大乗仏教の大きな流れとしては、二つ

大乗仏教の大きな流れとしては、二つ。

ひとつは、すべては実体がないという考え方。もうひとつは究極の実体があるという考え方。

一つは、すべては因縁で生起するもので実体というものはないという「空」論。すなわち、ナーガールジュ(龍樹)の「中論」。

もうひとつは、すべては無意識の根底にあるアラーヤという識を根拠として世界が現出するというヴァスバンドゥ(世親)の「唯識論」。

この二つだと思う。両者は矛盾すると思うのだが、これをどのように決着をつけているのだろうか。

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