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責任の輪を広げる

社内での会話です。
私がこう言いました。
「貧困をなくしたい」

もうひとりがこう言いました。
「努力していない人が貧困になるのは仕方がないのではないか?」
彼のこの言葉は、貧困の人が皆努力していないという意味ではありません。
働けるのに働かない人や、ギャンブル依存症の人など、彼らが貧困であるのは自業自得であり、彼らまで助ける必要はないのではないかという意味です。

その時、反論をしなかったのですが、なにか彼と私の感覚の違いを感じていました。それが何なのかを書き記しておきます。

バナナと日本人

これは古い本のタイトルです。岩波書店から1982年に出版されました。
私が子どもの頃に、社会の授業かなにかで紹介されていました。
日本で安く食べられるようになったバナナの裏には、多国籍企業の暗躍、フィリピンのミンダナオ島の農園労働者の貧苦があるが書かれています。

2006年にアメリカで制作された映画「ブラッド・ダイヤモンド」では、ヨーロッパなどの先進国で売られている一部のダイヤモンドが、実はアフリカのテロリストの資金源になっていて、それが原因で多くの人の命が奪われているという紛争ダイヤモンドの問題をベースにした映画です。

関係ないと思って見ていたニュースが、実は自分も関与していることかもしれません。

全く関係のないものなんてない

人は皆、影響しあって生きていると思います。

冒頭の話に戻りますが、彼と私の感覚の違いは、責任の輪をどこまで入れているかにあると思います。

責任というと、親が子どもを養う責任とか、社長が従業員に対して持つ責任とか、仕事とか、なにかやらなければいけないという重いイメージを持つかもしれません。
ここでの責任はもう少し広い意味です。

例えば、あなたの友達、ご近所さん、仕事の同僚、クラスメイトは、あなたに責任がありますか?と聞かれたら、あると答える人もいるでしょうし、ないと答える人もいるかも知れません。自分の家族なら当然YESと答える方は多いでしょうが、ご近所さんとは挨拶程度だからNOと答える人もいるかもしれません。しかし、お互い関係があることは事実だと思います。
であれば、上の図のように責任がないと答えた人も関係を色で表すなら、全く白ではないはずです。

「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こす」という現象をバタフライ効果と呼ぶそうです。
これが嘘かホントかよくわかりませんが、私は全ての人は皆、影響しあって生きていると考えています。
全く出会ったこともない地球の裏側に住んでいる人さえもです。間接的に何らかの影響を受けていると思います。
ということは、上の図で白いところはひとつもないのです。
あとは、自分がどこに責任の輪を置くかということになります。

自業自得なら救わなくていいのか?

少し過激な例え話をします。
自分の部屋にずっと引きこもっている人がいるとします。
彼は親に養ってもらい生活をしています。身体は健康でも働かず、ずっと家にいました。いつしか彼は歳を取り、彼の親は先立ちました。
彼は貧困です。そして彼は人生に絶望しました。
そして、外に出て何も罪もない人を無差別に殺したあとに自殺しました。

仮に殺された人があなたの大切な人だったらどう思うでしょうか?
絶望したとしても他人を殺してしまう心理は私にはわかりませんが、実際こういうような事件はあると思います。

引きこもりの人も、ギャンブル依存症の人も、きっと原因があります。
育った家庭問題かもしれません。根本にはこの社会に問題があるのかもしれません。

この社会の恩恵の中で生きている

私たちは餓死する心配もなく、今まで生きることができました。
それは過去の多くの人たちのおかげで、今のこの社会基盤があり、今も多くの人たちが勤勉に働いているおかげで経済や科学が発展し、その恩恵を我々は受けて生きています。
そういう意味で、私たちは生きているだけで多くに感謝をするべきだと思います。

もし私がアフリカに生まれていたら、生まれてすぐに死んでいたかもしれませんし、今のように会社を起こすこともできなかったかもしれません。

去年宮城県の女川町という小さい町に一週間お試し移住をしました。
そこにはお店はほとんどありません。夜10時以降になると町は真っ暗になります。
移住が終わり東京に帰ると、家の前には24時間営業しているスーパーがあり、コンビニも至るところにあります。いつまでも明るい街の様子に少しホッとしてしまいました。自分にとって当たり前のものは、そのありがたみに気がつけないものです。

社会の問題も受け止める

社会の恩恵を受けて生きているのであれば、なおさら社会の問題にも目を向けるべきです。恩恵だけ受けておいて、問題が起きたら、他人の責任、自分は関係ないでは、虫が良すぎます。
"自分のために"という表現をよく使用しますが、本当は見返りを求めず社会のために問題に取り組むことが本来のあるべき姿だと私は思っています。なぜなら既に私たちはこの社会からたくさんの恩恵を受けてますし、これからも受け続けるからです。

責任の輪を広げる

自分の家の庭にゴミが落ちていたら、大抵の人は拾うと思います。
それは自分の庭が自分の責任の輪の中にあるからです。
自分の町にゴミが落ちていたら拾いますか?もし自分の責任の輪の中に町が入っていれば、拾うかも知れません。
そういう人が増えれば、町からゴミが減り、地域の治安も良くなるかも知れません。あのバタフライ効果のように、ちょっとした行動が大きな良い影響を地域全体、日本全体、世界全体に波及させていくかもしれません。

自分の住んでいる地域、社会、そして世界で起こっていることは、全て自分の責任と思える人が増えたら、世界は益々良い方向に進んでいくに違いありません。

貧困問題

私たちは普通に生活していると貧困の人と出会い、意見を交わすことはほとんどありません。私たちは貧困のことをよく理解していません。日本に貧困はないと思っている人も多いかも知れません。自己責任論も多いと思います。しかし、貧困率は上がり、貧困家庭の子どもの割合も増え、生活保護費の支給が増えているのも事実です。
この問題を単に自己責任だと片付け、私たちは今後も幸せに生きていけるのでしょうか。

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