再録記事3

*この投稿は別の場所に書いたものを手直ししたものです。

このnoteの投稿、特に後半の投稿は、あまり人前で書くべきでないことを書いています。
ナイーブな部分を書き出していこうという試みなのでしたが、実際自分で書いていてもあまり気分のよいものではありませんでした。
もう少しましな記事は書けないものかとは常に思っていたし、今でも思っています。

ポリティカリーにぜんぜんコレクトでない表現を選んで言えば、僕はわざわざ「女々しいこと」を書いていました。
それこそ「女の腐ったような」という表現がマッチするようなキャラクターが投稿の向こう側に浮かぶかもしれません。
僕自身に元々そんなキャラクターへの親和性はもちろんあるとは思いますが、これが素の自分の文章であるかと言えばちょっと違います。

初期の頃の平均化訓練は、理由は諸々ありますが、屈折したマチズモとエリート意識とがセットになっていて、これが本当に肌に合わないものでした。
それは体操の本質とは全然関係ないのだから、勘弁してくれないかと思っていました。

noteへの投稿の多くはそこへの異議申し立てとして書かれたものです。
しかし、それでは投稿が自己完結するものにはなりません。
どうしても相手を「よすが」として投稿を書いていくことになります。
これは「偏り同調」となるのだろうかとか、投稿を書きながらなんとなく考えていました。

それはどう見るかは読んだ人の判断となりますが、どうあれ自立した発言とは言えないものです。

体操を学ぼうと道場に通っていたはずが直面するものは体操とはあまり関係ないものでした。
憤りは未だに感じているし、疑問は絶えません。

彼らは何者だったのか。
この質問に答えてくれる人が現れることはありませんでした。

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