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~第139回~「見沼の伝承の話」

武蔵一宮氷川神社には湧き水が流れる「神池」があり、見沼の水源の1つでもあります。

そしてこの湧水への信仰がこの地に氷川神社が建てられた起源になったと伝わっています。

今回はこの見沼一帯に伝わる民間伝承の話です。 氷川神社の東側一帯はかつて「足立ヶ原」と呼ばれ、女性の生き血を吸う鬼婆がいたという伝承が残っております。 この伝承の舞台となる大黒院(さいたま市大宮区堀之内町)のあたりはかつて深い森でした。

その森に棲む鬼婆が往来の女を殺して血を吸い、肉を食べていました。

この鬼婆を旅の僧・東光坊阿闍梨祐慶が退治し、祐慶の法力によって石になった鬼婆を葬った塚が黒塚と呼ばれるようになりました。 その後、祐慶は鬼婆に殺された人々を葬る為に、鬼婆を呪伏した際の護身仏と伝えられる金銅薬師如来像を本尊とした東光寺(さいたま市大宮区宮町)を開創しています。(※東光寺はかつて堀之内町にあったとも伝わっています)

そのためこの伝説は、東光寺の創建にまつわる逸話として今日まで伝わっています。 鬼女(鬼婆)伝説というと、現在では福島県の「安達ヶ原の鬼婆」が有名ですが、『諸国里人談』には

「黒塚は武蔵国足立郡大宮駅の森の中にあり、又奥州安達郡にもあり。しかれども東光坊悪鬼退散の地は、武蔵国足立郡を本所と言へり。即ち東光坊の開基の東光寺を言うあり。紀州那智の記録にも武蔵国足立郡の悪鬼退散とありて、奥州のことは見えず」

と記してあり、さいたま市大宮区の足立ヶ原における伝承がもともとの伝承であるとしています。

氷川神社の湧き水を湛える見沼には神社同様に、古くからの歴史や伝承があります。

それはすなわち、古代より大宮で人々が地に足をつけて生きてきた証でもあるのです。



〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕

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