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とざして(2020new yearより)

※2020年1月のインテックス大阪で配布したペーパーのこばなしです。設楽と栄 

 浅い眠りの間、眼球は動いている。まぶたのうすい皮の下でごろごろ動く感触で最近はしょっちゅう目覚めてしまう。まぶたを開けるとそれは憎らしいほどぴたりと収まる。レム睡眠の最中に見る夢への反応らしいが、どんな夢だったかはさっぱり覚えていない。カーテンを開けっ放していた室内は明るく、しかしそもそも寝たのも夜が明けてからだった。いったい何時間休息できていたのやら。指先までぱんぱんに砂を詰め込まれたように身体は重く、血の巡りが鈍い。

 
 栄はのろのろ身体を起こし、白い壁紙をぼんやり眺める。やがてそこはスクリーンになり、こちらの意図しない映像が炙り出しでぼうっとにじみ、現れてくるのだった。年末最後の収録、他局のバラエティ、自分の机。それらは目まぐるしく次から次へと湧き、現実の記憶だったのかどうか、判断させる隙を与えない。脳が記憶や感情を整理し、デフラグするために夢というものを見るのなら、自分は今、起きたまま眠っているのだと思う。これは身体の外に持ち出された夢。だから色がある。酒は飲んでも薬はやってねえのにな、と危機感もあいまいにぼやけている。栄は、自分にしか見えないこの光景が嫌いじゃない。脳のごく限られた部分を刺激するのか、局地的に激しく回転するからだ。


 数フレームずれていたテロップのタイミング、もう一段オチをつけられたスタジオでの演出……過去のミスが鮮明に再生され、次の仕事を考える。企画、演者、DVDの修正や特典映像、販促イベント。火と氷の両方を抱いたように頭はフリーズし、疾走する。壁のスクリーンに流れる映像は徐々に筋立てや形状を失ってとろけていき、映画を立て続けに見まくった時みたいにかたちのない色彩だけが残る。栄はまばたきもせず見続けた。そして夢の残滓が消えて元のそっけない壁だけになると、枕元の携帯を取り出し、ロックを解除する。きょうが一月一日だと、液晶の表示で気づいた。新しい年に、暦が切り替わった。何も思うところはない。去年と同じ仕事を、去年と同じようにするだけだ。いつまで?––––できなくなるまで。それが今年なのか来年なのかもっと先なのかは分からない。本当の意味で「目を閉じる」ことなんて、もうできないのかもしれない。でもこの現実しか、自分には与えられていないから。



「お疲れさまです明けましておめでとうございまーす」

 仮眠から起きてきたディレクターが、盛大に寝ぐせをつけたままやってきた。今大きな地震でもあれば、このゆるい姿も「地震発生時の報道フロア」とかいうテロップ付きで流れるはめになる。

「明けましておめでとうございます」

「何かありました?」

「いや、全然。事件も事故も火事もなし。静かな年越しだったよ」

「それがいちばんすね〜、あ、何見てるんですか?」

 デスクのパソコンでは、局の番組がすべて見られるオンエアモニターのウインドウが開かれていた。

「『ゴーゴー』の年末スペシャルだ!」

「家で録画したやつまだ見れてないから、あんまり暇なもんで」

「いいですいいです、正月なんかそんな感じでいいんですよ〜俺も見なきゃー。そういえば『ゴーゴー』のPって俺のちょっと上なんですよね」

「そうなんだ」

「いやー、才能の差って残酷だなーって思いますよ。俺、絶対こんなの作れる気しない」

「制作やりたいの?」

「見るだけ見るだけ……キー局で、人も金も使って、みんなが楽しみにしてるものを年末のゴールデンタイムにがっつり尺取って流すなんて、こう、同じ『テレビ』でも別次元の仕事じゃないですか。想像もつかない。ああいうとこのテッペン立つ人って、天才でしょ」

「まあねえ」

「それか、頭おかしい」

「両方の場合もあるよね」

そして、自分のおかしささえ楽しめるおかしさを持っているかどうか。

「あ、朝刊もうきてますよね。ちょっと行ってきまーす」

「はいはい」

 
 新聞は一階の警備室にまとめて届くので、取りに行かなければならない。ピックアップをまかせて再びひとりになると、年賀状を送っていないことに気づいた。といってもはがきではなく、旭テレビの報道局にあてて送るファックスだ。系列各局からの年賀ファックスがホワイトボードいっぱいに張り出されるのは正月恒例の光景で、でももう長い間見ていない。

 ネットで適当な賀詞つきの新春画像を探してプリントアウトし、「瀬戸内旭報道局一同」と書き込んだ。そのまま送ろうとして、もう一度ペンを取り、余白にさらに付け足す。

『どなたさまも、身体に気をつけてどうか健やかな一年を』

見るかな、見ないよねえ。一瞬で答えは出る。そもそも報道局にこないだろうし、通りすがりに一瞥くれる可能性すらない。黒い線を引いて消してしまおうかとも思ったが、結局そのままにしておいた。





 昔の夢を見た気がする。目が覚めると、視界は横向きだった。頰の下にはやわらかいクッションの感触。目の前では九十度回転のテレビで映画が流れている。

「あ、起きた?」

「……つーか、いつから寝てた?」

「三十分ぐらい前、いきなり落ちた」

 夜中からぶっ通しで録り溜めていた番組(ジャンル問わず)やら配信のドラマやら映画やら見まくっていて電池が切れたらしい。テーブルに林立していた酒の空き缶や空き瓶はその間に設楽が片づけたのか、卓上はすっきりしている。

「巻き戻す?」

「このままでいい」

 真剣にストーリーを追っているわけではないので、ぶつ切りは気にならない。ソファに横たわったままゆるい映画鑑賞を続けていると、設楽が「小腹減ったな」と立ち上がる。

「いや別に」

「減ったことにしなさいよ。ちょっと待ってて」

 とキッチンでごそごそし始めたが、一時停止は言われなかったので気にせず放っておく。外国語の台詞と効果音とミックスされる、台所の音。火をつける、フライパンで何かを炒め、揺する音。相容れないはずのそれらがまだ半覚醒の頭には妙に心地よく、栄はまたうとうとと眠ってしまいそうになる。

「また寝る? いいけど、ひと口ぐらいつき合ってよ」

 きれいになったテーブルに、缶ビールが二本置かれる。ゆっくり起き上がると、今度は深皿に山盛りのポップコーンがやってきた。

「やっぱ映画といえばこれでしょ」

 表面にまぶした塩の粒が溶けそうなほど熱いポップコーンを口に入れると、弾けて膨らんでいた種は、かしゅ、と呆気なく崩れた。頼りねえ、と思った。ビールを開けながら「巻き戻すか」と一応訊いてみると、設楽はかぶりを振った。

「自分が見てない空白の時間に何があったんだろうなって考えるの、けっこう好きなんだ」

「へえ」

今年は映画を見ながら寝正月。その前、さらにその前も知らない。でも、空白について考えることはせず、栄は設楽の脚の上に頭をのせて目を閉じた。

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