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九下り目

世界たすけに向かう心定めと成人の歩み

一ッ ひろいせかいをうちまわり 一せん二せんでたすけゆく

世界のあちこちを巡り回って、一せん二せんで人をたすけるのである。

二ッ ふじゆうなきやうにしてやらう かみのこゝろにもたれつけ

親神は、身上事情の難儀不自由を救けてやりたいとの心でいるのであるから、しっかりとその心にもたれて通ることが肝心である。

三ッ みれバせかいのこゝろにハ よくがまじりてあるほどに

ところが、見澄ましてみれば、世界中の人々の心の内には、欲が混じっている。

四ッ よくがあるならやめてくれ かみのうけとりでけんから

欲の心があるのなら、その欲の心を取り去ってくれ。親神は欲の心は受け取ることができないから。

五ッ いづれのかたもおなじこと しあんさだめてついてこい

どこの者でも皆同じことで、見せられる事柄から思案を重ね、神にもたれる心を定めてこの道に付いてこい。

六ッ むりにでやうといふでない こゝろさだめのつくまでハ

もちろん、無理にこの道に出よと言うのではないのであって、まずは各々が自ら心を定めることを親神は待ち望んでいる。

七ッ なか/\このたびいちれつに しつかりしあんをせにやならん

いずれにせよ、この度は重大な時旬であるから、皆、しっかりと思案をしなければならない。

八ッ やまのなかでもあちこちと てんりわうのつとめする

ぢばから遠く離れたところでも、あちこちと、天理王のつとめをしている。

『天理王のつとめ』は、『かんろだい』を離れた『やまのなかでも、あちこち』各地に行われる『つとめ』、つまり、各教会や、信者宅に於て行われる『つとめ』である。

(二代真柱様著「続ひとことはな志 その二」より)


……忠作は、教えられるまゝに、家に帰って朝夕拍子木をたゝいて、
『なむ天理王命、なむ天理王命。』
と、繰り返し/\唱えて、勤めて居たが、一向に利やくが見えない。そこで、又お屋敷へ帰って、未だ治りませぬが、どうした訳で御座いましょうか。と、伺うて貰うと、教祖は、
『つとめ短い。』
と、仰せられた。……            

(教祖伝 第三章「みちすがら」)

九ッ こゝでつとめをしてゐれど むねのわかりたものハない

そうして、あちこちでつとめを勤めてはいるが、つとめに込もる親神の思召を十分に了解している者はいない。

とてもかみなをよびだせば はやくこもとへたづねでよ

とはいえ、神名を唱え、つとめを勤めて、信仰に励むのであれば、早くこのぢばを訪れ親神の思いを尋ね出るようにせよ。

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