fhána「僕を見つけて」感想~【君と共にある】物語を紡いできた彼らの新境地~(1周年記念再掲)

はじめに


本記事は、fhánaの14thシングル「僕を見つけて」について、リリース直後にアメブロに投稿した感想テキストの再掲+αになります。当時の感覚を思い出しつつ、1年後の心境の変化を比べつつ、お楽しみいただければ幸いです。
(以下、再掲部分)

イントロダクション~fhánaの新章と、忘れ得ぬ傷跡~

シングルでいう前作「わたしのための物語~My Uncompleted Story」リリースが2018年1月だったので、1年半ぶりと思うと久しぶりのシングルです。
それから3rd AL「World Atlas」とベスト盤「STORIES」のリリース、1年間のふぁならじ、さらには5周年ライブといういくつもの節目があり。
新しいfhánaの幕開けになるような意味合いもある、そんな新譜にも思えます。そして令和一発目でもありますし。「お前たちの平成って、憂鬱じゃないか?(声:ISSA)」という台詞がフラッシュバックしますね(しません)

最近のfhánaを振り返ると、グループでの活動と並行して、メンバー個々でも精力的な活動を重ねてきていたと思います。和賀さんは多くの楽曲に参加しつつ、新バンドSHIROを始動させ。ケビンくんは各地のアニクライベントで踊りまくり。towanaさんはソロでイベントに出たり声優にチャレンジしたり。
(普通にハコでのイベントができていた1年前が別世界ですね……)

中でも佐藤さんは、アニサマのテーマソング作編曲を筆頭に、多くのアーティストに楽曲提供を行ってました。尋常ではない仕事量、八面六臂の活躍ぶり……ちゃんと休まれますよう……

fhánaでの活動が少なかった訳ではないのですが、ソロ活動の多さが目立った分だけ「四人でいること、ちょっと少ない?」という感覚を抱いた人もいたように思います。夏のツアーもなかったですし。
そんな中で、シングル発売が発表され。さらには自主企画Sound of Sceneが開かれ。
最高のパフォーマンスと共演者(androp、Gothic×Luck)との化学反応、新曲のお披露目、さらには冬ツアー(where you are Tour)とFC設立(僕は3年くらい待ってました)の発表。
fhánaの新章を高らかに告げるような、メモリアルな一夜だったと思います。久しぶりに会ったふぁなみりーもワクワクした表情してましたし。

この盛り上がりを受けて、上がり切ったテンションのまま発売を迎えるんだろうなと、その夜は思っていたのですが。


その二日後、京アニさんの事件が起こりました。
この事件の重さはみなさんも痛感しているでしょうし、書くのも辛いので長くは記しませんが。
このテキスト読んでくれている人なら、どこかで一度は京アニさんのお世話になっているでしょうし。特にfhánaにとっては、自分たちのアイデンティティにも直結する作品を手掛けた、とても大事な人たちです。その人たちが、最も理不尽な形で命を、未来を奪われたことには、恐らく、僕らが考える以上に深く傷ついているのだろうと思います。
そして奇しくも。今回のリード曲は、こうした訣別を描いている訳で……これ以上ないくらい、悲しい形でタイムリーになってしまった、そんな一枚でもあって。

だからこそ、僕らにとってのfhánaの形が、より明確に浮き彫りになった。fhánaが僕らにくれる居場所の温もりが、より鮮明になった。そんな一枚でもあると思います。


僕を見つけて

ナカノヒトゲノムのスポットでサビが公開されたときに、「こういう曲調を待ってた!」と歓喜したのを覚えています。優しいけど切ないED感。「いつかの、いくつかのきみとのせかい」の感覚をバラードで、とでもいいましょうか。

加えて、タイトルも好きで。Aqua Timezの「プルメリア~花唄~」という大好きな曲のキャッチコピーが「僕をみつけてくれて、ありがとう」なんですが、この響きが大好きで。僕もたまに「見つけてくださりありがとうございます」「Thank you for finding me」とか使っていました。だから新譜のタイトルが「僕を見つけて」なのは、勝手に運命を感じました。
インターネットで活動する人の、そして普遍的な感情としての「見つけて、認めてほしい」という欲求を意味している……と、佐藤さんは言っていましたが。そもそも僕がこうやってテキストを書いていること自体が、そんな欲求による行為ですし。寄り添ってくれてるなあ、と。
後、「ユーレカ(=見つけた)」とのつながりも熱いですよね。


アニメで歌い出しを聴いた瞬間に「ポンちゃんだ!!(涙腺崩壊)」となって。実際、佐藤さん自身がポンちゃんへのレクイエムという側面を明言していましたし。
そしてSoCで明らかになった全貌、速度と熱量が爆発的に増大するラストパートに度肝を抜かれました。

というのが、発売までの印象の動き。


始めから追っていきます。
前奏なし、Aメロの歌で始まるのが、そこで歌われている「出会い」の突然さ、驚きを象徴している……というのは深読みしすぎかもですが。冒頭の音色がすごく生っぽい、温かいんですよね。アコギ、ピアノ、クラップで。
Bメロで「名付け」が歌われています。名前というのは存在の意義、誰かとの関係性の象徴だと思えて。ここまでを合わせると、「好意を寄せ、必要としてくれる誰かが現れたことで、はじめて自分のいる意味や、生き甲斐が見出せた」という読み取りができると思います。
サビに行く瞬間の音の流れがすごく好きなんです、アニサマ2019テーマ曲「CROSSING STORIES」のCメロ明け(喜び溢れた~)とも通じるような、温かさの奔流。そう感じさせるコード進行なんでしょうか。

そしてサビで歌われるのは。
君が見つけてくれた僕が、「誰かを守る強さ」を手にできたこと。
そんな君から、僕は離れなくてはいけないこと、もう君と言葉を交わせないこと。

この詩が描いているのは、「愛というバトンのリレー」だと思いました。
僕を守ってくれた君がもういないのなら、君がくれた力で別の誰かを守りたい。それが、もう言葉の届かない君へ僕から贈れる、最大の御礼であり敬意であり愛情。
「tiny lamp」が恩返しだとしたら、今回は恩送りの歌。

だから、「これから僕らがみんなを守れるように」という決意の歌でもあり、「もう会えない人がいても、その人こそが、あなたの前に進む理由になる」という寄り添いの歌でもあり。
この両義性で、もう、すごく、泣けますよね今回……fhánaと僕らに置き換えれば、メンバーからの「進み続ける」決意であり、「お別れを経たあなたも、前を向ける」寄り添いであり、ですから。

続いて二番。詞のストーリー構造は一番と似ているんですが。
「爪を立てて」「頬を撫でた」という、猫を想起させる言葉が並び。
そして二番サビがすごく好きです、「花の彩(いろ)さえ知れない日々を」という一節の神がかり方。
普通なら「花の色」の所を、彩。「灰色の世界に色彩を」は2nd AL「What a Wonderful World Line」のキーワードでしたし、「彩り」という言葉はfhánaの随所で登場していますが。
「花の色彩/彩りさえ知れない」だとうまく音に乗らないんですよね。そこに、「彩」で「いろ」と読ませて、メロを最大に活かす。常用からは少し外れているけどドンピシャな林さんセンスに大興奮です(そういえば彩の字が名前に入っていて、その分も「が好き、という人がいた記憶が)

Cメロ。
サウンドとボーカルの力強いキメ。ライブで観たときも、とわなさんの訴えかけるような歌い方が印象に残ってました。ここにいないけど、記憶の中であり続ける君の微笑みは、「温もりだけ残し霞んでいくけど」
泣けますよね。もう更新されることはなくて、温かくて愛しい感情ばかりが残っていって、だから支えになるけど、だから寂しい。

(ちなみにこの時点で、まだ再生時間の半分にも達していません)

間奏前半は和賀さんの王道なギターソロ、ピックのひと弾きひと弾きが沁みます。ストリングスもめくるめく美しいアンサンブルを奏でていますし、ローで唸るベースもグッと来ます。
そして一気に音を減らした静寂の中、ピアノとストリングスでしっとりと。この「間奏後半の佐藤さんピアノ」の良さ、ずっとありますよね。

落ちサビ。ここで初めて死別を示すような「星に還る」が歌われています。
「もう大丈夫」は、一人で歩きだす自分を励ます言葉であり、もう会えない君を安心させる言葉でもあり。「痛みを抱いて」でcallingの「痛みと共に刻まれて」を思い出しました。

ラスサビ。ストリングスの波がドラマチックです。恩を送る、「光になれる」決意を新たにして、「もう二度と」で別れを見つめ直して、一度幕を閉じた……ように見せかけ(4:55のストリングスのアレ好きです)

静寂の中で、ピアノとドラムスが壮大なテーマの前奏を思わせ。再び総員が暴れ出し、曲の空気が一変します。この曲の真骨頂。それぞれがパッションを放出するような聴き所しかないパートですが、やはりfhánaのアウトロ爆エモ名人である和賀さんのギターに持っていかれます、心身。
「遠くから届く、祈りと光」の発信者は、もう会えない「君」で。「再会を信じて」いる相手は、もう二度と会えない「君」で。「また話せたら」「聴いて、見つけて」と叫んでいる英語詞も含めて、このパートって全て反実仮想だと思うんです。

別れを、もっと言えば永訣を描いているこの曲ですが。君が「消えた」とは、一言も言っていないんですよ。「君から離れて」「星に還る」「遠くから届く」とあるように、君がまだ「どこかにいる」ことを信じ抜く。
佐藤さんは「精神的には、また会える」と表現していましたが。恩送りの視点に偏って解釈してみると、この再会は「君に見せたいと思える、君が褒めてくれるような所まで、自分自身を到達させる」ことで達せられるのではと思って。だから進む方向は前で、走り出すようなアウトロの曲調になっているんじゃないかと。

一方で、この速さと濃密さからは走馬灯のような記憶のフラッシュバックを感じもするんですよね。
ポンちゃんとの記憶から、本人曰く「勝手に手が動いて出来ちゃった」というこのパート。その背景にあるニュアンスは、やっぱり佐藤さんでないと分からない……あるいは、佐藤さんすら明確には分かっていないのかもしれませんが。

この曲での「見つける」というのは、発見、認知よりも数段深いレイヤーの。理解を深めること、承認すること、時間と労力をかけること、共有すること。
そうすることを「選ぶ」こと。この辺りを包括する概念だと思いました。

野良猫を見つけた所で、寄り添わなければそこまでで。
バンドの音源に行き会った所で、耳を傾けなければそこまでで。
ファースト・コンタクトの、その先まで一緒に歩くことを選んでくれた。そんな大切ともう一緒にはいられない、その先へと歩こう。
その先で、また出会えるように。

けどそうやって深く関わったとしても、いずれ「永訣」は来てしまう。そのときの関係性はどうあれ、生きていれば、二度と会えなくなってしまう瞬間は来てしまう。
そして、大体の場合、別れ方は選べない。ゆっくりと迫ってくることもあれば、突然に、あまりに突然かつ理不尽にやってくることもあります。その別れは、関わった深さの分だけ痛い……こんなことは、皆さんひとりひとりが痛いほど分かっていると思うのですが。

だからこそ、その必定に向き合う曲をfhánaが送り出したことは。
「君に出会えた」「君と一緒に歩いていく」物語を歌ってきたfhánaが、「君から離れて旅立つ」運命にまっすぐに向き合った意味は、とても大きいですし、必要なことだったと思います。

それが、いつか来る別れの第一歩だとしても。
僕らは出会えて良かった、その出会いで世界は彩られた、出会わなければ彩られなかった。
そして、離れる日が来ても、お互い「大丈夫」なんだ。大切な誰かがいた世界を、大切な誰かがきっと見守っている世界を、ちゃんと歩いていける。

ちなみに。この部分を書いている日に、Mステにフジファブリックが出て、天国の志村さんと共演していまして。会えなくなってしまったことも、つないでいくことも、明らかにして背負ったうえで歌っている彼らはとても格好よかったです。

……そうだ、もう一つ。
長らくfhánaのプロデューサーを務めてきた純之介教授が、バンナムを退社されまして。fhánaとの関わりは今後も続くだろうとはいえ、メンバーにとっては小さくない転換点だったと思います。そのタイミングでこの曲が出たのは偶然だとは思いますが、そんな所も運命的。


真っ白

fhána史上、最も短い日本語タイトルのこの曲………違った「未来」の方が短いです、ごほん。
最近、白さの目立つ和賀さんが作編曲です。この頃の和賀さんc/w曲だと、「現在地」「君の住む街」というシンプルなバンドサウンド路線の後に「snow scene」という多重音層シューゲイズが来ていましたが、今回はこれまでにないくらいシンプルです。クレジットだとVo, Gt, Ba, Dr, 以上……シンセ聴こえるやんってのは置いておいて。

爽やかな疾走感でライブ映えしそう、という以上に。「それぞれの青春」の記憶を強烈に喚起するような、ノスタルジーの詰まった一曲で。
とわなさんの声がすごく伸び伸びしていて、かつこのニュートラルさが曲の世界観、未分化な空気にハマっているようで好きです。ダブルとかコーラスも少ないので、ナチュラルな歌声を楽しめる一曲。

(その後、where you are ツアーの舞浜公演でありえんくらいブチ上がりました、リリース時はそこまで刺さらなかったという印象が一変したライブマジック)

「真っ白」な現在と未来。「現在地」も分からず、まだ何者でもなく。けど綺麗なままではいられず、汚れてしまっている。
そんな焦燥の中で、誰かを求めて歌っていた君が、汚れたままの手のひらを掴んでくれた……というストーリーは、「僕を見つけて」とのリンクを感じさせるようにも思います。
「揺れる季節はもう走り去った」で結んでいるように、真っ白な世界に色をつけるべく、自分に名前をつけるべく、一歩を踏み出すまでの心の動きが綴られていると解釈しました。

余白が多い分、各プレイヤーの手つきが浮かんできて非常に楽しいのですが、特にドラムスが格好いいです。2番Bメロが最高すぎ。担当は「僕を見つけて」でも叩いていた小松シゲルさん、記憶を掠めるお名前だったので調べてみたらNONA REEVESの方でした! 加えて長野県飯山市(2019年は甲子園でアツかった)のご出身なのですね。僕の地元のご近所です。

ライブでは佐藤さんがギターを弾きそうですし(弾いてました)、ケビンくんがどう入ってくるのかも楽しみです(多分シンセ弾いてたんじゃないかな)。

(この曲だけ分量が少ないんですけど、他の2曲の情報量が多すぎたってことでご容赦ください)

Unplugged

かねてより一部で期待されていた「とわケビrap」が、思ったよりも早く実現しました。
Unplugged=アコースティック、というのはfhánaの音楽体制からはだいぶ遠いイメージだとは思っていたんですが。意図されていたのは、プラグ=電子機器=バーチャルなネットワークから距離を置いてみよう、という。
これはこれで、SNS(広義)をきっかけに動き出したfhánaにとっては「らしくない」発想のようにも思えるんですが、ネット社会のダークサイドを汲み取ったり「生でのふれあい」を重要視してきたりしたfhánaにとっては自然な帰結とも言えそうです。

(なお最近は「バーチャル/オンラインで何ができるか」が勝負になってきていますが)

シングル的には、インターネットに生息している実況者たちを描いたアニメの主題歌に、このアンチオンラインな曲をカップリングさせてくる、このアンバランスさ、あるいはバランスの取り方が面白いです。

これまでのfhánaラップといえば「reaching for the cities」ですが、表現だけでなく歌詞も近いと思いました。バーチャルとリアル、街の景色と続く旅。他にも、fhánaの過去曲のキーワードをちりばめつつ、ラップとして再構成していくという、聴き応えのある詞です。

ド頭のキックの三連符、このレコードこすってる感から好きです、イントロはモロにケビンくんだよな~と思っていたら、ここの担当は佐藤さんとのことで驚きました。色んな音が重なっているのが、街の雑踏をイメージさせます。
他2曲が比較的シンプルな音作りだった分、この情報量の多さには安心感があります。
そしてこういうジャジーで動きの多いベースラインが大好物! 担当の須藤優さんは3曲とも弾かれていますが、この曲でのベースが一番好きですね。

ふぁなみりー文芸部音韻同好会(いま考えた、大阪の君も強制入部だ)の僕としては、当然ケビンくんによるライミングは気になる訳で。きっちり文末で脚韻を合わせていくというより、詞の各部で多重的にちょっとずつ踏んでいく、というスタイルでしょうか。
例えば歌い出しだと、
・1, 3, 4行目をア段で閉じる
・「タワー」「アワー」で韻、さらに「別世界は」でワ合わせ
・「別世界は」「光景だ」でia合わせ、さらに「Pray」と「光景」でuei合わせ
といった。
後は2番後半での、ooで重ねつつ「波のように」「呼応し」でoo(u)iを強調してきて、最後に「愛おしい!」で締めるのとか大好きです。

ライミングはラップに限らず作詞の王道ですし、例えば「僕を見つけて」でも
・1番Aメロはイ段で閉じる
・「何かが胸にまだ、残ったまま」のア段コンボ
とかあるんですけど(自然な詞の流れの結果、韻が一致したという可能性も高いですが)

小節ごとに踏んでいって「ほら、ほら、ここもや、どや?」って出来るのはラップの魅力ですし、言葉フェチの人は大いにハマると思うんですよ。僕もライムスターにハマってからは言語感覚が大いに変わりました。あなたも是非、ライム中毒で手遅れになるまで、ラップ聴きまくれ、紡げ君のgreat verse……はい、黙ります。



ちなみにケビンくんは日本語ラップも親しんでいた印象、マボロシとか口ロロとか。

後、引っかかったのは「レミングスのように」です。レミングスというと昔の名作ゲームに出てくるネズミさんだと思うんですが、その特徴として「何があってもまっすぐ進む(→盲目、盲従性)」「クリアのために犠牲が伴う(→負担の押し付け、「天気の子」でも示唆されてました)」があった気がして、その辺りを現代社会への皮肉として落とし込んでいたら面白いなあと……まあ、単に野生動物としてのレミングの集団移住を意識しただけかもしれませんが。


対するとわなさん作詞は、短いながらも曲調にベストマッチな言葉選び。
「ゆらゆら」「揺れ」、「キラキラ」「煌めいて」と音を合わせているのも気持ちいですし、ラスサビで記憶や感情が高まっていくのも、グルーヴ感のある歌声と相まって心が浮き上がります。

おふたりとも片鱗は見せていましたけど、見事にラップがハマっているんですよね。とわなさんはナチュラルにリズムに乗りつつ、声の切り方もスタイリッシュで。ケビンくんはビギナー感とこなれ感が絶妙に同居しつつ、要所要所でアンニュイなニュアンスをばっちり決めてくる。

fhánaでラップというのも、あるいはケビンくんがメインボーカルってのも昔は考えもしなかったでしょうし。踊ってしまって以来のfhánaの何でもアリ感がまた拡大したな~って意味でも印象的な曲でした。
ヒップホップ界隈ってフィーチャリングが多かったり、他人のトラックにラップを乗せるみたいな流儀が根付いていたりするので、その流れにfhánaが加わってきたら……とかっ考えるとさらに楽しいですね。

(先日のオンラインLIVE「Pathos」ではファンからの質問に即興ラップで答えたりしていたケビンくんです、verseを蹴って歩いていく道は続く……!)


という訳で、各曲感想はここまでです。お付き合いありがとうございます。

ここから、さらにfhánaと関係ないかなり個人的な話に飛びますので、いち亀のパーソナリティとか延々聞かされても……という方は、ご退場いただいても。

僕が書こうとする物語に、またfhánaがリンクしてしまった話

カクヨムとかに載せているオリジナル小説の話です。


2017年から続けている、「Rainbow Noise」の高校編。こちらは合唱部×ガールズラブ+片想い男子、みたいな話なんですけど。テーマとしては「分かり合えない、曲げられない一線は確かにある」「そのままならない関係性の中でも、全力でお互いを肯定して」という、WWWLや虹編めで描かれたような感覚で。
具体的に言うと、自分がビアンだと気づいた女の子と、彼女を好きになった男子が、お互いの気持ちにどう向き合っていくのかという話です。ざっくり言うと。

ここまでは、高校~大学までの自分の価値観の変遷から書いている物語に、fhánaの音楽がぴったりと寄り添ってくれたという点で、意識的にfhánaの影響に乗っていたんですよ。

それでこのRainbow Noiseなんですが、高校卒業後(今は3年生前半なので書くのは少し先なんですが)はガラッと雰囲気が変わって。
大事な人の急逝に直面して、その人がやり残した音楽を、遺された側が受け継いでいこうって話になります。あるいは、受け継ぐことで、遺された側が前を向こうとする話。


もう一つ、2019年に載せ始めた「霊域機動隊」という、死後の世界で固有能力アクションなお話。ここで舞台を死後に持ってきたのは、好きに自然法則をいじれる世界観にしたかったの以上に、「二度と会えないとしても、大切な人のために頑張る」という感情を死者の側から描きたかったからでした。

この世界観が全く違うけど「同じ世界線」である2作を通して、置いていかれた側と置いていった側が、触れ合えず言葉も交わせないままに、それぞれの想いを抱いて歩き続ける――という構図を描きたい、そんな構想がありまして。

ただこういう、永訣の後をメインのテーマにした曲って、これまでのfhánaには少なかったと思うんです。「はじまりのサヨウナラ」「星屑のインターリュード」「ムーンリバー」辺りは、別れがテーマでしたが。書こうとしている話にドンピシャって訳ではなかったので、Aqua TimezとかKalafinaの曲がイメージに近かったんです。

けど、今回の「僕を見つけて」が、まさにそんなテーマで。情報が出てからなんとなくそんな気配はしていたんですが、フルを聴いて「こっちでも来ちゃったか」と確信して。
僕の書こうとしている、永訣から出発する話への、fhánaからの強烈な私信。
こっちが勝手に自創作と結びつけてあれこれ言っているだけなのは重々承知なんですが、本来は関係ないからこそ、縁を感じてしまってなりません。

こうやって、思わぬ形で続ける勇気をもらえたりもして。
だから、ふぁなみりーはやめられない。何度目かの、とびきりの嬉しさがありました。


という訳で。
今回もパッション先行のまとまらないテキストでしたが、お付き合いくださりありがとうございました。

ツアーとかFCとか、待ち構えている供給が楽しみです。

それから1年の、fhánaとの歩み

ということを書いてから1年。

「僕を見つけて」以降のfhánaも、こうして「大切な人との別れと、それを経ての決意」を表現してきました。まだ構想中の4th ALも、恐らくはこうしたテーマになるのではと予想してきました。

しかし、次シングルの「星をあつめて」が出て頃から、いよいよ新型コロナの存在感が増してきました。今も、慣れこそすれ薄まってはいない。

従来の生ライブも、これまで通りのライブもできないという情勢の中。

宅録での新曲「Pathos」を発表し、それを中心に据えてのオンラインLIVEを開催。


まさに「新しい音楽の形」というか。複数カメラによる「視点」の提供、リスナー参加によるセットリスト変化、後日のアーカイブ実況……などなど。生配信ならではの演出を詰めこみ、生ライブにはない楽しさを実現した企画になりました。地方勢としては、交通費の心配をしなくていいのが素直にありがたい。

その社会に生きる人の「現状」に寄り添った音楽を、彼らにしかできない感性で届けてきたのがfhána……という認識が、また新たに更新された回でした。

そしてFCとしても、Zoomを使ったリモートでのミーティングが開催されてきました。予想外が多すぎた今年ですが、着実に「fhánaらしい」活動を届けてくれています。

次の供給を待ちつつ、暑くて冷たい夏を乗り切っていきましょう。

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