再開「mixi日記」~1万字にチャレンジ2019年8月31日=6419文字

ひとこと言い訳?
久しぶりに日々さんに日記を書く 気が付いたらもう午後11時半なので終了

31日 さとちゃんちのコメントまとめ

観想詩・・週観11/28~12/4
一郎
峠の先には
しあわせがあるんだよ
負けない
負けてたまるか

「負けてたまるか」
私の理解ではさとちゃんらしくない言葉のような気がするが
私の理解不足か
ともあれ私は好きな言葉
それをさとちゃんの言葉で知るとはね
したたかな根性を隠し?持ってるお方だと
私が好きな似ている言葉は
「泣いてたまるか」
こんなタイトルのドラマがあったんだよね
渥美清だったかな
昔向かいの話だからもう忘れてるけど
歌もあったよな
♪上を向きリがないいたら
 下を向いたら跡がない
とかなんとか・・・
そして
 意地が涙を
 通せんぼ
とかなんとか

それにしてもさとちゃんの
「負けない
 負けてたまるか」
この真意を知りたいなあ
気になる言葉だね

天野の里を歩く
一郎
京都で
似たような橋・・・もっと小さかったように思うが
見たような気がして
以前も気になったが見つからなかった
私の思い違いではないと思うが
気になるなあ
というわけで
また探そう

高鴨神社の紅葉を歩く
一郎
たくさんのコメントが寄せられています
だから私は控えめにコメント
やはり同じようなコメントをこの前書いたようです
画像を見ているだけで
書く言葉が浮かんでこないとね
午後4時になりました
1時間ほど書いてますね
そろそろ飽きますね
根気がないからね
どうしよう 他のことしようか
動画観ようか
ツイッターチェックしようか
Twitterから離れていると
もうどうでもよくなるね
さあどうしようと考えてる
気分転換が必要かと
何か動画観ようか
映画でも見るか

トランスポーター イグニション 【字幕版】
DVDで観たがもう何も覚えていない

松ちゃんの詩(うた)1・・ホームコタツ
一郎
やはり以前も
さとちゃんの記事の最初から
コメントしようと思ってたようですね
それはいいとして
飽き性の私には続けられなかった
それもいいとして
今回のこの全記事にコメントしつづけるという計画?
他にすることがないからいい目標を見つけたものだと思っています
毎日書く素材がないとね
日記は書くことがあるようで無いでしょ
だからなかなか続けられない
でものこ紀伊にコメント売るというのは
対象物相手目標があるから
書く素材はある
だが問題はその素材に対して私が書く材料があるかどうか
それも気にしない
記事の内容にこだわらない
私が書きたいことを書く場
確かに書く内容 何を書くかで迷うことはあるが
何とかなるだろとここまでやってきた
なんとかなる しかもよりよくなる・・・とはさとちゃんの言葉
私は「よりよくなる」に異議があるけどね
それも考えようだから
考えよう 思いようによって悪いことでもよい意味になるからね
書くことを通して何か学べるだろうという思いもある
とにかく書かなければ始まらないからね
書くこと深く考えずに思いつくまま とにかく書くこと
尾の先に何かがあるだろう
無くてもいいのさ
何かやることに意味がある

里恋詩2ー榧(かや)の木
一郎
なにをいっぱい書いてるかと思えば
方言のことでしたね
しかし書いてることは毎回変わりありません
同じことばかり書いてます
というこのことも同じことですね

さとちゃんの記事は榧(かや)の木についての思い出
いい話ですね
榧(かや)の木についてもこの前書いた記憶があります
それにしてもさとちゃんの文章のこの部分
「その横手の里は今はありません。榧の木だけは残っています。」
いやいや
山本周五郎の小説じゃありませんが
「榧の木は残った」
小説になるかもしれませんね
「樅ノ木は残った」はその題名からして印象的でした
NHKの大河でも取り上げられましたね
平幹二郎が原田甲斐役でしたね
その彼はもう世を去りました
TVドラマの「三匹の侍」の二枚目の痩せた浪人役で評判になり
その後は蜷川幸雄と組んだシェークスピア劇でも大活躍
元々俳優座出身でしたか?
名舞台俳優になりました
といってもその活躍をニュースで知るぐらいで
実際に芝居を見たわけじゃありませんが
山本周五郎の時代小説は心惹かれるものがあります
作家についてはよく知りませんがその小説からは
人情の機微がよく描かれていると思いました
もし作家になるなら山本勇五郎のような作品を書きたい
などと思ったものです
黒沢監督の「赤ひげ」の原作も彼でしたか?
ミス根の存在感ある演技で重厚な作品になっていました
若き加山雄三が若き医者役で出ていました
老人がなくなるシーン
確か赤ひげに見守るように言われたシーンがあったような
今回姉さんの意識不明の受胎になった時
そのシーンを思い出しました
私は姉さんの死を見とどけられるかと
人の死と向き合えるかと
しかし姉さんは戻ってきました
ただ運がよかったとしか言えません
向こうに行ってもおかしくなかった
その分かれ目で姉さんの命はしたたかに生き残った
それを生命力の強さというのでしょうか
生命は脆いものだがしたたかでもある
私は自分のその時には
笑って笑って大いに笑って逝きたいものだと思っています
何も残せなかった一生でしたが
死に臨んでは痛快に笑いに笑って逝ったと言われたい
面白きかな人生
愉快なるかなその死その最期
笑い飛ばしてやる

丹生の道講座・からつらぎ町三谷の里を歩く
一郎
ブログ開設の当初の記事には
二度ほどコメント残している
他の人のコメントがないから書いたんだろうね
私は変な性格があって
セロコメントを探してそこに書くというね
おかしな性格でしょ
先にコメントあると気が引けるというか
気を使うというか
誰もコメントしていないとこなら
気持ちよく自由に書けそうなんだよね
だからあえて0コメント探してる
そしてこのゲーム・・・全記事にコメントする…の最初の頃は
前に自分のコメントがあったらパスしてたんだよね
それも一つの方法だけど
そのパスしてるってとこが気になって
また追加コメントしてるんだけど
今午後2時過ぎ もう眠くなってきた

ひと眠りしたあと
一仕事して
PCに復帰
というところで3時過ぎ
静かです
いつもはTVを見ないのにつけてるのですが
姉さんがあの状態だったので
もう見ることもないだろうと
しまったのです
シマッタです
相撲が好きなので
9月は秋場所ですね
中継があるのでその時は
また元に戻すことにしましょう
元気になるなんて考えてなかったから
悪くなる一方だと
その先のことをもう考えていましたから
脳梗塞の最悪の状態から2~3日したら
脳の腫れ?血管の腫れ?
それが治まって意識が戻ることも
さらに2~3日たてばまたいい状態になることも
ダメージを受けた部分の機能は回復しなくても
それ以外のところはよくなることもあるそうで
そんなこと全く知らないから
最悪のことしか考えていなかった
悪鬼の人仕事というのは姉さんにオヤツのゼリーと
野菜ジュースをのんでもらったわけ
美味しそうに飲んでくれたよ
お昼はそうめん
念さんは今入れ歯入れてないんだけど
ソーメンは噛まなくても飲み込めるからね
よく食べてくれたよ
お昼ご飯の定番だね 暑い夏の日はね
ということで一件落着

里恋詩1・・冬いちご
一郎
冬いちご・・・つい最近ブログで見た記憶がある
今日の観想詩・12/29(金)
2006/12/28
この記事だった
コメントしたのが二日前の
2019/08/29
ホントは2007年1月の記事にコメントしているはずだけど
ブログ開設当時の記事には依然コメントしていたということもあり
再度のコメントを残していなかった
全記事にコメントするという今回の趣旨から
それではまずいかなと思って
改めてコメントしているところ
早く終わって先を急がないとnoteの過去記事に追いつかれてします
まあそれでもいいけど noteをお休みすればいいだけのこと
そのお休みが抵抗あるんだよね
この辺が私も毒されているのかな
長期バカンスのつもりでお休みもいいことなんだけどね
毎日5つのnoteを休みなく更新し続ける
そんなことにもこだわってるのかな
勤勉な日本人的性格丸出し
のんびりやればいいんだけどね
出来ない哀しさ・・・まあいいか
なるようになる だもんね

31日 高山のnoteから
2019.8.31~高山とトンネル工事現場の近況:未来

先ほど高山から電話 今午後9時少し前
高山の右腕 女子社員のAについての話題
女性をトンネル現場に入れる改革を高山はしているわけだが
それはA子自身の望みでもあり 出来れば抗夫として一人前になりたいそうだ しか会いいくら男女差を無くそうと言っても 生理的肉体的に男女差が合うわけで トンネル現場で男と同等の仕事ができるかと言えば 数年では無理だろうし肉体的にも無理だろうという しかしその差は徐々にではあろうが縮まる可能性はある 男女平等というのは性差を前提としたもので
同等の仕事をするという単純な比較ではないはず
A子の能力素質はすでに抗夫達の認めるところ 男に生まれていたらという言葉さえ言われる 負けん気のA子にしたら男と同等の仕事ができるようになりたいということかもしれないが
要はA子の望みは 高山のように抗夫としても一人前というだけではなく
班長を張れるような実力をつけること 同時に営業でも実績を残していく
それだけではなく高山を超えたいと思っているようだ そのくらいの気概がないと高山のような管理者は務まらないだろう A子はそれだけのすでにしてその器があると言えるのかな 高山も彼女がここまで成長するとは その素質があったとは思わなかったかもしれない
30にはまだ数年間があるのに 高山の援助があったにせよ元請けとの交渉の中心になり 契約までこぎつけたという 末恐ろしいきかなだが
高山にすれば10年先の女性社員の藤堂環境も視野に入れているという
結婚 育児が女性には必要でその援護と補償なしには将来にわたって女性が活躍できる現場職場とならない 高山はそこまで考えているという
結婚や出産や子育てのために仕事をやめるという人もいるのが現状
そういう事情で有能な社員を失うのは惜しい もったいないという考え
当然のことだが 人材労働力の代わりはいくらでもあると考える今の大方企業だろう 効率と経費だけを見て人を見ない 人を個人として尊重しない風潮 様々な問題の根源の一つに人間軽視 人権無視 効率生産性重視
とことんまで企業資本は人間を軽視する 原始資本主義?は奴隷的人間関係労働条件から始まった その名残は消し去れない仕組み構造
資本主義は自由というのは大きな間違いでしょう
企業経営者資本家はよくよく考えなければね 未来を考えるなら
しかし根源的な問題を持つ資本主義がこの先続くとは考えられないでしょう
どう繕おうとしても繕いきれるものではない そこまで矛盾は拡大深刻化している 抽象的にしか語れないけど 真に人間が人間として尊重される社会の実現なしに 経済も政治も社会も未来はない 資本主義に代わる未来があると信じる
一人の女性の能力を生かし将来を考えるなら 為すべきこと克服すべきことはたくさんある それはA子自身の課題でもあるし高山の課題でもあり
元請け下請け業界全体の問題課題でもある その変革に高山エアはA子を中心に取り組んでいる まだその端緒ではあるが希望がある 未来がそこにある A子はまさに業界のみならず女性のパイオニア的存在 未来あれ

31日 日々さんの日記から
姉さんの日々~8月31日 よくしゃべるようになった

access_time 2019年8月31日 person_pin 無名居士-Nameless layman
姉さんというのは
もう50年近く同居している女性
21歳年上だから姉さんと呼んでいる
ベッドに寝たきりになってもう5年ほどなる
ちょうど先週の土曜日
朝から様子がおかしかった
熱があるときのように
口でプップという感じで息をして
目はうつろで呼びかけても返事反応為し
その前兆は前の日にあったようだ
今思えば午後のオヤツの時に
お昼に食べたもの・・・流動食ではあるが
それを戻してしまった
夏場熱中症が多いというので
93さいという高齢であるため
用心のために点滴を打っていた
おの日の朝食はこれまでと同じように
レーズンロールをミルクに浸して
さらに噛んでドロドロ状態にして姉さんの口に入れる
そうやって元気な時は2個食べていた
はじめの頃は1個だったが
食欲が出てきていつか2個食べるようになった
その日は1個だったがまだ普通に食べていたと思う
10時ごろに水分補給におおきめのぜりーをあげた
それもいつも通り食べたと思った
そしてお昼前の更新の時
ちょうど姉さんが食べたものを吐いた時だった
これまでめったに吐くことはなかったが
思えばそれが前兆だったか
点滴をしてもらった
先生が帰るころには痰がらみの咳も少し治まった感じだった
咳は続いていて姉さんは苦しそうだったが
意識はまだ普通にあった
そして翌日
朝から普通じゃなかった
意識もなかった
体坐全体から力がすっかり抜けていた
それでも午後になって・・・二時ごろから咳も治まり
静かに寝たように思った
それで少し安心したが
咳で疲れて眠ったとしても
このまま目が覚めなかったらという不安になった
それほど長く寝ていたからだ
食事もとれない 翌日は点滴はお休み
これでは問題だと思って
土曜日の午後は診療所は休診なのだが
救急の電話を入れた
受付の電話は留守電になっていて
関連の大きな病院への連絡を告げるだけ
私の場合は寝たきりになった時に
救急の支援を受けられる契約をしていた
そこに電話して姉さんが意識がない状況を話
とりあえず日曜日の点滴を依頼した
診療所からかかりつけの訪問看護センターに連絡
そこから看護師さんが様子を見に来てくれることに
そのあと担当の先生にも連絡が言ったようで
心配だから診察に行くという電話
そして7時に往診
その診察の結果が脳梗塞か脳内出血
ほぼ間違いないという
このような場合は本来なら入院検査となるのだが
先生もそれが普通だし自分もそうすることを勧めるという話
私はかねてから入院はしない 延命治療はしないと伝えていた
私たちの申し出は十分承知されていて
とにかく毎日点滴は続けるということに
そして何がいつ何時起きても不思議ではないと言われた
覚悟しておきなさいと言う意味に捉えた
元より私はそのつもりでいた
いよいよその時が来たという感じだった
心の準備は党の昔にできていたので
まったく慌てることなく先生の話を聞いたし
私の希望を伝えた
姉さんの古くからのお友達の一人が
遠くからだが毎日見舞い来てくれたに
そして水曜日のこと
意識が戻って一言二言話すようになった
驚きだった
水曜日は担当の先生の往診日
その時 脳梗塞は最悪の時点から2~3日経過すると
脳の腫れが引いて少し回復することがある
さらに2~3日後 よくなることもあると話を聞いた
その経過通りになっている
まだ時折咳はするが
口から飲み物食べ物の摂取ができるよになった
ごえんの危険性があるので注意しなければならないが
日に日に元気になっているのを感じる
土曜の今日は驚くほど話せるようになった
もう私は姉さんの死のことしか考えていなかったが
それが申し訳なく思える
まだまだ死にませんよと言われている気がする
うちに来る人みんなが喜んでいる
昨日はお風呂にも入った
みんなから好かれているのだ
今咳が続いているので吸引してみよう
さほど効果・・・痰が吸引できている湯には思えないが
しないよりはましかもしれない
少しでも苦しく無く眠れたらいいと思う

mixiプロフィ
藤川一郎
京都市北区紫竹北大門町37 葵荘17号
075-493-4676

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