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パラソルとパラシュート(2017Summer)

日傘を差して、佑が真知の家にやって来る。正確には家というか店のほうだ。日傘の影からはみだした片腕が真夏の陽射しに光っているのが、入り口のガラス戸越しにもよく見えた。まだ午前中なのに今日も暑そうだ。

「こんにちはー」
「いらっしゃい。母さん、佑来たから、作業始めるよ。店番代わって」
「はいはい。佑くん、暑い中ありがとうね」
「いえ」

佑がくるくるたたむ日傘には、グレー地にピンクの傘とブルーのしずくが描かれている。淡くにじむ、水気のたっぷりした水彩のタッチで、これを炎天の中使うセンスはちょっとおもしろい。
「こっちきて」
小上がりになっている、店の奥の和室には押し入れを改造した納戸があり、在庫や備品の一部がしまわれているのだが、今は繁忙期とあってぱんぱんだった。真知は、注文リストを挟んだクリアファイルを佑に手渡す。

「じゃあ、まず箱組み立てて、中身詰めてくれる? 商品見本のとおりの順番で」
「はーい」

ありがたくも多忙なお中元シーズンの、発送の手伝いを佑がしてくれることになった。短期バイトを雇うのにもなかなか気苦労があって、なるべく親戚や友人知人に声をかけている(もちろん有償で)。
最初は黙々と作業していたが、佑が慣れてスムーズに手が動くようになると、真知は「相変わらず日傘愛用してんね」と話しかけた。
「うん、だって暑いじゃん。俺、直射日光で頭痛くなるから。ていうか男はもっと日傘使うべきだと思う。女の子より背が高いってことは太陽に近いんだよ?」
限りなくゼロに近い誤差について力説する。

「最近はゲリラ豪雨も多いし、絶対便利」
「そのとおりなんだけど、やっぱり、女の人が使うものっていう意識が強いから抵抗あるんじゃないかな。毎年、男性用日傘とか宣伝はしてるけど今いち流行んないし」

だいぶ極端ではあるが、ちょっと女装めいた気持ちになってしまうのかもしれない。かく言う真知も、やっぱり気後れして使えない。
「真知は、日傘差してる俺と歩くのいや?」
「そんなわけないじゃん。佑は……何かいいんだよ、さまになってる」
男性日傘普及協会、なんてのがあったらイメージキャラクターに推薦したいくらいだ。
「傘なんか誰でも差すじゃん!」
「いやー……大学で何か言われる?」
「たまに言われるけど、『え、何か悪い?』って訊いたら黙るよね。あと、女の子に
は妙にウケがいい――それで喜んでるって話じゃないから」
真顔で念を押され「分かってるよ」と照れながら答える。

「男の消臭とかスキンケアとか言うし、そこは普通に気にしてるのに日傘は変わってるっていう線引きの意味が分かんないや」
「そのうち時代が佑に追いつくよ」
「最先端すぎたかー。まあ、俺も最近まで保守的だったしね」
「え……どのへんが?」
「大学入るまで、黒い日傘しか使えなかったもん。男の傘はこうでなきゃ、みたいな。でも俺、黒好きじゃないし、持っててもつまんないから愛着湧かないし、晴れた日には暑苦しくて雨が降ったら景色に溶け込んじゃって車から見えにくいし、ほかの人のと間違えやすいし……何のために、誰の顔色見て我慢してんのかなって思ったらばかばかしくなって、好きな柄のを使おうと思った」
「なるほど」
「大学っておもしろいね、俺んか目じゃないぐらい自由な人がいっぱいいる。それが無条件に素晴らしいってことはないけど、知るのは大事だと思う」

そういえば「男なのに女に殴られて吹っ飛んで恥ずかしい」という、頑ななプライドも持っていた。あんなこと――と言ったら申し訳ないけど――で悔しくて泣いていた佑は、十年も過去じゃないのに、むしょうに懐かしい。かわいくて男らしかったな、という感慨を口に出せば機嫌を損ねるに違いないけど。
「何だよー」
黙って笑っていると、佑が不満げに唇を尖らせた。
「何でもない」
「うっそ、超笑ってる」
「楽しいから」
「それは俺も同感だけど」
地味な内職をしながら、そんなふうに言ってくれる。真知は「今の傘、佑に似合ってるよ」と指先で軽く手の甲に触れた。
「やめろよー、どきどきすんだろー」
佑の笑顔は、晴れの日にも雨の日にも似合う。

品物を詰めてしおりを入れてこれは内のしこれは外のし……とチェックしながら包装し、配送伝票を貼り付ける。昼休憩を挟みつつ、六~七時間作業を進めて宅配便の集荷に託した。佑が座ったまま大きく伸びをする。

「ん~……目の前の山が片付いていくと達成感あるよね」
「お疲れ佑、ありがとう、だいぶ捗った」
「いつでも呼んで」
「ほんとに助かったわ」
母親が、封筒を手にやってきた。
「これ、バイト代ね。すくなくて申し訳ないんだけど」
「とんでもないです、ありがとうございます」

佑はちゃんと正座し、手をついてお辞儀してから謝礼を受け取った。母の手にはもう一通封筒がある。
「あと、これ……ホテルのプールのチケット。大昔に一回行ったでしょう? よかったらどう? 今年からはナイトプールっていうのがきれいみたい」
「え、いいんですか、行きたい」
礼儀正しい好青年から一気に少年へと巻き戻り「真知、今から行こうよ」と弾んだ声で誘う。
「えー……大学の友達と行ってくれば?」
「何で、真知と行きたいのに」
第三者がいる前でこの発言、すこしどきっとさせられたが、母親は「あらまあ」という感じでにこにこしている。
「もう、プールって年じゃないと思うし」
「年齢制限なんかないよ」
「水着持ってないし」
「行く道のどっかで買おう、俺もそうするから」
絶対諦める気がないらしい佑に、結局引っ張られてしまった。臆病な真知の背中を押し、手を引いてくれるのはいつも佑のほうだった。佑といると、すこし強くなれる、というか開き直れる気がする。もちろんひとりになってしまえば元どおりの心許ない魔法ではあるのだけれど。

適当なファッションビルで水着を仕入れ、ぬかりなくタグも切ってもらってからホテルのプールに行った。大学三年の夏以来だ。
「おー、夜来ると全然違う」
ちょうど陽が沈みかける頃で、ライトアップされた水の中は青い光と水がゆらゆらしている。結構混み合っているせいもあり、泳ぐというより浸かるテンションだった。
たぶん、こういうコンセプトなんだろう。涼んでちょっとリゾート気分、みたいな。
運よくデッキチェアを二脚確保し、いちばん広いプールに足から入った。ぬるま湯と水の中間くらいの温度が、蒸し暑い夕暮れにちょうどいい。
「浮かぶやつ、借りてくる? ふたりで乗れるの」
「え、いいよ、ぶつかったら迷惑だし――」
とか言っている側から、大きなビニールのフロートが肩に当たった。ショッキングピンクのフラミンゴ。痛くはないけどびっくりする。女の子がふたり乗っていて、真知に気づくと慌てて「すいません」と言った。
「いえ」
「……あれっ?」
彼女らの、真知よりずいぶん高い目線が、傍らの佑へとずれた。
「日傘くん?」
「え、俺のこと知ってんの?」
「あ、うん、大学で見かける。あと、多田くん分かる?」
「うん、よく昼めし食うよ」
「サークル一緒なんだ。きょうも来てるよ」
「へー」
「日傘くんは?」
「俺はねー、近所のお兄さんと来た」
「え、何それかわいい」
くすくす笑われて、もちろんちっとも悪い意図の笑いではないのだが、何となく居心地が悪い。だから言ったじゃん、と誘ってくれた佑に思ってしまう自分がまたいやだ。
「写真撮ってもらっていい?」
「いーよ。俺たちも撮ってくれる?」
「うん。じゃあ後でこれ乗る?」
「乗りたい」
どんどん話が進んでいくので、真知は「いいよ!」と慌てて手を振った。
「ちょっと喉渇いたから、何か買ってくる。佑、ゆっくりしてて」

答えを待たず、急いで水から上がり、プールサイドにしつらえられたバーカウンターに向かうも長蛇の列で、単なる口実に過ぎなかったからすぐ諦めた。まっすぐ戻るの
もな……と迷っていると、白くて丸いものがいっぱい浮かんだエリアを見つけ、よそほど混んでいなかったのもあって何となく入ってみた。ぎっしり浮かぶものを手に取ってみると、ただの白いゴムボールだ。投げていい……わけはないだろうし、単なるディスプレイか、ごみ取り効果でもあるのか。両手で水をかくと、ボールが次々動いていくのはちょっと楽しかった。

前に来た時は、佑が痴漢に遭遇して、いろいろ(真知の精神的に)大変だった。今は、あの頃には想像もしなかった心配をしている。そう思うと、途方もない年月が流れた気もする。それは、佑が感じていたもどかしさの体感なのだろう。傍目にはどんなに急激な成長を遂げていようと、大人への道は長く果てない。
今の佑に会いたい、そう思った時、あたりのボールがいっせいに色づいた。カラフルに、ステンドグラスのような色彩を浮かべ、わあっと歓声が上がる。そっか、こうやってイルミネーションを投影するための仕掛けだったんだ。佑に教えてあげなきゃ。

「……見つけた」

背中に、ぽこんとボールがぶつかる。振り返ると、佑の顔にも色と光が揺れている。
佑の目に映る、真知もきっと。

「どこ行ってんの、もう」
「ごめん、でも探しに行くとこだった」
「ほんとかなー」
「ほんとだよ……目離したら、悪い大人に声かけられちゃうの忘れてた」
そんなこともあったね、と佑は笑う。
「あの時も笑ってた、人の気も知らずに」
「だって、子どもって、下ネタで無条件に笑っちゃうじゃん。俺にとってはその程度で、真知が何であんなに慌てるのか、よく分かんなかった。悪いことしたなあって思ったけど、真知をひとり占めできたから嬉しかった」
万華鏡のようにくるくると球体の景色は変わる。
「でね、後になって、自分が言われたことの意味がはっきり理解できるようになったら、真知が真剣に俺のこと心配してくれてたんだって、それも一緒に分かって、ますます真知を好きになった。……ありがとう、真知、あの時も、今も」
そんなの、俺が言いたい。何百回でも。でも追いつかない。だって「今」もどんどん「あの時」になって、新しい「ありがとう」と「好き」を重ねていくはずだから。光のように濁りなく。

帰り道、シャッターが閉じた何かの店の前で、佑は急に日傘を開いた。
「夜だよ」
「うん――こうして使う」
雨模様の日傘を道路側にぐっと傾け、ふたりの姿を隠してからこっそりキスをした。
 一瞬にして舞い上がった心が、やがて右へ左へと振れながら、ゆっくり着地してくるのを待つ。パラシュートみたいに、佑の日傘にぶら下がって降りてみたいと思う。

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