異形さと惹きつける力をあわせもつには――永野護のロボットデザイン

※『美術手帖』ロボットデザイン特集に寄稿したもの。


 異様な迫力を放ち、一部の好事家に熱狂的に愛される、マイナー作品は少なくない。

 ポピュラリティに溢れ、一時代を築くが、ひとびとの記憶には残らず、後世にまで評価されることなく忘れられていくものも、少なくない。

 異形でありながら、たくさんのひとに支持され、のちのちまで語られるものをつくることは、きわめてむずかしい。ものをつくることになんらかのかたちで携わる人間なら、そういうポジションにあこがれることもあるだろう。

 永野護のロボットデザインとは、そういう仕事である。


 まんが『ファイブスター物語』(『FSS』)に登場する「モーターヘッド」(MH ※当初の名称。現在は改称されているが便宜的にMHと呼称する)は、なぜ肩がおおきくつきだしているのか。

 なぜアニメーション映画『花の詩女ゴティックメード』に登場する「ゴティックメード」(GTM)は、竜人の骨組みのように奇怪な造形なのか。

 ここには「骨格へのこだわり」と「先取の精神」、「巨大なものに対する畏怖と憧憬」がある。


■「骨格へのこだわり」とはなにか

 永野護は1983年にサンライズ初の「デザイナー」として採用されていくつかの仕事を経たのち、ほとんど無名の新人ながら富野由悠季によって抜擢され、『重戦機エルガイム』のキャラクターデザインとメカデザインをまかされる。

 このアニメに登場するヘビーメタル(HM)のデザインは、画期だった。

 永野は多重関節のムーバブル・フレーム(可動骨格)――二重関節による腱を、筋肉に見立てたピストンによる収縮システムで運動制御する駆動システムを考案したのである。

 自身でも模型を手がけ、戦車にたいする造詣もふかい永野は、当時モデラーのあいだで存在していた「市販のガンプラだとガンダムの腕が不格好にしかまわらない。背中のビームサーベルが抜けない」といった不満を解消するには、骨格から直さねばならないと考えていた。

 その回答がHMであり、『機動戦士Zガンダム』で彼が手がけたリック・ディアスであった。

 だから永野ロボの肩は、はりだしているのだ。

 金属のかたまりであるロボットが肩を自由にうごかすには、関節の支点が人間とは異なるものにならざるをえないからだ。


 そしてGTMでは、じしんが考案し、無数のデザイナー模倣されつくしたムーバブル・フレームを捨て、さらにあらたな関節駆動のしくみをうみだした。

 巨大な2本の背骨をメインフレームとして、それを中心に右背骨と右肩・右腰、左背骨と左肩・左腰とに四肢がとりつけられた根幹的な関節「ツイン・スイングフレーム」である。

 その結果、かような異様さを獲得したのである。

 ロボットは人間とは骨格がことなるゆえに「変な動きをするロボット」になるのだし、人間の動きを規範にしないロボットにならなければおかしい――この思想はHM、MH、GTM、あるいは富野由悠季監督『ブレンパワード』などの仕事でも一貫している。

 シルエット(外見)はもちろんのこと、骨格とそこからうみだされる動き、巨大な金属の動作がもたらず轟音に対するこだわりが、永野ロボの特徴である。

 なお永野ロボの変遷の歴史は、模型を愛する永野からガレージキットのモデラーやメーカー(ボークスやウェーブ)にたいする「つくれるもんならつくってみろ!」という挑戦と、天才・谷明らによる見事な応答のくりかえしの歴史でもあったが、この点にたちいる余裕はない。


■「先取の精神」とはなにか

 永野は他人のマネも、自己模倣もきらう。

(よくもわるくも)あきっぽく、自分がきずきあげてきた過去の遺産や、ついてこれないファンをすてさることをいとわない。

 たとえば永野は、河森正治がデザインした『超時空要塞マクロス』に登場する可変戦闘機バルキリーの二番煎じになるのを厭い、『Zガンダム』で富野が変形や合体にこだわっていたにもかかわらず、変形しないモビルスーツからデザインに入り、かつ、のちにバルキリーとはまったくことなる変形機体としてハムブラビを手がけている。

 また、『ゴティック・メード』制作のために休載していたFSSの連載を8年ぶりに再開させると、(じつはFSSの一エピソードであった)『ゴティック・メード』での設定にあわせるように、FSSの設定やデザイン、機体の呼称などを一新。かつてMHと呼ばれていたものはすべてGTMと呼ばれ、たとえば「ナイト・オブ・ゴールド」の名で親しまれてきた機体は「帝騎マグナパレス」に変更する、等々と明かし、物議を醸した。

 アンダーグラウンドミュージック(永野はわかかりし日にはプロのミュージシャンをこころざし、インダストリアルノイズに傾倒していた時期に自身のアルバムも制作している)やハイファッション、ゲームのように変化しつづけ、つねにこれまでとちがうものをうみだすことをよしとしてきた文化を摂取してきた永野らしい態度である。


■「巨大なものに対する畏怖と憧憬」

 骨格にこだわり、奇妙と思われようとつねにあたらしさを追いもとめる永野は、同時にきわめて原始的でわかりやすい、「人間なんて虫けら以下にしか思えなくなるほど圧倒的な質量で迫りくる存在に対するおそれとあこがれ」をえがこうともしている。

 全長25メートルにもおよぶGTMは、目が4つも5つもある複眼をもち、「兆」を超える「京」単位の最大馬力をほこり、星ひとつを破壊する威力のバスター砲を装備している。

 これは

「マジンガーZや『鉄腕アトム』のプルートを最初に見たとき、みんな、"なんだろうこれ"っていう感覚をもったはずなんだ。カッコいいかどうか以前に、そういう本質的なもの、異様だと感じる感覚をきっちり出したい」(「ニュータイプ」2006年7月号)

 という、幼少期にだれもがいだいたような生理的な恐怖とゾクゾクするような好奇心が入りまじったあの身体感覚をよびおこそうとしているからだ。


 とほうもないスケールで見たこともないような動きをし、金属特有の軋みを空と大地にひびかせ、一瞬で星がほろぶほどの戦力をもつ、奇怪なまでにあたらしいロボット――それが永野護がめざし、うみだしてきたものである。

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