機敏で愉快な先生とテニスをしたり、デビューしたての嵐の真似をしながらバレーをやっていた。上手にできるできないはあまり気にしなくなったが、それでも今でも運動はあまり好きではない。

運動会で全員手をつないでゴールさせろとは言わないけれど、運動できない自分でも運動が楽しいと思えるような学校生活を送れたらよかったのになと、ふと思うことがある。アラフォーになっても、個人競技はできないのが目立つから嫌だし、チームプレーは迷惑をかけるから嫌なのだ。運動できる人に「楽しくやれば大丈夫!!」と言われても、その言葉になんの悪意もないともわかっていても、超巨大な「運動できないコンプレックス」を抱えて40年近く生きている私には、苦痛でしかないことをご理解いただきたい。その代わりといってはなんだが観戦はわりと好きなので、今年は八戸のスポーツもいろいろと見に行きたいと思っている。

来世は、運動ができる子になって、オリンピックとは言わないけどリレーの選手くらいにはなりたい。

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