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「織田作之助賞」受賞作家の小林長太郎と彼が残したブログ「負荷」と記事を忘れない〜#107

ブログ「負荷」には およそ2年半のあいだに1842本もの記事がアップロードかされていますブログにアクセス出来なくなったので読むことがで出来るのは「負荷」読者の手によって残されたわずかな記事と私が記録した未コメントの記事のタイトルだけこのマガジンはそれらに出来るだけコメントしようという試みです
【参考】第2回 小林長太郎まつり

ブログ「負荷」の0コメント記事~その14

都市について
2005/3/22(火) 午後 11:27

負荷さんは…
都市について…何を書きたかったのか
私は何の問題意識も無い
書くとしたらせいぜい
住んでいる処のことぐらいかな…
2ヶ月前になるのかな…ここに引っ越して
バス通りから2軒目のアパートだし
2軒隣にはスーパーがあるし
コンビニもあるし
他のドラッグストアもある
そうそう…銀行も2行あるし
前の処より格段に便利かな
そんな事にこだわる方じゃ無いけど
引っ越して何が良かったって
改装されて部屋がキレイで最新の設備
それから…寝そべって
三角の空が見える
来てすぐの頃…お月さまが見えた
寝ながらにしてだよ…これ感激だった
こんな感じ

引っ越しの話ししたから
20の時…福岡から家出して
大阪に出た…万博の前の年だったかも
大阪と言っても最初は守口市
まだ周りには田んぼがあった
そこから西区に移った
ビル群の中の古いビルの暗い部屋
そのあと…名古屋の北区
住居を幾部屋かに分けた貸部屋
そして京都は会社の寮
そこを出て仕事も変え
新しい職場に住み込み
住み込みを出て北区のアパート
そこは階段下の狭い部屋だった
だかそこに越したお陰で…姉さんに会う
そして中京区の千本三条辺り
四条大宮まですぐ近く
土曜の夜は大宮東映でオールナイト
そこから北区の名ばかりのマンションに
南向きの大きな窓があって
建物はL字形の2階建て
庭っぽいスペースがあって
ブロック塀の下が姉さんの花壇になった
そこも長く居て…次は二筋西の
古い2階建てのアパート
10年以上居たのかな
そして…独り身になって
一部屋の今のところへ

子どもの頃住んでいた…長崎市茂里町
長崎駅の手前…北へ少し歩けば河口
調べたら…浦上川だった
河口は広く…その先は海のようだった
ポンプ小屋と呼んでいた場所があった
夫婦で管理していて
なぜかそこに遊びに行ってた
母さんと行ったのを覚えている
長崎本線の線路脇に
小さい川があった
私の家は…その川の上にある
どうなっているかと言えば
川に支柱を打ち込んで
その上に長屋のような家がある
私の家はその西の端っこの一間だけで
あとは仕切りのない大部屋
市が管理する建物で…
そこを任されていたようだ
長屋の奥は…いまでいう下水処理場?
その辺り一帯が市の土地だったようだ
大通りを渡って銭座小学校に通った
大通りの門が高台になっていて
そこに幼稚園があった
私は馴染めずに逃げ帰ったそうた
地図を見たがまったく分からない
そりゃそうだろう…70年ほど前だから
だから…出来ればこの目で確かめたい
昔住んでいた処を…

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