経済学者に影響を与えたSF クルーグマンとハリ・セルダン

 ベンチャービジネスに興味がある人間なら知らない者はいないあのピーター・ティールは、彼の著書『ゼロ・トゥ・ワン』によると、SF大好きだという。「ニール・スティーブンスンは必読だ」みたいなことが書いてある。

 日本の大半のひとにとってはちんぷんかんぷんなことだろう。スティーブンスンについて知らないだろうし、そもそもSFとビジネスなんて、どうつながるんだ? と。

 しかしアメリカにはこういうタイプのひとは少なくない。というか、日本人の多くが小説と仕事というかサブカルとビジネスの影響関係に無関心なだけで、国際的には必ずしもそうではない。

 たとえばビジネス書でSFについて言及されているものと言えば、クリス・アンダーソンの『FREE』がある。日本ではマイナー作家だけど、コリイ・ドクトロウの発言が引用されていたりする(ドクトロウは経営誌『ハーバード・ビジネス・レビュー』にも寄稿してた)。アンダーソンはアメリカ西海岸のハッカーカルチャーのながれを汲む雑誌「WIRED」の編集者だけど、「サイバースペース」ということばをSF作家のウィリアム・ギブスンがつくったこともあってネット文化/企業とSFは親和性がたかい。

 でも逆に経済ネタのSFみたいなのはそこまで多くなくて(ぼくが不勉強なだけかもですが……)、ギブスンの盟友のサイバーパンクSF作家ブルース・スターリングが書いた『ネットの中の島々』は未来の企業社会について書いているけれど、経営や経済学を主としてあつかってるわけではない。

 イギリスの文学派SFの雄クリストファー・プリースト(映画化された『奇術師(プレステージ)』で知られる)は作家デビューするまえは会計士だったけど、プリーストの小説に貸借対照表なんか出てこない。

 で、そのスターリングたちと年のちかい一九五三年うまれ(日本なら押井守や村上龍、神林長平とほぼ同世代)の経済学者ポール・クルーグマンはSF読みとして有名だ。

 たとえばクルーグマンの『良い経済学 悪い経済学』では、技術進歩によって機械が人間の代わりにほとんどの仕事をこなすようになった悲惨な未来を書いたカート・ヴォネガットのSF『プレイヤー・ピアノ』が経済学的にどうまちがってるのかという話が出てくる。

 数あるSFのなかでも、人類が銀河中に入植している未来の歴史をえがいたアイザック・アシモフのSF〈ファウンデーション〉シリーズに登場する、天才的な学者ハリ・セルダンに、幼き日のクルーグマンはあこがれたという。

 セルダンは心理歴史学という、歴史法則を解析し未来予測を可能にする、数学を駆使した集団心理学の創設者だ。もちろんそんな学問は現実にはないので、クルーグマンはいちばん近そうな学問として経済学をえらんだそうだ。

 なかなかアツい話である。

 ちなみにアシモフは名高い〈ファウンデーション〉を三部作で完結させとけばいいものを三〇年くらい経ってシリーズ四作目、五作目、……と書き足していった(つまんないわけじゃないんだけど……だんだん蛇足めいてきたル・グィンの『ゲド戦記』みたいなもの)。で、四作目以降では地球、というか「ガイア」云々て話が出てくる。ジェームズ・ラブロックが提唱した「地球自体が生き物なんだ」ってのがガイア仮説で、アシモフもそれを意識している。

 でもクルーグマンは『経済政策を売り歩く人々』(ちくま学芸文庫)でガイア論者を「現代の奇人たちのなかでも抜きん出ている」とかぼろくそに言ってて、かつて〈ファウンデーション〉三部作に傾倒した人間が言ってることかと思うと、ちょっと笑える。

 マクロ経済学を勉強しても会社経営には役に立たないし、逆にビジネス書を読んでもマクロ経済学のことはわからない、個々のビジネス活動と国家レベルの経済をごっちゃにすんなとくりかえし断じるクルーグマンなので、ピーター・ティールと同列の扱いなんかしたらいやがるんだろうけれど、細かいことはここではどうでもいい。

 ノーベル経済学賞受賞者のクルーグマンがセルダンから学んだんだろうなと感じるところはみっつある。

 ひとつはあけすけにモノを言うこと。態度がでかいというか口がわるいというか……まあこれは半分冗談。

 もうひとつは非経済学者向けの媒体では数式をつかわないでエッセンスをつたえること。心理歴史学は高度な数学を駆使して歴史法則を導きだす学問とされているんだけど、心理歴史学者以外に対して数式を使わずに表現できないとダメ、というふうに書かれている。政治家や市民には専門的な数学つかったら政策を理解してもらうどころか興味すらもってもらえない。

 クルーグマンも新聞やビジネス誌では数式を使わないでなるべく簡単に解説するという信条がある(これは『21世紀の資本』のトマ・ピケティも同様だが、ピケティがSFファンかどうかは、読んでいないからよく知らない)。

 みっつめは「予言」のもつ効果の利用だ。〈ファウンデーション〉にはハリ・セリダンが遺した「セルダン・プラン」というものが出てくる。そのプランに従うことで人類は銀河帝国の中心トランターの滅亡に始まる戦争の噴出や星間貿易の衰退の年数を三万年から千年に圧縮できる、と言われている。

 で、有名なクルーグマンの政策提提言にインフレ・ターゲティング論というものがある(リフレ政策とも言われる)。中央銀行(日本なら日本銀行)と政府が「これから○%インフレさせることを目標にします」と公言すると、「え、カネの価値下がるならモノ買わなきゃ」と人々が感じる(ようになるはず)。いま一〇〇円で買えるものは、五%インフレしたら一〇五円出さないと買えなくなるんで、いまのうち買ってしまおう……という行動の連鎖によって、需要が増え経済活動が活性化して市中にお金がめぐるようになって日本はデフレ脱出=景気が上向く。というのが超おおざっぱな理屈。黒田総裁になってからの日銀がやっているのは、これですね。

 インフレターゲティングまたはリフレ政策に対する批判のひとつに「『こういう政策をします』と公言したら、国がしかけたブラフ(=ホントはインフレしない、かもしれない)だってみんな思っちゃうから結局カネ使わなくね?」というものがある。

 心理歴史学も「これらの法則が適用できる対象は心理歴史学を知らないひとたち」って限定されてるんだけど、登場人物たちはけっこうみんな知っていて、似たような問題をかかえていた。むしろセルダンはひろく知られるようになることを前提に提言(予言)を遺したふしすらある。

 いずれにしろ予言(?)を政策として使う、というところが、セルダンからクルーグマンが影響受けたところなのかなあとぼくは推察している。

 とくに結論はないが、あえて言うならSFなんて文理融合の小説ジャンルなのに、ある意味でやっぱ文理融合の科学/技術である金融工学をつかったSFってすくない(または日本に紹介されてない?)ように思っていて、もっとファイナンス理論をベースにしたSFが出てきたらビジネスパースンもSF読みそうだし(そういえばヘッジ・ファンドのしくみを最初に考案したのはSF作家、という説もある)、SFファンも経済に関心をもつかもしれない。

「SFは仕事に役が立つ」とか言って、もっと日本の社会人も読ませたほうがいいんじゃないか。

 SF小説は、経済に関わる人間の(つまりすべての人間の)基礎教養である。

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