高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して【489】

妄想家・夢想家無名居士の
夢物語の記録です
無名作家 高山のエッセイ
「ガーターベルトの女」の
映画化芝居化 
その他いろいろ作品化できれば
なんて途方もない夢を観ています

 

📖 高山のエッセイ〜「父の容態雑感」

父が入院したが、腎臓が相当悪いとの事で、また他の病院に移る。
透析しても無理なのでは、位悪いとの事です。 どうもずっと医者には掛かってましたが、全く十年程検査を拒んでたようですね。
僕が直接聞いた訳では無いので、明日また妹と母が動くようです。 違う病院に移るようです。
とにかく体重が四十キロまで落ちてるから体力をいかに戻すかに賭けてる。

今は現場が大雨で、詰め所でこれを書いてる。 これをブログに書くかサイトに書くか悩んだけど、ブログに書きます。
一つは、僕が若い頃色々な女性と遊べたのも父と言う大きな存在があったから、と色々雑感入れます。

僕が二十代であそこまで遊べたのは本意でないにしても、父と言う存在がバックに有ったからだと今では思いますね。
僕は常に父を意識して来たと思うし、仕事のやり方も父を時に反面教師にして、時に見習ってきました。
父の背中を追いかけたと思いますね。

こうして書いてて非常に悲しくなります。
昭和十七年生まれですから、七十代の半ばなら充分では無いかと言う人がいるだろうが、それは父を知らないから言えるんだと言い返しますね。
父の調子がおかしくなったのは、去年の十一月位だったと思う。
十年程前に脳内出血やって片半身が上手く使えなくても、最初は車にも乗れてたし甥っ子と野球も出来てましたが、去年の十一月位にぐっと悪くなりました。
上手く立てなくなって来て、しまいにはおしめをするようになりました。
その世話をしたのが、母です。
一日中寝たままでしたが、夕食の時は何とか起きて皆で食べてました。

うちは冷房も暖房も有りませんから、母とはもしかしたら冬を越せないのでは、と言ってたけど冬は越せました。
そうして何とか頑張って居たのに、このところ一気に落ちましたね。
何事にも興味が無いようで、夕食も食べる量が減りましたね。
それで入院をとなりました。
大きな病院は受け付けてくれないからとなって、小さい病院です。
僕が行くと嬉しそうでしたが、帰りには寂しそうでした。
二日続けて行くと妹と妹の旦那と甥っ子が来たあとらしくて、僕に強く手を握りながら家を頼むと言いました。 
僕は笑いながらそんな事を言うもんじゃないし、しぶといんだからまだまだ大丈夫と言いましたが、帰りに非常に辛くなりました。

一時期は、年商十億のトンネルの下請け会社の社長でした。 小さな街で年商十億の土木会社なんて、そんなにないですよ。
何処に行っても二十代は社長の息子と見られましたよ。 
これは僕の本意では無かったけど、仕方ない事でした。
父は、兄を戻して会社に入れた時は兄の方に期待したと思いますが、兄はアルコール中毒鬱で直ぐに駄目になりました。
兄は、その後会社倒産後も当然何処からも誘いが無くて、不細工な女と暮らしてました。
僕にはケータイが何度か掛かってきて、金額は覚えて居ないけど二十万円から三十万円は兄に渡して、兄弟の縁を切りました。 
  
父とおじさんと僕とは同じ会社でしたが、僕はおじさんに付いてたから後で知るんですが、母も合流して一つの現場だけ父が所長して母が炊事をした所が有ります。 
そこに延々とファックスで、恨み事から金の無心から入ってきたらしいです。
ある程度は送っても、二人とも難しいからそんなに沢山送れないですが生活費位は送ってたらしいです。
僕はその頃兄と縁を切ってせいせいしてたし、おじさんとあちこち現場を回ってました。
流転の日々を、ある程度楽しんでましたよ。
父とも広島で一時期は暮らしたし、そうしてたら九州でもう一度仕事をするからと言われました。

僕はその時事務を任されてて、これは太ってしまいこれでは不味いで、二ヶ月で十五キロ以上落としました。
父が僕に頼んだのは、お前は作業を見ろと良い作業員には声を掛けておけです。
おじさんが所長で、その下に僕を付けるつもりだったのだと思います。
形態としては孫請で父が入る形を取るようでしたが、ギリギリで駄目になります。 
この時、僕は完全にフリーになってしまって居たけど、三十代半ばですから特に気にしなかったです。
仕方ないな、です。

今住んでる街に越したのも、これがあったからです。
僕は、その後おじさんと組んだり組まなかったりで、フリーで生き残ります。
四十代を迎えて直ぐに、今の会社に社員として入りました。
それから現在に至るですが、社員としてフリーに動かせて貰ってるけど、何でも屋です。
営業もするし、時にはダンプにも乗るし、です。
特にこの数年は、自分自身の良いと思える作業員しかなるべく使いません。
お陰で仕事を取るのが非常に楽になりましたね。
あそこの会社は作業員が良いと言うのが噂として挙がるし、実際そうですね。
それは、作業員に感謝してます。
この辺りの作業員をいかに使うかは、おじさんと父の影響です。

話しが散らかるし、父への思いだけを書くならサイトに書くので父と兄の関係を書きます。
兄は、僕が三十代半ばで沖縄に仕事で行ってたら、何故か家に居ました。
最初は再会を喜びました。
いずれ出て行くだろうと思ってましたからね。 
何故戻ったかは、また飲んでしまって救急車で運ばれたんですよ。
僕は近くの小さいトンネルをやってて、毎日通ってました。
段々兄の部屋に荷物が増えるのを見てて、え!?ですよ。  
あれだけ家族に縁を切ると言っておいて住むつもりか、です。 

不細工な女との関係が壊れたらしくて、いつの間にか居座りましたよ。   
僕が東京の大きい現場から戻ると、全く違和感無く居ますからね。
そこから兄の経済的な話しになるけど、僕は当時はフリーですし自分自身まだ借金返してなかったから、人の事など知らないです。
しかし、僕がその後今の会社とかなりの好条件で社員になると、父から兄の借金も見てやってくれないかと来ました。
父も六十代でしたが、小さい現場に作業員として出てました。  
母は、他の会社から誘われて炊事としてかなりの好条件で行ってて、父が言うなら仕方ないである程度は面倒見てやるでした。 

母が戻って甥っ子が生まれた頃に、父が脳内出血で倒れます。 六十代半ばですね。
母は、しばらくすると温泉旅館のアルバイト始めます。
この辺りで母と金銭面を話し合いますが、父も入ってきて折り合いがつかないです。 
それなら出せるだけ出してやるよって感じでしたよ。
自棄ですよ。父の借金も母に隠れて払って、兄の分もかなりの部分を見てやって家にもかなり入れました。
しかし、それでも父の年金が多かったから何とかなってたんです。
兄はほとんど出さなくてもね。 そういう時に兄が狂って、父をギターで殴ると言うのが起こります。
止めに入って二十数発パンチ受けますが、兄のようなパンチが僕に効くわけないんですよ。
父と兄は、表面は仲良いふりをしながら完全に決裂しますね。
それでも父の質素な部屋の机の中を見ると、某有名レンタルビデオ店のカードが有ります。
最初、何故父がと思って母に聞いたら、兄がその店で万引きして出入り禁止になってて父にカードを作ってくれと頼んだらしいです。まあ、はっきりした証拠も向こうは掴めなかったんでしょうけどね。
その店に何故行かないのか不思議でしたから、あーあやったのか、でした。 
兄にはそういう癖が有りましたからね。 母に聞くと万引きを間に入って何とか警察沙汰にしなかったのは、某レンタルビデオ店だけで無くて父が庇ったので他にも三軒はあるらしいです。
父が間に入って、頭が少しおかしいからとか言ったのだと思います。
それで逃れてるんですが、この間初めて捕まりましたけどね。
二人で車に乗ってたら父に対して兄は酷いこと言いますが、それを聞いたらお前なあいい歳して万引きした上に父に庇って貰ってて良く言うよです。
父が積極的に兄の援護をと言わなかったら、今頃兄も僕と同じくらいの貧乏ですよ。
兄は精神障害の年金取ってるけど、かなり前から二級に上がってて僕より小遣い多い状況です。
それを指摘したら狂って大変でしたから今は言わないけど、父の保護がなければ兄はやれてこれてないんですよ。

これが最近始まった事では無くて、東京で専門学校行ってバンド活動を二十代後半までしますが、その間も相当な仕送りしたと聞いてます。
そして戻って、暫くしたら父の会社に数ヶ月入って病気で休業ですが、三年以上は給料出てましたからね。
自分自身は自立してて芸術家ぶるけど、五十を過ぎても父の保護なしでは生きてないんです。
しかし、それを言えるかとなれば簡単ではありませんし、母も妹も言えないでしょうね。 僕が言ったら大騒ぎですが、今回の父の状態次第では兄が狂ったら押さえつけて何処かに入れるくらいのつもりで居ます。
そうでないと自分自身が生き残れませんからね。
父は兄は憎んでたし僕とも喧嘩をしましたが、自宅で最後の時にアイスクリームがあったから母に食べさせてあげたらと言うと食べながら僕の指示だろうと言ってたようです。
母が困ったら僕に聞いてくるから父は何かにつけて母にお前に知恵をつけるのは僕が上手いなと言ってたようです。

四十代になって兄弟で最も実は信頼してたのは僕でしょうね。
妹は嫁いだから言えないことも多かったけどね。
父の部屋は質素ですよ。
昔に買ったベッドと最低限の服だけです。 それに最近買い直した小さいラジオだけです。
机も昔のを置いてて開くと今は免許証と某ビデオ店のカードと使い込んだぼろぼろの財布だけです。
結局兄から頼まれてカードは作ったものの、兄から強く言われたら出そうだったらしくて使わないままです。  
それだけが、妙に新しいですよ。 それを見ると悲しくなりますね。
自ら招いたとは言えあまりに惨めですし、親戚も皆距離を取ってます。  
最初に家の車で病院に行こうとしてたら、父が使ってた安い杖が載ってました。
それを見たら何とも言えなくてね。 
かつては高級車に乗って、唯一の道楽とも言える高級時計をしてました。
それがこうまで落ちてしまって、かつての会社の人間は誰一人と心配してない状況にね。
家族で有るし最も似てると言われた僕は、果たして父に優しく出来たのか疑問です。 これからどうなって行って父にもしもが有れば、自分自身がそれに耐えれるかも不安です。
兄と対立して、本当に兄を治める事ができるのか不安です。
何より色々悪かったにしても、まだもう少し父を苦しめなくて生きてほしいと願います。
甥っ子は父が大好きです。 少年野球で守備はいまいちでも、打撃で五年生でレギュラー取ってます。
もう少し父を苦しめなくて生きてほしいと願います。

そして自分自身も父の背中を追いかけたんだから、もう少し生きていてよと思います。 優しく出来なかったではと後悔してます。
これを書いてたら涙が出ます。 読んだ人が、七十代半ばの父親の容態が悪いだけでそんなに悲しいか、と言うなら悲しいと言いますよ。
僕は弱いですよ。 弱いし後悔ばかりです。 兄を何とかしていればと思いますが、本物のきちがいと付き合ってみたらそう簡単ではないと分かりますよ。

とにかく僕は父に生きてほしいです。 脳内出血をやった時にリハビリの人がここまで治るのかと驚いてましたから、生きられるだろうと信じたいです。

おわり

📖管理人・無名居士の 童話『花物語』〜好きなもの嫌いなもの

2008/10/16 童話『花物語』

花の行商をしていたおかあさんから
お花の話を聞いて育った少女は
大きくなって念願の
お花屋さんを開きました
少女のもう一つの夢は
子どもにお花のお話をすることでした
おかあさんがしてくれたように・・・

好きなもの嫌いなものは何にでも誰にでもあるよね
嫌いな人もいるし嫌いな動物もいるし
花だって美しいものばかりじゃないから
嫌いな花だってあるよね
でもたまには嫌いなもののことを考えてあげようね

だってだれも嫌われたいとは思っていないよね
だれからも愛されたいと思っている
嫌われたり愛されなかったりするとさびしいよね
かなしくて泣いてしまうかもしれない
だからなぜ嫌いなのか仲良くなれないか考えてみるの

赤い実をいっぱいつけた草の名前はマムシグサ
マムシってヘビの名前ね
この赤い実も嫌いという人がいるかもしれないね
ひとつの花にひとつの実がなるのが普通なのだけど
どうして赤い実がいっぱいなるのかお話しようね

この草が生えているところにはマムシがたくさんいたのよ
マムシは毒ヘビだから怖がって人も動物もあまり近寄らなったの
色や形が少し変わった草やきれいな花は
珍しいからって人間がすぐ採っていくの
草たちも動物たちも生きものはみな子孫のことを一番考えているの

人間の手から身を守ることを生きものは必死で考えたの
人間が怖がるヘビの姿に似たら身を守れる
そう考えてマムシになれマムシになれとこの草は祈ったの
毎日毎日何年も何年も
そしてとうとうマムシの模様に似た草になったのよ

マムシとそっくりだからきっとこの草も毒があるぞ
マムシグサだマムシグサだと言ってこの草に近寄らなくなったの
ヘビのマムシだって自分を守るために一生けんめいに考えて
人間に嫌われるような怖がられるような身体になったのよね
自分のためというより仲間のため子孫のためね

どんな生きものも生き残ってゆくために必死なの
必死にならなきゃ生き残れないの
今の姿はみんなが長い間必死に生きてきたことの結果なの
姿かっこうだけを見て気味が悪いとか嫌いだとか思わないでね
一生けんめいに生きているんだってことを考えてあげようね

花ねこ日記
10月13日 嶺公園にて

📖 高山の作品から〜「Yとの嬉しい再会 4」

Yの話しが、シリーズになってるけどYを通じて僕らの仕事とか或いは、耳が悪くても仕事は出来るんだと思って貰えたら嬉しいです。

一人の男としてのYと言う側面も、当然有ります。

Yと知り合った頃、彼の従兄弟がトンネルに連れて来てました。

Yと同い年の従兄弟ですが、この男は腕は二十代後半にしては良い方でしたが、天狗になってました。

何かにつけて俺は、喧嘩は負けないとか仕事も年寄りに負けないとか言ってましたね。

Yはトンネルの経験はあったけど、やはり耳のハンディのせいで、それまでずっとトンネルってわけでは無かったようです。

トンネルに行っても、耳のハンディのせいで途中で辞めさせられたとか有ったようです。

それで、従兄弟がなるべく一緒に行動するようになったようです。

従兄弟が、耳の事を話して雇って貰うって感じですね。

しかし、僕が会った頃は従兄弟と微妙な関係になってましたね。

従兄弟は、身長は一メートル八十センチ近く有ったけどYと違って細身でした。

何故二人が微妙な関係になったかは、従兄弟が酔うと火薬の免許を持ってないYを馬鹿にするんですね。

 

Yも従兄弟も、僕らより先にその現場に来てたからか従兄弟は掘削班に居ましたが、Yは火薬の免許を持ってないから掘削班に入れなかったです。

それも、従兄弟が馬鹿にする原因にもなりました。

トンネルは、掘削班は花形なんですよ。

それに、お金も良いですからね。

しかし、この考え方は、もう古いんですけどね。

掘削班もコンクリート班も雑工も同じだと、今は思いますよ。

これは、今ではつくづく思うけどチームには、それぞれの役割がきちんとあって成り立つんですよね。

誰が偉くてってないんです。

しかし、やはり掘削班は、ある程度腕がないとどうしても出来ないのも事実です。

僕は、当時雑工から入って掘削班に行って、掘削班の片方の班長までなりました。

それは、腕が良いと言うより、統率力と働き者だったからです。

僕は、三十歳で現場の所長仕方なくしてるけど、掘削班の班長が、三十一とか三十二歳って、かつても今も滅多に無いです。

これは、僕が凄かったので無くて現場が良かったんですよ。

雰囲気が良くて、それならあいつにやらせて見るかと言うのが有りました。

おじさんが所長でしたが、それは関係なくておじさんは、え!?お前が班長かと後から言ってましたからね。

支えてくれた人に感謝しないといけないなと、今では思います。

従兄弟とも一緒に何度も仕事をしたけど上手いんですが、雑でムラが有りました。

僕の同い年のHは、もう一つの班に分かれてしまいましたが、従兄弟の仕事を見ててあれでは、全国で通用しないときっぱり言いましたね。

一度だけ従兄弟と僕は、仕事してて揉めた事が有りました。

普段はわりと仲良くやってたけど、従兄弟の雑さとムラがある仕事ぶりは時々僕をイライラさせてました。

当時は同じ立場でした。

僕も掘削班の一作業員で彼もそうでした。

僕が掘削した後の土砂をタイヤショベルで処理して、ダンプに積んでました。

従兄弟はダンプに乗ってました。

そこのダンプは二十トンダンプで扱いが大変でしたが、僕がタイヤショベルに乗ってると横に土砂を積んで貰うためにダンプを付けるんですが、何度もぶつかるんですよ。

下手なんですね。

最初は上手く避けたりしてたけど、ある時僕がバックしてたら向こうもバックしてて思わぬ方向に曲がって来てしまい、思い切りぶつけて来ました。

思わず運転席から落ちそうな程で、カチンと来ましたね。

その事だけでカチンと来たので無くて、何度かダンプ代わろうかと言ってるんです。

しかし、当時の班長があいつは下手だからと止めました。

それでもダンプも下手なので、班長に何かしら他の事をやらせてはと言いましたが無理でした。

それなのにダンプはしんどいけど、タイヤショベルは楽で良いとか冗談ぽく言うんですね。

そういうのもあって、この野郎!!でした。

そして笛を吹いて現場の乗り物を止めました。

タイヤショベルもかなりへこんでたし、何らかの故障が無いかを見たかったのも有ります。

従兄弟がダンプから降りると謝るどころか、僕の乗り方が下手だみたいに言ったので我慢してたのが、てめえこら!!になりました。

従兄弟に寄って行き、お前なあ、いい加減にしろよと言いましたね。

僕は、完全に喧嘩モードでした。

すると従兄弟は、そういう態度の僕を初めて見たからかすっかりビビってしまって、すいませんでしたと言いました。

僕は、内心こいつは口だけかと思いながら、これからきちんと乗らなかったら殺すぞと脅しました。

しかし、良い時と悪い時があって、悪い時の多くは前の日に飲み過ぎてるんですよ。

二日酔いが抜けてないような状態です。

これで何人もと言い合いになりましたね。

酒が抜けてないから勢いは良いけど、四十代半ばの班長から、今日は帰れとか言われてました。

飲んでないとわりときちんとしてたけど、それほどの腕では無いのに飲むと俺は仕事も喧嘩も凄いと始まるから、段々と人が近寄らなくなりました。

Yもうんざりしてましたね。

その頃Yと僕は同部屋でしたが、酔って来るので僕から帰れと怒られてました。

そういう時に、焼き肉大会が有りました。

大きいトンネルになると、昔は大抵皆の親睦を兼ねて二ヶ月に一度位の割合で、焼き肉大会が有りました。

今は不景気からか、少なくなりましたけどね。

元請けも参加して、皆で外に大きな鉄板準備してその土地の名産とかも入れて焼き肉するんです。

酒も飲み放題なので、酒好きは相当飲んでました。

それで、飲んで喧嘩とかも有ったけど楽しかったです。

その席で元請けの副所長が、この中で誰が腕っぷしが強いんだと言い出しました。

そりゃもう、見た目からしたらYです。

皆、Yを指しましたよ。

そしたら誰かが、有志で腕相撲大会しようになりました。

元請けの所長が、片腕ずつに賞金を三万円出すと言い出したから、そりゃ腕に自信の有るのは出ますよ。

これは、すっかり忘れてて、こないだYから言われて思い出した話しなんですけどね。

あちこちで腕相撲大会やってるから、覚えてないんですよね。

二十人程出て、トーナメントでやりました。

右は、Yが圧倒的優勝でした。

僕は、早くにYに当たって負けてます。

左になったら、Yと僕の決勝になりました。

僕は剣道してたから、左の握力は当時は百を超えてました。

腕相撲って腕っぷしってよりも、手首の返しが強いかと握力がかなりの部分で作用します。

周りは、僕がYと決勝ってのに驚いてましたよ。

しかし、前から知ってる連中は、左なら僕の方が強いだろうと言いました。

前の現場で見てますからね。

そして、YとやるとYはやはり強いんですが、手首の返しは僕が強かったです。

僕が勝ったけど、Yが賞金で皆で飲みに行こうと言ったから賞金は手に入らずです。

Yがそういうのに、僕だけ賞金は貰うって訳に行かないからですね。

今度、この六万円で若手で飲みに行こうとなりました。

Yは、まさか僕に負けると思って無かったようで、ショックだと言ってました。

その夜です、僕はすっかり飲み過ぎて寝てたら誰かが呼びに来ました。

Yと従兄弟が喧嘩して、Yが従兄弟をぼこぼこにして止まらないから来てくれです。

僕は、え!?ですよ。

急いで下に降りたら、駐車場の所に皆居るんですよ。

どうもYが腕相撲で勝ったのが気に入らなくて、何処かで喧嘩になったらしいです。

Yは、酒が強かったから酒の勢いと言うより、今まで溜まってたの爆発したんだと思います。

僕が行くと、倒れた従兄弟をまだ蹴ってました。

それは、普段のYとは違う非常に狂暴な雰囲気でした。

周りも止めようとするけど、その雰囲気に飲まれた感じでした。

僕は急いでYの所に行くと、Yにしがみつくようにして、もう辞めろと頼みました。

Yは、それでもしばらく我を忘れたようでしたが、僕が行った事によって皆も我に返った感じでYを押さえました。

多分、最初からそこに僕も居たら雰囲気に飲まれて、止められなかったかも知れないですね。

従兄弟は、もうボロボロでしたね。

喧嘩に負けないとか仕事も出来るとか意気がってたのが、皆の前でそこまでやられて恥ずかしかったんでしょうね。

次の日に現場を辞めて、一時的に従兄弟は帰りました。

一ヶ月もしないうちに誰かが呼び戻しましたが、前のような横柄さは少しは治りました。

しかし、その現場が終わって次の現場と言う時に僕やYは選ばれたけど、従兄弟は駄目だとなって選ばれなかったです。

そのあと従兄弟の噂をあちこちで聞いたけど、良くない噂ばかりでしたね。

今は地元で、多分普通の建設業に就いてると聞いたけど、Yも縁を切るって程では無いけどほとんど知らないようです。

結局、Yはトンネルの世界で生き残れたのは真面目だったからですね。

従兄弟が残れなかったのは、若い時に少しだけ覚えると天狗になったからでしょう。

それと酒でしょうね。

酒で駄目になるって、色々なパターンを見てきましたね。

それと暴力的な話しが多いけど、皆がそういう訳では無いです。

しかし、肝心な時には暴力と言うか、度胸を試される世界で有るのは変わりませんね。

この話し思い出したきっかけは、Yがこないだ、●●ちゃん腕相撲しようと言い出したからです。

右で負けて左で勝ちましたね。

周りは僕が強いの知ってるけど、Yの身体見て流石の高山さんも負けるかもと、ジュースを賭けたり小銭賭けたりしてましたね。

盛り上がりましたね。

終わってしばらく日にちが経って、この話しを何気なくYがしたから、え!?あの時腕相撲したかな?でした。

Yが従兄弟と喧嘩したのは覚えてますが、その一つのきっかけが腕相撲だったとは、覚えて無かったです。

どちらにせよ、従兄弟とYとの衝突は何処かで起こってたでしょう。

Yが人生の勝ち組とは言わないけど、従兄弟より余程ましですね。

そう思えば、当時は僕も気に入らない事が有れば引きませんでした。

しかし、毎日コツコツ身体を使って動いてた事は間違いないし、天狗になる暇など有りませんでしたよ。

それと、暴力とか度胸は今でも有るけど、決して強い人間では僕は無いですね。

しかし、色々忘れてる物ですね。

おわり

📖「ガーターベルトの女」の映画化のためにエッセイをお読み下さい・・・「ガーターベルトの女 6」

ガーターベルトの女シリーズは、もうそろそろ辞めると言いながらも続いてますが、これを書いて多分別れを書くと思います。

予定は未定ですけどね。

次は全く違うの書くかも知れないし、その辺りはブログですから自分自身次第ですよ。

Mの事は折に触れ思い出すのは何故かと言うと、自分自身が苦しい時にクールなMが助けてくれて、その後、僕も色々あって連絡取れなくなったからでしょうね。

それと、若い時期の恋の中では短かったけど、鮮烈でしたからね。

Mは、嫁にしたいタイプでは無かったかも知れないですが、二つ年下でしたが明らかにあちらが大人でしたね。

今回は、エピソードを二つ書きますね。

Mは、スナックに勤めてたけど本人ほとんど飲まなかったから、昼間に良く街で偶然車で見かけるって有りました。

飲まないから昼間も動けたんですね。

狭い街ですし、皆車がないとどうしようもないような所ですから、女性も男性も早めに免許取って車を持ってました。

当時のMは、車種は忘れたけど黒の軽自動車に乗ってました。

僕はスカイラインに乗ってて、道ですれ違う事が有ると、おっ!って感じで手をあげましたよ。

しかし、店に行くと、僕がサングラス掛けてカッコつけてた、とか言われました。

M流のジョークですけどね。

僕もそれに対して、そんなに言うなら今度追いかけて来いよ、と返しました。

僕もジョークで言いましたよ。

有る時に、非常に仲の良い作業員を何処かに送るか何かで仕事で乗せて、市内を走ってました。

前からMの車が来ましたから、おっ!と手を挙げました。

Mは、目が悪くてコンタクトにしてる事も有れば、時には眼鏡を掛けてました。

当時は眼鏡でお洒落なの少なくて、それでもMは幾つかのお洒落な眼鏡を持ってました。

基本はコンタクトでしたから眼鏡を掛けてるのは珍しかったけど、この日は掛けてましたね。

仲の良い作業員は中年でしたが、僕の彼女って知ってました。一緒に二人で飲みに行ったことも有りましたからね。

今の、彼女だろと言うからそうですねと答えたら、美人だけどあの子眼鏡を掛けるのか、と言ってました。

すると後ろでけっこう大きな音がしたのでサイドミラーで見ると、Mが車を回転させるようにしてこちらの斜線に入って来て、僕の後ろに付けようとしてました。

田舎ですから、一車線を割り込んで車を回してこちらに入って来たんですよ。

乗ってた作業員が、今の見たかと笑いました。

あの子大胆だしお前より運転上手いぞ、と言いましたよ。

この作業員は四十代でしたが、作業員の中では僕の初期の師匠とも言える人で、トンネル作業の上手さと人の使い方の上手さは群を抜いてました。

人相は悪いけど、大きな機械に乗ってる姿はカッコ良かったです。

僕に機械を教えてくれて、とにかく機械が有る時は楽をしろ、と言いましたね。

本人は、三十代はバリバリだったし、俺なんかは全国に出たら大した事がないと言ってたけど、僕とは気が合ったからか色々親切に教えてくれました。

その人が、あの子上手いなですからね。

Mは、後ろに付けるとパッシングしてきました。

バックミラーで見ると笑ってるのが分かりましたから、自販機のある所でゆっくり停めました。

Mも後ろにピッタリ付けて来ました。

僕も作業員も降りたら、Mも降りて来ました。

作業員がMちゃん凄いなと笑うと、そうでしょうとMは笑い返しました。

僕に向かって、ジュース奢ってよと言って来ました。

僕が千円札を自販機に入れると、貴方はコーヒーでしょ?、●●さんは何にすると聞きました。

作業員の名前ですが、俺もコーヒーで良いよと返しましたね。

Mは、二人の買うと作業員には手渡して、僕には少し離れた所から投げました。

お釣り貰ったと言いながら、また●●さんも来てねと言いました。

作業員は、Mちゃん眼鏡も可愛いなあと言うと、Mは、私は何しても可愛いのよと笑いながら言うと、車に乗ってそのまま去りました。

僕はお釣りは取られるし、Mの行動に苦笑いしながら車に二人で乗り込みました。

作業員の中年の人が、あの子は良い女だけどまだ、お前の手にはおえないだろうなあ、としみじみ言いましたね。

それは当たってましたね。

しかし、まさか一車線の道であんな事をするとは思わなかったから、次に行った時に危ないよと言うと、きちんと確認してるからと軽く返されました。

良く遠出をしたので、僕のスカイラインをMが運転する事も有りましたし、上手かったですね。

もう一つのエピソードは、どちらから言い出したか覚えていないけど交換日記しようと言ったら、Mが乗ってきてノートからペンまで揃えました。

二十四歳と二十六歳が交換日記、って発想が面白かったんですよ。

交換するのは、店に行った時とか会った時ですね。

周りにバレないようにしてました。

Mは、ポップなノートと色々な色のペンを揃えて来ました。

最初は、僕が真面目に映画の事を書いたりMの事をいかに好きかを書いたりしたのに、Mから返ってきたのを見て笑いましたね。

こういうお客が来て馬鹿な話しをして行ったとかですが、それがカラフルに蛍光ペンで彩られてて、その上、自分自身のビキニ姿の写真を切り抜いて貼ってたりしました。

まだプリクラとかない時代ですからね。

こういうセンスには参りましたね。

映画も二人の共通の趣味でしたから色々書いてましたが、その俳優の顔を雑誌から切り抜いたりしてました。

シールを貼ったり、とにかくポップでしたよ。

二人ともアンディ・ウォーホールのファンでしたが、Mからウォーホールは教えて貰って画集を買ったのを覚えてますが、ウォーホールが好きなの分かりましたね。

これは、僕の同僚達にも見せなかったし、交換日記の存在は知ってた人も居たけど誰にも見せてないです。

ある時、Mが店が終わったら良くジュースを飲んで、少し休んで帰るお店に行きました。

交換日記有るよ、と電話が入ったからです。

その店は深夜までやってるバーで、地方にはそういう店が少なくて、Mも時々利用してましたね。

しかし、そのバーの経営者でいつも店に居たのが僕の高校の先輩らしくて、皆あの人は怖いと言ってました。

腕に当時は珍しいタトゥーが入ってて、お洒落だけど怒らせたら大変だぞ、と言われてましたね。

その人は僕より三才程年上で、正直僕は好きではなかったですし、皆がやたらに怖れるのも嫌だな、でした。

そういう地元独特の縦関係に疎かったのと、そういうのが嫌いでしたね。

妙な縦関係がね。僕の仕事に関係有るなら別ですが、僕から見たらバーの経営者だろう、ですよ。

Mは、バーのボックス席でオレンジジュースのようなの飲みながら、本を読んで待ってました。

僕は、店に入ると同じ物を注文して座りました。

Mは交換日記を渡すと、今日は飲まされて少し酔ったと言ってたから、ジュース飲んだらその辺りドライブするかと聞きました。

Mは、車で来てたし家まで二十分程でしたが、少し位酔ったなら大抵帰ってたからけっこう飲んだのか、それとも気まぐれで会いたくなったのか、どっちかだったと思います。

ジュースを持ってきた経営者が、二人ともボックスに居ないでカウンターに来いよ、と言いました。

わりと広いバーでしたが、普段はもう一人従業員居るのにその日は経営者のその男だけでした。

お客も僕らだけでしたから、カウンターに来てくれた方が楽なんでしょうけどね。

交換日記をボックスのテーブルに置いてたら、その男が何これ、と言って取り上げました。

Mが、それは二人のものでしょと強く言いましたが、勝手にパラパラめくりました。

僕が、その手からノートを取り上げて勝手に人の見てるんじゃねえよ、と言うとカチンと男は来たんでしょうね。

トンネル屋の息子か知らないけど、最近調子に乗ってるって聞くから余り調子に乗ってると沈めるぞ、と凄んで来ました。

Mが思わず、ダサいと叫びました。

沈めるぞってのは、ヤクザまがいの言う台詞ですからね。

すると男は、お前達まだガキなのに偉そうにしやがってみたいに言うから、そんなのあんたに関係ないだろうと僕が返しました。

するとお前なあ調子に乗るなよと更に凄んで来たから、普通は人の物を取り上げて見たりしないよ、そういう常識も知らないのか、と答えました。

そして、Mの店に嫌がらせとかするなら俺の現場に差し入れに来い、と言って今日の会計も含めてだと財布から一万円出して渡しました。

これで現場に何か買って来いよ、と言って現場の場所を教えました。

この子は一人で来たけど、お前なんか来れないよ、と続けました。

男は相当カチンと来てたようで、てめえ誰に口聞いてるんだと言うから、そういう頭の悪い言い方が嫌なんだよ、と言い返しました。

Mは横で聞いててわざと煽るように笑いながら、そうだ!もっと言え、等と言ってましたね。

僕は、Mの笑いながらの煽りに思わず引き込まれて笑いそうになるのを、堪えましたね。

Mも僕も、二人ならどういう局面でも切り抜けられると思ってたのではないかと、今では思います。

僕は、それ以上居ても仕方ないから出ようと言って、現場に来たら大した物だと認めてやるけど、ダイナマイトも使ってるしダンプに牽かれないようにね、と言って店を出ました。

Mと出ると、大笑いしました。

あの人にあそこまで言ってるの初めて聞いた、と笑いました。

僕の車に乗ると、ラブホテルに行きました。

Mは、その日はしたかった日だったんでしょうね。

激しくセックスした後にMが、あの人現場に来ると思う?それとも来ないと思う?どっち?って聞くから、Mと同じ意見だよと答えたら笑いました。

結局、そのバーの経営者は現場に来ませんでした。

数年経って、その事をすっかり忘れて店に行くと、非常に気まずそうにしてました。

そこで、あ!そう言えばそういう事があったな、と思い出しました。

Mとの交換日記は数ヶ月続いたかどうかです。

最後はMが持ったままですね。

Mと居たら色々大変でしたが、刺激的でしたね。

交換日記は、多分もう捨てたんでしょうね。

しかし、当時あんなにポップな交換日記は無かったと思いますね。

その後、そのバーも今では無いですね。

おわり

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