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さびしさ

※「アンティミテ」発売記念こばなし。本編読了後にどうぞ。

「登島さんのつき合ってる人って、どんな感じなんすか?」
「ん〜……魔法使いみたいな?」
「どっ、童貞?」
「だったら面白いよね〜」
「そんなわけあるか……」
「じゃあ契約?」
「契約は、俺じゃなくて父親のほうかな」
「えっ、何かすんごいどろどろした関係を想像しちゃうんですけど⁉︎」
「あはは、絵に描いてもいいよ〜」

と軽快に笑っていた羊とは、魔法使いの仕事が早く終わったとかで夜の浅いうちに別れた。
「登島さんてちょっと謎めいてんね。微妙に捉えどころないみたいな」
「羊は昔っからそうだよ。秘密主義ってわけじゃないけど、どこか素が見えないというか」
「へー。俺ももうちょっとミステリアスに振る舞ったほうがいい?」
「手遅れにもほどがある」
「何だよー」
「全開なのが群のいいところだろう」
「え、そうかな、褒められてる……?」
「褒めてる褒めてる」
「雑!」
「まだ早いからどこか寄っていこうか––––ああ、映画でも観るか。お前が見たことないフランス映画、ちょうどやってるぞ」
「え、エロいやつ?」
「フランス映画を何だと思ってるんだ?」
たぶんきっと絶対その手の要素はない、と念を押したが、それでも観たいというので、行った。結果、群は約九十分の上映時間の半分くらいを和楽の肩にもたれて安らかに過ごすことになった。
「ぜ、全然分からん、フランス映画……」
「ああいうのばっかりでもないぞ」
群が寝落ちしたのも無理はない。さまざまな映画の一場面を切り取った短いコラージュとナレーションの連続で、ストーリーらしいものはなく、言いたいことは何となく分かる(気がする)が観念的で、和楽も時間を忘れて見入るというわけにはいかなかった。他者の表現でイメージを連ねていく流れを、こういうのもあるんだな、とただ傍観していたに過ぎない。
「むしろよく保ったな、十分くらいで寝るかと思ってた」
「俺、感性が鈍いのかな?」
真顔で案じているから笑える。
「好みとか相性の問題だし、ゴダールを理解してると断言できる人間のほうがすくないと思うよ」
「そんなもんかな〜」
「ああ」
群の背中を軽く叩き、和楽は優しく語りかけた。
「次は、ディズニーかピクサーにしような」
「ハードル下げすぎじゃね!」

深夜、「和楽さん」と揺り起こされる。
「ん……どうした?」
「眠れない」
「は?」
まだやりたいのか?と思ったが、群は「さっきの映画」と訴える。
「色がやたら鮮やかだったじゃん。海が赤かったり、機関車の煙が青かったり、パンジーの紫とか……そういうのが、今ごろ頭の中に響いててちかちかする」
「……へえ」
時間差で刺してくるとは、さすが巨匠。和楽は感心しつつベッドから半身を起こし「ホットミルクでも飲むか?」と尋ねる。
「ううん。描きたい。ここに画材ある?」
「鉛筆すらない」
モノクロの寝室で、群は本当につらそうにこめかみを抑えている。そこから色彩と一緒に頭の中身が漏れ出すのを危惧しているのかもしれない。
「アトリエ行こっかな……」
「いや、ちょっと待て」
リアルな画材はなくても、これがあるじゃないか。和楽はタブレット端末を持ってきて、適当なペイントアプリをダウンロードしてやった。
「これでもいいか?」
「たぶん、使ったことないけど」
チュートリアルさえ見ずに、架空のパレットから指で色を拾い、液晶のキャンバスに広げていく。伸ばして、ぼかして、消して。不慣れな道具への戸惑いはすぐに消え、群の横顔はふだんスケッチブックやイーゼルに向かっている時と変わらない集中を示した。「描く」というより「響いている」色を吐き出しているのだろう画面にモチーフらしいものは見当たらない。たぶん、もうすこし整理が必要なのだろう。
和楽は台所に立ち、自分のために牛乳を温めた。群の耳にはもう届かない。ブランデーをすこし混ぜたホットミルクを飲みながら、黙って恋人の没頭を眺めた。
魔法も謎も、ぜんぶお前のほうだろう、と思いながら。捉えるどころか、触ることすらできない世界。この、短い寂しさに、いつかは慣れるのだろうか。群が笑顔で「描けた」とこっちに戻ってきてくれるまでの、束の間の別れに。

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