#fhána4th アルバム『Cipher』感想~崩れゆくセカイでの、愛と歌を携えた再出発~

はじめに~fhána4thを待ちながら~

3rd アルバム『Wolrd Atlas』から4年。
世界の形が決定的に変わった、そう思わされる節目をいくつも経て、新盤『Cipher』は発売されました。

まずは、リリースありがとうございます。
どこもかしこも大変な中、よくぞ送り出してくれました。

以前からも語っているように、僕にとって、恐らくはメンバーにとっても「fhánaのアルバム」にはとても大事な意味があります。既存曲に新曲を加えての新バージョンというだけでない、fhánaというプロジェクトを音楽的にも精神的にも象徴する作品だと思っています。

最初に4thの話が出た2019年のライブのとき。『僕を見つけて』『星をあつめて』を中心にした「喪失への寄り添いと、継承と前進の決意」がテーマになるのだろうと、僕は予想していました。あの頃のアニメシーンの喪失感があまりに重かった以上、そこと向き合うのがfhánaの流儀だろう、と。

しかしその直後からコロナ禍です、もはや日常となった非常事態の始まりです。大きな障害に直面しつつも、オンラインライブ等でその時勢ならではの音楽を届けてくれたのがfhánaでした。それはとても心強かったし、やはりfhánaを好きで良かった~と思えた反面、「この辺をアルバムにまとめるの、コンセプト的には難しそうだよな~」とも感じていました。

そうした僕の予感とは裏腹に。
『World Atlas』以降のほぼ全楽曲に新曲を加えた、fhána史上でもレアな総力戦的アルバムが発表されました(『Code "Genius" ? (English ver. )』と『閃光のあとに』だけ未収録)
正直な話をすると、(それがレーベル的には効率的な戦略だろうとは思いつつも)「これまでに出した曲まとめただけです」というのは、僕がfhánaのアルバムに求めるものからはズレます。

加えて今回は、結成以前のプロローグ的な楽曲である『Cipher』がタイトルであり、その新バージョンが収録されてもいます。あえて今『Cipher』にフォーカスした理由、そしてこの選曲となった理由に納得できないと、いくら既存曲が好きでもアルバムとしては評価しにくい……という、屈折しすぎた心境でリリースを迎えたのですが。


新曲『Cipher』『Air』と『Zero』で、これまでに出した曲をサンドイッチする……という構成の本作。
確かに「既存曲のまとめ」の傾向は強いのですが。その「まとめた」ことへの意味づけが、fhánaの音楽と物語の再提示が、ちゃんと伝わってくるアルバムでした。
「激動の時代を記録したドキュメンタリー」という触れ込みもありましたが、記録したうえでの総括がなされているアルバムだと思ったのです。

あくまで僕の印象ですが。
アルバム『Cipher』は答えを見つける物語ではなく、見つけた答えが覆されても歩き続けるための物語です。
こんな世界でもfhánaと共に歩き続けられる、その感情を何重にも味わわせてくれたアルバムでした。

本稿では新曲を中心に、アルバムから感じた文脈や精神性の話をしていきます。既存曲についてはこれまでも書いてきましたし、ツアーのレポートで触れようと思っています。


新たな『Cipher.』が指す奇跡の形とは

まずはタイトルでもあるこの曲から。
(以降、『Cipher』の2011年のバージョンを「ミク版」、本アルバムに収録されたバージョンを「towana版」と呼び分けることにします。『New World Line』を思い出しつつ)

僕はミク版から大好きで、fhánaにハマった後から知ってはたびたび聴いていました。佐藤さんのメロディー&サウンドに林さんの詞が乗る、その相性の良さが詰まっていて、純粋に歌として気持ちいい。

一方、この曲の背景にある、初音ミク現象を巡る思索についても、何度か触れているのですが。

部分部分の考察は面白いのですが、僕個人としては結局「何を巡って盛り上がってるのか分かんないよ!!」(シンジくん風味)となってしまう議論なんですよね。

僕は中学の頃にボカロブームを体験していて、ryo・ハチ・じん・kemu・wowakaといった面子を友人から布教されてはニコ動でチェックする日々を送っていました。ミクたちのライブをTVやニコ生で観て、『歌ってみた』『演奏してみた』を漁っては「やっぱ面白いなこの文化」と思っていました。

ただ、元から人間が歌唱していた音楽との違いを、それほど深く考えていなかったんですよね……制作経路が違うのは理解しつつも、BUMP OF CHIKENや水樹奈々やfripSideと同じように「ryo×ミク」「kemu×IA」を好んでいた気がします。だからこのtogetterを読んでも、「発想は面白いけど……そんなに生身ボーカルとの違いを深掘りしなくても……」となるのが正直な感想です。

『where you are』のツアーパンフを読んだときにも思ったんですが。佐藤さん×林さんの曲作りにまつわる文脈や意図の話は大好きなんですが、お二人の純粋な議論にはついて行きにくさを感じがちで……形而上の領域を猛ダッシュしすぎるというか……

ただ、togetterの中にすごく好きな言葉があって。


初音ミクというボカロソフトとキャラクター。ニコ動というプラットフォーム。Pや絵師といったクリエイターたち。乗っかっていくリスナーたち。
あるいは、「個人による創作をみんなで盛り上げたい」という意識の集合。


『Tell Your World』で描かれたような世界観が、社会と個人の、環境と感性の絶妙な合致によって作られていった、そのことは奇跡のようだよね……という発言であり、ミク版で歌われる「奇跡」「光」にもつながっていると、僕は解釈したのですが。

この流れ、fhánaの流儀とも一致すると思うのです。
社会で起こった重大なイベントや精神的なムーブメント、あるいはタイアップ作品……これらの環境に、そのときにやりたい音楽を、表現したい感情を掛け合わせることで、fhánaの名曲は生まれてきました。

ミク現象の不思議さや、既存の常識に対するカウンター的側面を踏まえつつも、その影響を「奇跡」として祝福するのがミク版だとすれば。

これまでの常識が脅かされる現在において、現代社会をリファレンスした音楽を作りリスナーに届けるfhánaの営みも、同じく「奇跡」と呼べるかもしれない。
故に、原点へ回帰しつつも自分たちの在り方を提示しなおすという意味で、『Cipher』をtowana版としてリプライズする意味は非常に大きい。

……というのは、こじつけの過大な解釈かもしれませんが。
繰り返し聴くうちに浮かんでくるのは、こういうストーリーなんですよね。

そのうえで、リライトされた歌詞のうちで気になるポイントを見ていきます。

ミク版:帰ろうとしないマネキン達の宴
towana版:故郷を失くしたマネキン達の宴

ミク版だの「この現状を望んだ」に対し、towana版だと「この現状にいるしかない」ニュアンスになると感じました。

ミク版:全ての不条理が満ち満ちた部屋から零れた
towana版:全ての不条理が満ち満ちた砂漠に零れた

インタビューや出演メディアでも触れられていましたが、インターネット上の現象を描いていた以前のfhánaに対し、最近のfhánaはより実社会にフォーカスしています。
だから屋外を示すワードで、荒涼さや苛酷さ、虚無感をまとう〈砂漠〉です。『World Atlas』でも登場していますし、今回の『Zero』も砂漠らしい雰囲気を感じました。

ミク版:怖がりもせず積み木を崩す
towana版:怖がりもせず船に乗り込む

〈積み木を崩す〉は常識への反抗みたいな意味合いかな?
対する〈船に乗り込む〉といえば、『It's a Popular Song』を思いだします。前アルバムからの引き継ぎを感じさせるような歌詞、好きですね。

ミク版:
消えてしまいそう。その窓は可視化され、遍くサイファ。その深淵を覗き見る。全ての不条理が満ち満ちた部屋から零れた奇跡を何と名付けた?
towana版:
消えてしまいそう 加速する旅の果て 溢れるサイファ 物語は始まりへ
それで僕たちがまたこの地に帰り掴んだ 奇跡を何と名付けよう

この最終パートを聴いただけで、「Cipherリメイクする意味めっちゃあったな」と思ったんですよね……
2019年以降の時勢やfhánaの活動を〈加速する旅の果て〉と、現在地を〈物語は始まりへ〉と捉えつつ。
〈またこの地に帰り〉ですよ。円環を感じさせつつ、あくまで意志を持った再出発として提示する。

towanaさんのロングトーンを聴きつつ、「またfhánaは始まるんだ」という決意をひしひしと感じました。

ここまで歌詞に注目してきましたが、サウンドも大好きです。生楽器フィーチャーや打ち込みメインとも違う、ピアノが光るバンドサウンド。上品さがありつつ、リズム隊がグイグイ動いているのもいい。

そしてやっぱりメロがいい~~!! やはり佐藤メロディに脳を支配されているんだ僕は~~!!

『Air』に込められた、ストレートな音楽への愛情

タイトルが発表されたとき、僕はこんなことを考えておりました。

5周年記念ライブの3部構成はエヴァの劇場版(Air/まごころを、君に)へのオマージュだった……みたいなことを佐藤さんが話していた気もしますし(ソース見つからず、違ってたらごめんなさい)、今回の2部構成もそうなのかなと思っていたんですよ。

エヴァでもKeyでもなくスタバだった(with 草野華余子さん)の、なんたる読み違い……

とはいえ、すごくtowanaさんらしい感情で作られた曲だな、と思うのです。〈必要なのは定義じゃなく感じる心だった〉とあるように、迷いや疑問を経ての素直なフィーリングが綴られている。デカルト風に言えば「我感じる、ゆえに愛だ」なんですよね。これも拡大解釈ですが、『Cipher.』での〈奇跡を何と名付けた?〉へのアンサーとして「愛」が浮かんでくる、そんな曲順でもあると思います。

音楽のある空間、プレイヤーとリスナーが交わる場所を指しての〈愛はこの風の中〉というフレーズが核です。そもそも音を伝える主な媒質が空気なので、placeでもspaceでもなくairになるのは必然。

そしてサウンドも、「音楽が生み出す愛」というテーマに強烈な説得力を与えてくれます。『愛のシュプリーム!』に続き、生音ダンサブル系の集大成のような。とにかく耳が幸せ。


そしてMVも素晴らしかったです……fhánaのセッション系MVの中でも相当に良い出来映えではと思います。照明やカメラワークがとても良いし、何よりtowanaさんの可愛らしさが爆発している。世界最高のクラップですよ。
MVにサポートメンバーも集めて録ったことにも、豪華さと共に「音楽はみんなで創るものなんだ」という意味合いを感じて良きです。

しかし、楽しいだけでもないのがこの曲。

密やかな愉しみと まだ少し痛む傷を混ぜて
今に魔法をかけよう

サビ終わりの盛り上がったタイミングで〈傷〉にドキリとするfhánaらしさ。『星をあつめて』での〈心に空いた穴は消えないけど歩けるさ〉もそうですが、ポジティブさの中にも痛みが滲むのがfhánaだなと思うのです。

他にtowanaさんらしさを感じたのが、2番の〈夕焼け色グラデーション 同じ空を見るきみはどこ?〉です。towanaさんは空の色に注目しがち、『where you are』『Pathos』とかもそうですね。

そして〈どこまでも続いていく キャラバン 行こうこの砂漠を〉がグッときます。アルバムのブックレットを合わせて読むと泣ける……

それにしても『Air』のサビ、なかなかトリッキーな展開に思えるんですよね。歌うのとても難しいのでは……

ここからは既存曲ゾーン。
『愛のシュプリーム!』でアクセル全開にしつつ、和賀さんやkevinくんの持ち味が光るc/w曲を経て、クリエイターへの敬意と自分たちの矜持を歌う『星をあつめて』で締める、アッパーさの強いAct 1。
コロナ禍を投影した『Logos』『Pathos』に始まり、離別や孤独を描いた『世界を変える夢を見て』から『僕を見つけて』までを経て、分断と希望を見つめる『Ethos』コンボに至るAct 2。

そして。

『Zero』によるfhána史の再出発

アルバム最終曲であり、制作時期としても最新曲です。恐らく、ウクライナ情勢を受けての楽曲。

『Zero』にまつわる予告を眺めつつ、あるいは政治色の濃いストレートな反戦ソングになるのかな……という予感もしていました。それはfhánaらしくはないとはいえ、「らしくない」に踏み出すからこそ強まるメッセージ性もあるでしょう。

とはいえ実際の楽曲は、あくまでもfhána的な世界観の延長で今を見つけたモノになったな……と思っています。

君はまだ思えてる? どんな世界を僕たちは想定していたか

こうした言葉に触れて今でも思い出すの、2019年の自主ライブ『Sound of Scene #01』なんですよ。

fhánaの新しいスタイルが生まれる予感がして、ツアーとFC開設が発表されて、ふぁなみりーと一緒に歓声を上げた渋谷の夜。

大好きなクリエイターたちが大勢亡くなってしまうことも、集まって歓声を上げるライブができなくなることも、直接に顔を見て話すことにすら注意しなきゃいけなくなることも、大きな戦争が起こることも、想像なんてしていませんでした。
学業が大変なりに、もっと楽しいことがたくさん待っていると、好きな人と好きな音楽を楽しめる時間が何度でも来ると信じていた、物凄く遠い3年前のこと。

けど、きっと僕ら以上に、その悲しみと向き合ってきたのがfhánaです。

滲んだ憂鬱の先の世界
まだ見えないよ 煙に包まれて
だけどあの日捧げたそんな祈りは
いつかまた地図を描き出すよ

憂鬱=Outside of Melancholy
祈り=What a Wonderful World Line
地図=World Atlas
……というふうに捉えて良いと思います。

憂鬱の底が抜けてしまう世界になりつつあります。
分かり合えないが故の悲惨な事態も増えています。
旅に出て人と合流する、そのハードルは上がっています。

これまでに打ち出してきた世界観が脅かされていることを描きつつ、積み上げてきたモノが崩れ去ってきた徒労感を滲ませつつ、それでも。

旅を続ける またゼロに戻っても
何度も何度も闇に火を灯す

心に希望を灯すことを、諦めてない。信じ切れなくても、絶望はしてない。
このスタンスが非常にfhánaらしい。無敵じゃない、脅かされもするけど、まだ負けてない。

悲痛な現状を歌いつつも、ダイレクトな描写は避けたバランスの歌詞になっています。
戦場からの報道と僕らのマインドについては、〈光の矢〉と〈凍結された感情〉。
陰鬱な世情の中でも生活を続けることには、〈闇の中でスープを飲む〉。
苦しみの終わりへの祈りは、〈その時計がゼロに止まる瞬間〉。

※〈時計の針がゼロ〉は、国際社会の文脈を踏まえると世界終末時計とかも浮かんだんですけど、この曲ではポジティブな方向を示していると思ったので「苦しみの終わり」と解釈しました。

さらにこの曲、音と詞のバランスがとてもレアです。アンバランスとさえ思える。
シビアな叙事や荒涼とした叙景、憂鬱な叙情の歌詞に対して。
メロディはこれでもかというほどに「佐藤純一っぽい」です。『World Atlas』のポップさや、寺島拓篤さんに提供した『ソラニ×メロディ』の疾走感を彷彿とさせるような。
そしてサウンドは、fhánaに……というより「このメロディのfhána」には珍しい、硬質で荒々しい作りになっています。ゴリっとしたバンドサウンドの中にピッチカートや装飾音が入っているから、さらに聴いていてバランスが狂う……

しかし、こうしたアンバランスさ、不調和なムードこそ、『Zero』を生み出したfhánaの心境にリンクすると思うのです。
これまで通りだけじゃいられない、けど自分たちらしさを曲げるのも違う、なら今fhánaに出来ることはなんだ……という葛藤と模索、それらがそのまま曲になったように感じました。

towanaさんのブレスでこの曲は終わりますが、エンディング感は希薄です。これまでの3枚とは違い、どこか放り出されたような不安な感覚で終わるアルバムです。

だから良い。
終わりそうもない世界の悲しみに歌で向き合う旅、その再出発への決意を確かめるアルバムです。
ゴールへの到達を祝うのではなく、ゴールを見失った世界でも歩き続けるための物語です。

以前に思い描いていた情景とは、違うことだらけですが。
文句なしに、間違いなく、僕の好きな「fhánaらしい」アルバムでした。僕が思ってきたfhánaらしさから変化を重ねたうえでの「らしさ」に、やっぱりfhánaが好きなんだと実感するアルバムでした。

からのツアーです!!
東京公演は参戦確定、僕にとっては2019年以来の生fhánaです。

激動の時代を乗り越え、メジャーデビュー10周年を前にしたfhánaが、どんな愛を、魔法を、聴かせてくれるのか。楽しみにしています。





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