first mistake【短編小説】
街を歩けば、庭をのぞけば、公園で散歩すれば、時々見かける白いふわふわの物体。
たんぽぽの綿毛でもシャボン玉でもない、そいつの名前はどうやら「ケサランパサラン」と言うらしい。
外国人の名前みたいなそいつは、いわゆる妖精というか、妖怪というか、おおよそ人間の科学で証明できる範囲を超えた生き物らしい。
見た目は白くて、触ったら潰れてしまいそうに柔らかい毛を持って浮遊する毛玉といったところだろうか。
しかし海外では「エンジェルヘアー(天使の羽毛)」なんて洒落た名前だ呼ばれているらしいから、迂闊なことを言ったら怒られてしまうかもしれない。
というのもその毛玉らしきふわふわは、なんと人間の願いを叶えてくれるんだとか。眉唾ものの作り話だが、これが世界中の多くの場所でまことしやかにささやかれているんだから侮れない。
かの有名な国民的アニメでも題材として扱われたらしい上に、大のおとなでもケセランパサランを知る人は多い。
それだけじゃあエビデンスが足りないというのなら、とっておきのをお教えしよう。
他でもない私が、ケセランパサランを目撃した数少ない証言者なのだ。
半分くらいは真実と思って聞いてほしいものだが、私は幼少期にケセランパサランなるものと出会ったことがある。
まだ小学校にも上がらないような頃の話だ。
私は幼稚園から帰り、自宅のマンション前の駐車場で遊んでいた。それほど広くない空間だが、目の前の家には毛足の長い小さな犬がいて、裏側には神社があった。子供にとってはそれだけで立派な遊び場だ。
私が手のひらを泥で汚しながら遊んでいると、近所のお姉さん、と言っても一つか二つ上という程度の友人がやってきて、私に言った。
「この辺で大きな綿毛を見なかった?」
彼女はその時真っ赤なワンピースを着ていて、いつもよりも大人っぽく見えた。そんな友人から大きな綿毛のことを聞かれ、私は正直に首を振った。
すると少し大人びた友人は、またもや子供らしからぬクールな素振りで、「そう、ありがとう」と言って去っていった。
きっと彼女も大人の仕草を見たか、もしくはその当時流行っていたアニメにそんなキャラクターがいたのか、明らかに馴染みのない作ったような動作だったが、私はそれに大層な憧れを抱いたものだ。
そうなると自分も同じようなことがしてみたくなる。全く子供らしい発想だ。 私は訳もわからず謎の大きな綿毛を探しはじめた。
母に聞き、近所のおばさんに聞いたが、誰もそれのことを知らなかった。しかし隣の家に住むお兄ちゃんに聞いたところ、ようやく答えが見つかった。
「もしかして、ケセランパサランのこと?」
私が首をかしげると、彼が丁寧に説明してくれる。
「ケセランパサランは手の平に乗るくらいの大きさの白いふわふわのした生き物で、願い事を何でも叶えてくれるんだよ」
そう言ってお兄ちゃんは優しく笑ったが、今思えば意地悪な人だったかもしれない。なにせ当時の幼い私に、それが架空の生き物だとは教えてくれなかったのだ。
彼の言葉を見事に鵜呑みにした私は、木の陰や物置の裏に白いふわふわがないか探しはじめた。見つかったら何を願いたいかは特に考えていなかった、単なる好奇心と憧れだっただろう。
しかし子供の興味なんてものは長くは続かないもので、私は気がつけば別の遊びに手を出していた。いや、興味を失くしたというより、他のことに気を取られて忘れてしまったと言った方が正しい。
やがて夕方になり、私は自宅へと帰る。さほど遠くへ行くような外交的な性格ではなかった私は、放っておかれても大丈夫な子供だった。
だがその日ばかりは良くなかった。子供が腕に抱えるには少し大きい瓶を持って、彼女が帰ってきてしまったのだ。
オレンジ色の光の中で、瓶の中の物体はわさわさと動いているように見える。だがよく覗き込めば白い毛玉が彼女の足取りに合わせて揺れているだけに見えなくもない。
真っ赤なワンピースが私に近づいてきて、自慢げに瓶を見せる。透明な壁を隔てて、ケセランパサランが捕らえられていたのだ。
「さっき公園で見つけたの。瓶を持って行ってよかったわ」
彼女はあくまでも大人びた振る舞いをしながらも、その顔にはワクワクが隠せていない。
瓶の中身はやはり近くで見てみても大きめの毛玉といった感じだ。目の前の家に住んでいる白く毛足の長い子犬に少し似ている。
「私、これにお願いして、新しいお人形買ってもらうんだ」
嬉しくて飛び跳ねるように言いながら、彼女は私にそれを見せる。
ケセランパサランらしき毛の塊は、うずくまったウサギのように震えて見える。小動物に似たその姿は、幼いながらに私の庇護欲を掻き立てた。
彼女から瓶を受け取って、中身を見つめる。一心に見つめていると、目があった、と錯覚した。その感覚に吸い寄せられて、目を離せなくなる。ちょうど赤ん坊の視線のように、それは私にまとわりついて決して離れようとしないのだ。
何か危機感を感じたのか、小さな友人は私の手から瓶をひっぺがそうとした。無理矢理に引き離そうとするほど、それは私の手にぴったりとくっついて離れない。まだ、離したくないと思わせる。
「返して!」
小さいながらも女の声がそう叫ぶ。私はそれに反発するように、ある考えに思い至る。子供の思考だ、考えたことはすぐさま行動に成りかわる。
リスクも危機管理も何もない、子供というやつはいつでも物事のメリットばかりをみてしまう生き物らしい。
結果的にいえば、私の願いは叶った。それによって瓶の中の毛の塊は塵のように消え去ったし、小さな友人はぽかんとした表情で虚空を見上げていた。つられて私も空を見上げる。しかしそこには目ぼしいものは何もなく、ただ夕日が残した薄オレンジ色が残っているばかり。
その後、私たちは何の言葉も交わすことなくそれぞれの家路へと着いた。私は何も入っていない瓶を抱え、入り慣れているはずの玄関を開く。綺麗な白い内装が目に飛び込んできた。体が勝手に動いてくれることだけが救いだった。
そうして私は一人称が「ぼく」ではなくなり、赤いワンピースをひらりと遊ばせながら歩くこととなったのだ。世の中は実に面白い事ばかりだ。
いいや、こんな話は作り話だ。話し方や仕草が女性らしくないと指摘された時のための、ほんの言い逃れなのだ。
さて、私はそろそろ行かなければならない。どこへかって?
実家に帰るだけだよ。どうにも落ち着かない我が家へね。
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