Nobody Loves me

※「世界のまんなか」重版御礼

何だか、自分がくらげになったみたいな気分だった。旅先の温泉宿で転んで、目覚めてからずっと。頭を打ったせいか記憶に曖昧な部分が多く、最初は、自分の周囲の現実がふわふわと頼りなく感じられたが、やがて違うと思えた。
かたちを保てず、漂うように息をしているのは自分だった。世界のほうが、そんな自分を持て余している。国江田さんは不安だった。

新聞を開き、テレビをつける。いつもの日常だった。知っている言葉、知っているニュース、新しいニュース。国江田さんはそれらを理解し、そしゃくすることができる。身の回りをきちんとととのえ、食べるものを作り、働いた報酬で衣食住をキープしている。この毎日のどこに「安定」がないのだろう?考えても分からない、考えること自体が正解なのかどうかも分からない。
実はまだ頭を打って(あるいはほかの事故なり病気なりで)夢の中にいるんじゃないだろうか、と思ったりもする。

––––どこか、自分が自分じゃないみたいな感覚があって……。

医者に軽く相談してみたが「まあ、しばらく様子を見ましょう」と流された。ということは、すくなくとも第三者には正常に見えているのだろう。誰かに、電話やメールをしてみたらすこしはすっきりするだろうか?でも、誰の顔も浮かんでこない。心当たりがないんじゃなくて、親とか同僚とか大学時代の知人とか、すべて「違う」のだった。

夜更けまで寝つけず、目が覚めたら万事がクリアになって脱くらげできるかもと期待を込めて浅い眠りにたゆたっても何も変わっていなかった。
夜明け前、誰もいない部屋には海の中みたいなうす青い闇が満ちている。なじんだ自宅のはずなのに、ソファもテーブルも本棚も、よそよそしい。どうして並んでいるのか謎な漫画、どこのためのものか分からない鍵、そういったものたちがいっせいに、声なく自分を責めているような気がした。お前じゃない、と。

国江田さんは寂しい。どうしてこんなに寂しいのか分からないのがまた寂しい。たまらない。あるもの思いが、頭を占領する。
それは、「誰も自分のことを好きではない」という呪文のような考えだった。どうして。どうして。悪いこともひどいこともせず、ちゃんと生きてきた。周りともコミュニケーションを怠らず、はっきりと他人から嫌われた覚えなどないはずだった。それなのに。
国江田さんは、ただじっと朝を待つ。朝が来て、昼が来て、夜が近づいたら、あの人のところへ行こう、と思う。都築さん。

都築さんのことだけは、何ひとつ覚えていなかった。目覚めた時が初対面だった。なのに––––いや、「だから」だろうか。都築さんといる時だけは、輪郭が定まってくらげじゃなくなる実感があった。安心するし、楽しい。

でも、都築さんが国江田さんを見る眼差しの中にも寂しい色がよぎることがあった。今、自分がしているような思いを、ひょっとすると都築さんにもさせているのかもしれない。その想像は、またうんと国江田さんを寂しくさせた。ごめんなさい、とつぶやいてみる。でも会いたいです、とも。
誰も––––もしかするとあなたも、僕を好きじゃなかったとしても。

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一穂ミチ

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こばなしたち

コメント2件

思いがけないときにプレゼントをいただきました。いろいろな情景を思い浮かべるとなんだか泣きそうです。素敵なお話をありがとうございました。
忙しかったので今読ませていただきました。もうもう🐮朝から泣いてしまいました。これから出掛けるのですがお化粧できません……切ないですね。でもここからって分かっているから安心もできます。お忙しい中国江田さんありがとうございました🙇今日の生きる糧になりました🐾😆
イエスノーではないのですが、高校野球に初鹿野くんがいました。が、読み方がはつかのくんでした。いろいろな読み方があるのですね。ちょっとおばさん応援しちゃおっかなとか思いました。チャンスで打てたときのかっこよさ✨爽やか😃✨かわいい🎀顔、鉄くんもこんな風に「かわいい、かっこいい、かわいい、かっこいい、うん、かわいい」って思ったのでしょうか。早くご本が見たいです🎵長文失礼しました🙇
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