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保証はない



 あなたがある日突然、身近な人を突然亡くしたら、何を思うだろうか。

 中学3年生の時だ。なんでもない日だった。家に帰ると妹が神妙な顔をしている。切迫した口調で「○○ちゃんが死んだねんて」と言われた時には事態が飲み込めなかった。余りに急すぎて。

 中学1年のいとこがその日の朝、何の前触れもなく亡くなった。両親が気づいた時にはベッドの上で冷たくなっていたらしい。後日ウイルスが原因だと言われたらしいが、はっきりわからなかった。
 そのいとことはよく遊んでいたので、実感が全く湧かなかった。お葬式で棺に入った姿を見るまでは、まだ生きていると思っていた。けれど安らかに花に囲まれて横たわっている姿を見た時に、本当なんだと解って突き上げるように涙がこぼれた。

 中学生になったばかりで、これからの生活に夢いっぱいな姿を見ていたものだから辛かった。こんなに明るく生きていたのに、残酷なほどあっさりと「生」は奪われたのだ。

 それからと言うもの、かつて「死」を軽視していた自分は、「このまま目を瞑ったら二度と起きられないかもしれない」という恐怖で夜も眠れなくなった。「死」は隣り合わせだという事をようやく実感したのだ。

 健全だからといって、明日を生きられる保証などどこにもない。
 青信号を渡っても、信号無視で突っ込んできた車に轢かれるかもしれない。旅行に行こうと乗った飛行機が、ハイジャックされて何処かへ突っ込むかもしれない。歩いていただけで、通り魔に切りつけられるかもしれない。

 確率がいくら低くとも、私たちが明日を生き切れる保証なんてどこにもないのだ。

 だからそれ以降、今日いう日を悔いのないように、できる限り前向きに生きようと思うようになった。生きていると苦しい事も、悔しい事も山ほどあるけれど、心が少しでも上を向くように工夫するようになった。

 人と比べると、本当に些細な事でも嬉しいと感じるくらいには、私の幸せのハードルは低いと思う。けれど、人や物の素敵なところをたくさん見つける癖がついた私は、貧乏でも毎日を楽しいと思えている。人の気持ちに敏感になったのもいじめられた経験があったからだ。

 「死にたくない」と怯えていた私が、「生きたい」と強く願えるようになった。それほどに彼女の死は私にとって大きな打撃だった。

 明日を平穏に生きられる保証がないからこそ、「生きられる事」にもっと感謝をしたい。

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iCHiO

フリーランスのイラストレーター。 「彩りで日常彩る」がコンセプト。 HSS型HSPのXジェンダーです。 エッセイイラスト「つらつら」更新中。 イラスト、文章、ダンス、音楽など様々な表現が好き。 ホームページhttp://www.ichio.info/
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