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「ビ・ハイア問題」と「一月万冊」と~5

最終回
初めに確認しておきたいこと

今回は
やはり「一月万冊」にゲスト出演されていた
本間龍氏の「ビ・ハイア問題」についての発言や対応を
氏のツイートをもとに考えてみたいと思います
それは他のお二人のゲストの方と同じような違和感を
本間氏にも感じるからです
本間氏が今 2020年のオリンピック問題・・・
特にブラックボランティア問題の追及になくてはならない活躍を
されていることをよく知っています
安冨歩氏や烏賀陽弘道氏についても
私はその活動や生き方に共感し尊敬していました
だからこそ「ビ・ハイア問題」が報道された後の
お二方と今回取り上げる本間氏のこの問題に対する対応や
発言から感じた違和感の原因は何なのか
それを自分なりに考えてみたいと思ったのです
これはむしろ
自分自身を見つめ知るための
いたって個人的な作業です
話しかけるように書く時もあります
原稿なしに書きながら問題を提起し考え
まとめて行くという作業です
だからその勢いで書いていますので
文体の統一感も問題の把握も
まとまりのないものになっていくかもしれません
それをまずもってお断りしておきます

前回の烏賀陽氏のことを書いた最後の方で
烏賀陽氏との関連で必要があって
本間氏のツイートをそこにコピーし
それをもとに考えてみました
その時にも書きましたが
本間氏の態度はいたってはっきりされていて
私は爽やかで潔いと書きました
再度そのツイートをもとに考えてみます

本間氏のツイートを考える
先ず本間氏が書いているのは
朝日の記事についての批判です
この問題については
すでに私の考えを書いています
その紹介もしていますが
念のためにリンクを貼ります
参考にしていただければと思います
ある民事訴訟の報道について
烏賀陽弘道氏のツイートを考える~3回目

ツイートを読む
「原告の1人は業務上横領で刑事告訴されており、すでに捜査も始まっています。」と書かれています。
この件について大下氏が本間氏に
「事実無根なので取り消していただけますか?」と
ツイッターで問うておられました

本間氏はこう返事されています
「告訴を受理した警察は粛々と捜査を行い、違法な行為があれば逮捕します。経済事案の場合、捜査は数ヶ月に及びます。撤回はしません。」
原告の1人が刑事告訴されているかどうかは
双方にとって重大な問題です
しかしこの問題の動向は
警察しかわかりません
いずれ明らかになるはずです

最初のツイート及び二番目のツイートの問題

「当該案件は一方的なでっち上げであり、私はこちらの社長と会社を全面的に支持します。」と断言されていることです
実に潔いです
実に明快です
「私が彼を擁護するのは、彼が友人であり、報道は彼の説明と全く違うから。」
「私はまず第一に、友人の言い分を信じる。」
本間氏はこう問うています
「あなたは付き合いのある友人が報道で非難されたり犯人扱いされたら、友人より報道をすぐに信じるの?」
私ならこうします
友人に確かめます
友人が報道を否定するなら
友人の言い分主張を可能な限り
徹底的に調べます
報道も確かめます
報道はこの場合
警察発表をもとにして記事になったものでしょう
個人で出来ることは限界もあり未熟さはあるでしょうが
そうやって友人の言い分主張を判断するでしょう
その上で友人の言うことが信じられると判断したなら
断固友人を支持し
友人と違う報道をした記事に反論するでしょう
その元になったのが警察発表なら
警察を追求するでしょう
裁判が始まれば真実を伝えるように努力するでしょう
そんなことが必要もないほどの信頼関係で結ばれているのならば
本間氏のように
「私はまず第一に、友人の言い分を信じる。」となります
前に書きましたが
本間氏の態度は
実に潔い
実に明快
だがそれは
「当該案件は一方的なでっち上げであり、」と書いたことの
明解な答えは書かれていません
「一方的なでっち上げ」と書かれたなら
その根拠を示さなければ
誰もその言い分に耳を傾けることは無いでしょう
「ビ・ハイア問題」が報じられたその翌日の早朝
被告側とお付き合いのあった本間氏の最初のツイートで
原告側の主張を
「当該案件は一方的なでっち上げであり、」と書かれたのです
それは大きな責任が伴うと重々ご存知のはずです
そのことを書き留めておきます

三番目のツイートを考えてみます
「現段階で、原告の提示している証拠には虚偽が多く、私の心象を覆すには至っていません。」
ここで原告の証拠について触れ「虚偽が多く」と書かれています
しかしその根拠は示されていません

四番目のツイート

まさにその問題・・・「虚偽が多く」ということの説明を
ツイッターで求められたところ
「なんでそれを匿名のあなたに説明しなくちゃいけないの?」
というのが返事
この立場は偶然お三方たちも同じ
この共通性はなんでしょうか
私なら匿名実名は関係なしに
自分が真実だと思うところを
真摯に答え説明したいと思う
ツイッター上でのこの問題については
すでに言及し書き留めている
それを参考にして欲しい
Twitterの「匿名」について思うこと1
Twitterの「匿名」について思うこと2

お三方の共通点を考える
一応本間氏のツイートを読み
私なりに感じる問題点を書いて来ました
お三方・・・安冨歩氏と烏賀陽弘道氏と本間龍氏は
「一月万冊」のゲスト出演されていたこともあり
友人関係だと言えます
お三方の「ビ・ハイア問題」についての考え方や
ツイッター上の対応が偶然にも同じということにも
私の違和感は深まります
匿名に対する態度もまったく同じ
この共通性はなんだろう
私がともに尊敬するお三方のこの考え方と私との違い
「ビ・ハイア問題」についての考え方の相違
その根本には記者会見で原告側が主張したパワハラ問題を
お三方はほとんど触れていません

パワハラに関して
安冨氏は「乾燥大豆」についてツイートされていました
烏賀陽氏が原告の主張に触れたのは刑事訴訟に関連したこと
ツイートから引用しておきます
「もし原告側が「奴隷」と主張するような物理的な監禁状態があったなら、警察に刑法での被害届を出すだろうし、警察もこれほどひどいなら動かざるを得ないと思う。」
「もし」と前提にしてだが烏賀陽氏は原告が主張するパワハラについて
「警察もこれほどひどいなら動かざるを得ないと思う」
と書いているほかのことには関心をしめさず
民事裁判についての考えをツイートされている
本間氏は今回見てきたように
「一方的なでっち上げ」との認識だから
原告側の主張に触れることもない
引用がくり返しになってしまったが
確実性を担保しておかなければならないので
そうなることはお許し願いたい
お三方ともいたって被告側と近く親しい関係にあった
O氏の自殺問題があった時
その関係性を見直す機会だったのだが
その必要性を感じることは無かったのだろう
そして今回の記者会見
原告側の主張するパワハラ問題が報道されたことが
清水氏との関係性を見直す二回目の機会だったが
先に書いたようにわずかに触れただけで
本間氏に至ってはむしろその関係性を強調し原告側の主張を否定した
安冨氏と烏賀陽氏の態度は
それぞれの回で書いたように被告側の記者会見で
彼らが受けたパワハラの状況が詳しく語られているにもかかわらず
つまり以前と状況が全く変わったにもかかわらず
お三方の態度にさほどの変化を感じられない
私が違和感を感じる最大の問題だ
2月にO氏が自殺した時の様子が詳しく語られていた
彼女の死に心を痛めたのなら
原告のこの主張に耳を傾け
それらが本当かどうか知りたくなるはずだ
確認したくなるはずだ
そうしないのはなぜだろうか
被告側を信じて疑わないからだろう
被告側の主張を信じて疑わないのはなぜだろう

パワハラ問題に関連して
その人間関係において
どんな力学が働いているか
無知無学の私にもネットで検索すれば
様ざまな情報を得ることが出来る
それらの情報を取捨選択し
原告側の主張を検討していけば
「ビ・ハイア問題」の状況が浮かんでくる

お三方がなぜ被告側の言い分を信じて
被告側の主張の検討すらしないのか
被告側との関係性を考え直さないのか
私は安冨氏の回の時も烏賀陽氏の回の時も
被告側と原告側とのパワハラ問題を理解するための
いくつかの視点と方法を示唆した
そして被告側との距離を置くことも
原告側の主張に耳を傾けることも
私がこれまでここでしたことは
お三方が発信されたツイッター読み
私が感じる問題点を書いてきた
そして「ビ・ハイア問題」のより深刻な問題の検討には
パワハラ問題の専門家による検討が必要になる
それについて私は語る資格もないので
問題点を示唆するにとどめた
なによりお三方はその経験と知識により
問題把握と分析研究においての能力を備えた方々でSる
ご本人たちの自己検討を始められることを願う

私などは「一月万冊」の動画を観たことがある
というだけの関係性しかない
だが
身近にいるものよりも
遠くにいる者の方が
より物事の真実に近づくことが出来ることもある
近くにいたがゆえに見えないことがある
それを私は学んだ
私の立場はこれまで何回も明らかにしておいた
私は原告側の主張を信じる
それゆえ
これまで尊敬して来た方々との違和感を考え
「ビ・ハイア問題」を考えてきた
その違和感とはなにか
はっきり言えば
私が間違っているか
尊敬してきたお三方が間違っているか
お三方が間違っているのではないか
その違和感だった
ここで間違っていると書いたが
どうしてそう言えるんだ
裁判はまだ始まっていないぞ
何も知らないくせに何を言うんだ
などと突っ込まれるだろうから
いやいや
私がこのnoteに書いていることなんぞ
誰も知っちゃいないし
そもそも
お前なんか・・・と無視されるだろうから
そんな心配する必要はないだろが

下の4つのツイートの先で
そしてもう一つの違和感
について考えて終わりにしたいと思います

そしてもう一つの違和感
お三方のツイッターでの匿名者に対する不誠実さ
それをここで引用するのは面倒だし
ネットを見ている人はお三方の発するツイートを
よく知っている
ここでは本間氏のツイートの紹介だけにとどめる
「なんでそれを匿名のあなたに説明しなくちゃいけないの?」

この感覚が私には理解できない
お三方のツイートやRTには
共感するものが多い
専門的な問題は私に判断できない問題もあるだろうから除いて
ほとんどは共感できる
だけど「匿名」問題について感じるのは
匿名を使うものは相手にするに値しないと
思われているのではないか
ネットの世界はそれはそれはいろんな人が利用する世界
誰が誰か分らないとも言える
そしてその多くは無名の人だとともいえる
お三方が匿名者を軽んじ 無視するのは
そこにご自分たちの立場の優位性を感じているのではないか
多くの著作がある
有名大学を卒業した高学歴
社会的地位
それは確かに素晴らしいことであるし
それらの地位を得るには
並大抵の努力ではなかっただろうと容易に想像できる
努力なしには現在のその地位はない
私で言えば
勉強嫌いで努力も嫌い
だから何も成し得ず70という年になった
だからどう思われても仕方がない
だからお三方を尊敬もしてきた
そのことと今ここで問題にしている話は関係ない
尊敬してきたお三方たちのツイッターでの態度について
疑問を持ちこれまで考えてきて見えたもの
それは私とは相いれないということ
それが「ビ・ハイア問題」を考えてきた中で
はっきりわかったことだ
むずかしいことは単純に考える
それが私の方法
「ビ・ハイア問題」に関心を持ち
被告側とお友達であるお三方に
その発信するツイートを読んで
疑問に思ったことや自分の考えを述べ
質問するのは当然のこと
しかしお三方は匿名ということで相手にもされぬ
その姿勢はいかがなものか
本間氏の返事を引用した
再度引用する
「なんでそれを匿名のあなたに説明しなくちゃいけないの?」
本間氏が「あなた」と呼んだ人は
そのツイートをよく読めば
「ビ・ハイア問題」と同じような経験をされた方
その時の自分がなぜそうなったかを考え続け
ようやくその問題に決着をつけられた方
それに要した期間は10年だったという
それだけ根の深い問題
だからこそ自分自身の経験を「ビ・ハイア問題」に照らし合わせ
ご自身のツイッターで様々な問題を提起して来られた
私が今回この問題を考えるうえで参考にさせてもらった
問題の根深さ深刻さを考えさせられた
お三方・・・「一月万冊」のゲストの方々も
重要な役割を持たされていた
パワハラにおける「ゲスト」として
本間氏は「あなた」と呼んだ人のツイートを
追跡して読まなかったのだろうか
読んだとして現在の態度だったら
その認識力
その問題意識
その判断力
そのすべてに私は疑問を抱く
さらに言わせてもらう
原告のお一人である大下氏の
実に痛切なツイートがある
当然あなたはお読みになっているはず
お読みになっていなければ
今からでも遅くない
ぜひお読み下さい
言うまでもなく大下氏は
記者会見に顔を出し名前を出して望まれた
ツイッターでも実名を使われている
だからあなたは彼の問いに答えなければならない
匿名ではないのだから
彼のツイートです

「当該案件は一方的なでっち上げであり、」
「原告の1人は業務上横領で刑事告訴されており、すでに捜査も始まっています。」
このようにあなたはツイートに書かれたのですから
大下氏が納得するように説明してください
あなた自身がこの問題を判断して書かれたツイートでしょうから
あなた自身の言葉で誠意をもって答えてあげてください

最後に
友人とは何かを考えてみる

友人だから信じる
それは素晴らしいことです
信頼できるから友人になれる
お前が言うことだから信じる
そういう場合もあるでしょう
それも素晴らしい
友人を信じるなら
徹底して
なにがあっても
信じ切ってください
なにがあってもです

親の愛

例えば親子として考えます
親子は無償の愛だと言われます
親は子を何があっても信じて離さない
それが親の愛です
もし子が人を殺して罪を問われるとしても
信じて離さない
それが親の愛
信じるということは
人を殺していないと信じることではありません
この例えは
冤罪の場合とは違います
冤罪の場合は
人を殺していないと信じること
信じて信じて信じ切ることが親の愛
人を殺したことを認め刑に服したとしても
親が子を信じ切るとは
子の良心がよみがえるのを信じて待つということ
親だから出来ることです
信じ切ることが
信じて待つことが
親の愛

友情

友情もそうです
信じるということは
たとえ過ち罪を犯しても
真実を見つめ良心に目覚め
自分を人間性を取り戻すまで待つということ
信じ切って見放さず待つことが友情
親と子も 人と人とも
他者の人間性の深い部分でお互いを受け入れる
それが親子の愛であり
人と人との友情
他者を受け入れること 他者を信じること
それは二人だけの間でのことだけではありません
友情を大事にするということは
他者をも大事にすること
他者を受け入れるということ

友人だからこそ為すべきことがある
それは自分のためでもある

真実は何か
真実を知るためには
どうすればいいのか
「ビ・ハイア問題」で
考え続けてきたこと
自分の証明
として


「ビ・ハイア問題」と「一月万冊」と


2018年11月13日
藤川一郎
京都市北区紫竹北大門町37 葵荘17号
075-493-4676
ichiro@black.interq.or.jp

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