高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して【488】

妄想家・夢想家無名居士の
夢物語の記録です
無名作家高山のエッセイ
「ガーターベルトの女」の映画化芝居化 その他いろいろ作品化できれば
なんて途方もない夢を観ています

📖 高山のエッセイ〜「マゾ気質な女の思い出」

2017/07/02

「ガーターベルトの女」のMの事を書いたから、この後に付き合った、ある意味腐れ縁の続いてる女性の事を書きます。

腐れ縁と言っても悪い意味ばかりではありません。

僕は、今では美容室で髪を切りますが、この女性と出会ってなかったら散髪屋さんでしょうね。

安い美容室でいつもカットしてます。

Mと別れて、この美容室を親が経営してて、自分自身も手伝いながら水商売に出てる女の子と付き合い始めました。

元々は会社の同僚が付き合いかけてたのを、俺もアタックして良いかと言ってアタックしたんですよ。

考えたらデリカシーないし、当時は同僚に恨まれてかも、ですね。

この女性をRとしますが、Rの従姉妹と最初付き合ってたけどRの方が可愛かったから。乗り換えたんです。

今思えばむちゃくちゃですが、当時はとにかく可愛い女の子を側に置きたかったんです。

RもM程では無いけど、街の飲み屋街では可愛いので有名でした。

しかし、付き合ってみるとMとは全く違うタイプで、最初戸惑いましたね。

Mは、Rの事を見下してましたよ。

Rは本当に可愛いけど、何処にでもいる、元田舎のヤンキーでした。

高校に行ってなくてヤンキーでしたが、当時は美容師の免許、中卒でも取れたんですよね。

ヤンキーでしたが、怖がりで根は優しい女性でした。

父の会社に美容室があって、倒産寸前まで良く行ってました。

今でも交流は有りますね。

Rは付き合ってみると可愛いけど、服とかどうでも良いんですよね。

それとお酒を凄い飲んでたから、かなり失敗もしてました。

男にも非常にだらしなくて、良くいるヤンキー上がりの女の子パターンです。

五つ年が離れてましたし、Mのようなクールさは無くてとにかく寂しがり屋でした。

色々あったんですが、僕が途中で精神的病をやってからしばらくは誰とも会えなかったけど、Rとは会えるようになりました。

Rは庶民的良さが有りましたし、Mのクールな態度は時に僕を苦しくさせたから、Rはそういう意味では楽でした。

それとMには僕が凄く入れ込んだけど、RにはMほど入れ込まなかったから楽だったのでしょう。

Rは、当時は僕は家の敷地内に建てられてた元会社の事務所で寝起きしてました。

トイレは付いててわりと広く、家に何か言わなくても入ってこれたんですよ。

Rは、夜の仕事が終わると家に戻らず、大抵来てました。

Rが良く言ってたのが、死ぬことを考え始めたら止まらなくなって、誰かととにかく居たくなる、でした。

それは今でもあるようで、何かの強迫観念なんだと思いますよ。

だから、僕が病気で休んでたのはRには都合良かったんでしょうね。

何時でも会えるからね。

仕事が終わって来たら、かなり酔っててラーメン作って、とかでした。

僕も隙を見てはRとセックスしたいから、言うこと聞いてましたね。

袋ラーメンを作るけど、必ず固めでねと言いましたね。

それと、脚や肩を大抵マッサージしてあげてましたね。

酔ってて、セックスになることも有ればならない事も多かったけど、Rは生粋のM気質でした。

自分自身から何かを奉仕するのは非常に下手でしたが、縛られたり苛められるの喜びましたね。

本当に痛いのとかハード過ぎるのはダメでしたが、M気質でした。

良く二人で遠出しました。

時には泊まりで行きましたね。

Rはお金は使わないけど、ギャンブル好きでドライブ好きでした。

言われるままに、何処でも行きましたよ。

ある時、泊まりでラブホテルに泊まってセックスになったら、僕が首を吸ったんですよ。

そしたらM気質のRはそれが良かったらしくて、もっともっとになりました。

思わぬ快感だったようで、僕も夢中で首を責めました。

そしたら終わったら腫れてね。

これには参って、慌てて氷で冷やしましたが、手遅れでした。

美容室にも気まぐれで出てて、お母さんの手伝いしてました。

父親は離婚して居なくて、母親と娘だけでした。

Rのお母さんも夜の仕事してたようで、初めて見た時に綺麗なお母さんだなあと驚きましたね。

男関係で酷い目にあってたから、その頃はもう男は要らない、でした。

若い頃は、Rより綺麗だったろうと思わせましたね。

Rは可愛いかったけど、Mのようなキレるような美しさなかったですね。

お母さんは、ざっくばらんな性格で楽しい人でした。

しかし、Rの首に一時的とは言え、腫れと跡が残ったのには怒られましたよ。

うちの娘も手伝いに出るから見える所に余り色々はねえ、です。

いやいや、娘さんがM気質でもっとと言うからですよ、等は言えないからね。

Rは、だんだん僕だけでは厭きたらずに他の男ともセックスしてるのがばれましたが、僕はまだ精神的病をやってたから、Rを手放したく無くて許しましたよ。

ある時、九州の有名な刑務所に用事が有ると言い出して二人で行きました。

元カレが交通刑務所に入ってて、それの面会です。

内縁の妻とか何とか、誤魔化したら会えるらしくて行きました。

この頃になると、Rを好きとかよりも単純に今は手放したくないだけでした。

その日のうちに面会するつもりが、その県に入ってから道に迷ってしまいその日は会えずでした。

仕方ないから、ラブホテルに二人で泊まりました。

Rは生理でしたが、元々生理が非常に軽くて終わりかけだったのでラブホテルでセックスしたけど、途中から言葉で、お前は元カレの所に来てまで他の男にも抱かれてる、と言うと火がつきましたね。

言葉責めに弱かったですからね。

刑務所から出てきたら復縁する、とか言ってたからむちゃくちゃですね。

Rとの日々は、愛してるとかよりも自分自身が弱ってて途中からRを手放したくない、だけになりました。

最初、Rが髪を美容室で切ってくれるって頃はパニック障害もあって、Rだけの時に切って貰いましたよ。

だんだん慣れて、普通に行けるようになりましたね。

Rの所で切るようになってから、何処に行っても大抵美容室で切るようになりましたね。

会社が倒産して数年経って、Rのお母さんの美容室に行って髪を切って貰いました。

その頃は、Rとはたまに電話したりの仲でしたし、友人と言って良いのか分からないけど、腐れ縁は続いてました。

その時にRから相談されたんだと思います。

もしかしたらもう少し前かもですが記憶がはっきりしません。

店の奥で話しが有ると言われて行くと、豊胸手術する、でした。

飲み屋にやはり出てて、一晩寝てくれたら豊胸手術代を出すと言う中年に会ったらしいです。

Rは、片方の胸と片方の胸の大きさが違いました。

付き合うと直ぐ分かりましたが、それを本人は気にしてたけど、僕はそれはやらなくて良いのでは、です。

それと、その中年絶対一晩ではすまないよ、です。

しかし、本人は、自分自身が胸の大きさが違うのがどれ程嫌だったか分からないからだ、と言って手術しましたね。

やはり何度も求められたようで、最終的には店を辞めましたね。

その後、一度結婚して直ぐに離婚しました。

今は子供も居なくて独身です。

僕が、会社が倒産して他の土地に行く時に服の段ボールを一つ預けましたが、戻って見るとしまいかたが悪かったのか虫食いになってました。

しかし、Rは、僕のケータイが通じない場所に居ても手紙をくれたりで、根は優しかったですよ。

金銭的な援助はなかったけど、励ましはありましたね。

書いてて思い出したけど、僕の手紙の便箋が茶色い安いのだったから、一度だけ少しお洒落な便箋を送ってきましたね。

考えて見ると、Rなりの優しさは充分有りましたね。

Rは、三十代半ばからお母さんの応援もあって、街で小さいスナック始めてます。

何度か行ったけど、当時刑務所に入ってたのが良く来ると、僕の事を知ってるんですよね。

相手は相当狂暴らしいけど、Rも僕がそういう状態になったら意地でも引かないの知ってるから鉢合わせたら不味い、で行くのが面倒になりましたね。

数年前に、Rのお母さんの美容室の前を通ったら営業してなくて、Rに聞くと少し前に閉めたとの事です。

Rは相変わらずですが、若い頃の不摂生からか、五歳違うわりには老けたなと思わせますね。

Rもかなり波乱に満ちた人生だったし、十代にはシンナーもやってたようでそういうのが出たのでしょうね。

豊胸手術の後は一度もRの胸を見てないです。

なんだかんだ言いながらも、Rが十年以上スナックを経営してるのは僕の中では奇跡的だな、です。

しかし、Rはなんだかんだ言っても人に優しかったからその辺りの人柄なのかもな、とも思いますね。

それに、僕が精神的病をやった時にRが居て良かった、と今では思えます。

お互いもう四十代ですから、また楽しく思い出話し出来る時が有るでしょうけどね。

二人が、若い頃に良く過ごした美容室が閉まってしまったのには年数を感じるし、寂しくもありますけどね。

おわり

📖管理人・無名居士の 童話『花物語』〜あるハロウィンの晩

2008/10/14

  花の行商をしていたおかあさんから
  お花の話を聞いて育った少女は
  大きくなって念願のお花屋さんを開きました
  少女のもう一つの夢は
  子どもにお花のお話をすることでした
  おかあさんがしてくれたように・・・

十月三十一日はハロウィン
あるハロウィンの晩に起こったお話をしようね
コウモリさんはクロネコさんが大嫌いだったの
それはクロネコさんがいつもいじめていたからなの
クロネコさんも実はカラスさんにいじめられてたのよ

いじめられてばかりいるのはくやしいから
自分より小さなコウモリさんやスズメさんや
もっと小さな虫さんたちをいじめてたの
年に一度のハロウィンの晩にはね
いつもいじめられている子だけ願いごとができるのよ

願いごとがかなうのはひとつだけよ
それでコウモリさんは考えたの
クロネコさんにどんな仕返ししようかって
コウモリさんはこんな願いごとをしたの
お願いですカボチャバクダンにしてくださいって

カボチャバクダンになって
お空からクロネコさん目がけて体当たりするの
クロネコさんは押しつぶされて動けなくなるわ
もう私たちをいじめることはできなくなる
コウモリさんはそう思ったの

あるハロウィンの晩
コウモリさんの願いがかなったの
クロネコさんは泣いて謝ったの
いじめてごめんなさい
私もカラスさんにいじめられていたんです

それを聞いてコウモリさんは言ったのよ
いじめられるのがいやだったら
ほかのひとをいじめてはいけないわ
弱いものいじめはやめさせなくちゃ
クロネコさんがいじめられないように私たちも手伝うわ

クロネコさんとコウモリさんは仲直りしたの
そして約束したの
弱いものいじめを力を合わせてやめさせようって
そのためには知恵と勇気を出そうって
これがそのときの記念写真なのよ

花ねこ日記
10月12日 カボチャコウモリ

📖 高山の作品から〜「Yとの嬉しい再会 3」

2017/12/10

Yの話しがシリーズ化してますが、この男は耳のハンディを乗り越えて良くやってます。

今の現場でも、素晴らしい成長見せてくれてますね。

このところ、夜勤に僕が手伝い兼見張りで行ってるので、何かと昔の話しをします。

現場の所長は、昼勤に出るからそれまで元請けから言われて出来る限りは、夜勤の現場に行ってます。

元請けも短いとはいえ大きい現場なので、何かしら起こるといけないと思ってるからでしょう。

トラブルが有れば、やはり僕のようなベテランが判断します。

夜勤の昼飯って言い方はおかしいけど、0時前後に食べます。

僕は行ける時と、他の現場を回る時が有るので弁当は炊事に頼んで無いから、皆が休憩所で食べるのを見ながら持ってきた食パン食べたり、詰所で仮眠したりしてます。

夜勤の昼飯の時に、何気なくYと話しててそう言えば、お前昔工事長を投げ飛ばしたようなあ、となりました。

Yは、耳が悪いせいか余り喋らないんですが、僕が一緒ってのもあるのと、今のところで非常に上手く言ってるからか彼にしては、饒舌です。

それは良いけど、●●ちゃんは昔気性が激しくて何々と揉めたとかを皆に言うから、言い返してやろうと思ってました。

周りもYを非常に認めてるのと、僕の事を高山さんで無くて名前で●●ちゃんと、ついつい呼んでしまうYに慣れましたね。

工事長を投げ飛ばしたのは、Yと初めて会った現場から一時的に数人連れて静岡に行ってくれ、とおじさんが僕に言ってきたからです。

静岡のトンネルの現場の作業員が途中で居なくなって、そこの残りの仕事をしてくれと言って来ましたね。

どうやら聞くと当時僕らが居た会社の現場で無くて、工事の途中で倒産した会社の尻拭いを僕らがするらしいです。

短いしダイナマイト使わないし、昼勤だけで二週間で終わらせて来いと言いましたね。

おじさんとは父の会社がある時から数年一緒の時でしたし、工事長も行くけど、現場はお前が仕切れと言われました。

その頃になると掘削班の班長からコンクリート班の班長もやってたから、おじさんもその前の経歴から僕が現場は仕切れると思ったんでしょう。

おじさんの現場も続いてたし、一時的に数人連れて行くなら工事長が駄目な人なので、僕に頼もうだったと思います。

あくまでもメインはおじさんが居る現場ですから、そこから僕の他に五人抜いて行けと言われました。

おじさんの現場がメインだから、そこの主要なメンバーは抜くなよです。

僕は、僕の同い年の沖縄の現場から一緒の作業員Hを抜きました。

仕事も出来るし働き者でしたからね。

それとYを抜きました。

あとは、十代のまだまだ仕事を覚えようと必死のしかし、働き者のEを抜きました。

これであとは、おじさんに任せるよと言いましたね。

この三人なら働き者だし、気心知れてるからやれるだろうです。

特に腕が一番良かったのは沖縄から一緒のHでした。

あとは、四十代の雑工をやってたのを二人連れて行くことになりました。

この二人は余りあてにせず動こうと思いました。

工事長が一応リーダーで行きましたが、この工事長は当時四十代初め位でしたが、口は達者ですが、トンネルを余り知らないし、動かないから皆から嫌われてましたね。

何故工事長になれたのかは多分ですが、僕が居た会社は元々トンネルをメインにしてなかったから、口の上手さに騙されたのだと思います。

作業員の間での評判は悪かったです。

静岡に行くと小さいながらも宿舎もあって、現場は小さいトンネルでした。

宿舎はまるで夜逃げしたように、何もかも放ってましたね。

作業員まで逃げること無いのにと思いましたが、何らかの事が有ったんだと思います。

自分自身も倒産を経験してるから、そこは色々あったんだなです。

マシンで掘削するようになってましたね。

それでもやることはほとんど一緒です。

残り三十メートル弱だったと思いますが、掘りやすい山でした。

しかし、三十メートル弱を二週間ってのは厳しいなと、Hと直ぐ掘ってて話しになりましたね。

一日二メートルはやって、最後の片付けに二日掛かると思ったから二メートルは厳しいし、三週間掛かるかもとおじさんには電話しました。

掘りやすいけど硬かったから、一日二メートルは厳しいなでしたね。

Hも僕も図面を見て、三十メートル位で大きく岩盤が変わらないだろうと思いましたし、それは図面よりもやってて何となく分かるんですよ。

変わる山は一メートルで硬さが変わるけど、それは前触れが有りますからね。

おじさんは、とにかく早めに済ませろでしたね。

この分のお金は、多少は出すからでした。

昼勤だけだから遅くまでやりましたよ。

大抵順調でも、夜の七時に仕事を終わらせました。

順調でない時は、夜の十時を過ぎるとか有りましたね。

掘る方のメインはHと僕でした。特にHでしたね。

僕は、周りに指示を出しながら動いてましたからね。

Hは仕事は出来るけど、完全な職人タイプでしたからね。

皆良く動いて働きましたが、毎日へとへとでした。

工事長は、朝礼と昼に覗きに来る位でほとんど事務所に居たから、何度か僕からもう少し手伝ってくれと言いました。

しかし、ほとんど手伝いませんでした。

本気で怒ると一時的に手伝うけど、しばらく目を離すと居なくなってましたね。

Yも体力に任せて動いてました。

十代のEは、まだまだ経験は浅かったけど、必死に動いてました。

二人の四十代もそれなりに若い連中に付いては来てたけど、流石に疲れきってましたね。

それでもトンネルとしては、異例の残業手当てが付くようになりました。

トンネルは、基の金額が決まっててそこからはどれだけ仕事をしたのかの請け負いなので時間は関係ないんですが、おじさんがそこを会社に掛け合ってくれたようです。

だから、金銭的には良かったです。

HとYはそれまで余り接点が無かったのですが、Hがあれは良いなあと言い出しましたね。

耳が悪いのを勘で上手くカバーしてる、火薬の試験を通らせてやりたいなあと言いましたね。

余りHは仕事で人を誉めないんですが、Yの頑張りは認めましたね。

若いEに関しては前から知っててあれは、これから育て方次第で良くなると言ってました。

日曜日も半日だけ出て仕事して皆へとへとで宿舎で寝てる時に、何やら言い合いが聞こえて来ました。

外に出るとYのハーレーの横で、工事長とYが言い争ってました。

Yは、前に違う人間と喧嘩したのを知ってたけど、普段は余程の事がないと怒らないタイプでしたから、こりゃ何かあったなと思いました。

前に喧嘩した時は凄まじいものでしたから、心配もしましたね。

Yに何があったと聞くと、興奮してて普段も多分耳が悪いせいで少し喋りが分かりにくいのが、更に分かりにくく困りました。

そうすると工事長がYのハーレーを指差し、それに軽く当たっただけだと言いました。

工事長から酒の匂いがプンプンしました。

この人の酒癖の悪さは有名でしたから、こりゃ当たっただけじゃないなと思いました。

Yは当たったんじゃなくて、ハーレーを蹴ってこんなの乗って偉そうにしても火薬の試験も通らない癖に、と言ったと返しました。

非常に聞き取りにくかったけど、大体そういう内容でした。

僕はこれは、不味いなと思ったのと怒って当たり前だなと思いました。

Yにとってはハーレーは宝物です。その上、自分自身一番気にしてる火薬の免許の事を言われたんですからね。

Yは、一メートル七十五センチ以上あってボディービルのように鍛えてて、体重は八十五キロ以上ある男でした。

パワーの有るのは有名でした。

一方の工事長は、小柄な小太りの口だけの男です。

それも酔っぱらってますからね。

ヤバイなと思いましたね。

Hが気づいたようで宿舎から出てくると、とにかく悪いのは工事長だろうからYに我慢しろと言いました。

いざとなれば、二人でYを押さえるしかないなでした。

しかし、そう思ってるより先にYの拳が、工事長の顔面に入りました。

そしてYは素早く工事長を持ち上げて、地面に叩きつけました。

それもプロレスのボディスラムのように、工事長の股に腕を入れて投げつけたんですよ。

つまり工事長の股に腕を差し込んで、くるっと工事長の体を回転させてそのまま投げつけたんです。

工事長も少なくとも六十キロは有るのを、軽々持ち上げて投げ捨てましたからね。

僕もHも驚くと同時に、慌ててYを押さえつけました。

とにかく落ち着けと、これ以上やるなです。

しかし、二人で制止しても振り回されそうでした。

工事長は、頭と背中を押さえながら何とか立ち上がりました。

僕とHは、Yを押さえるのに必死でしたね。

パワーが凄いから参ったなでした。

そしたら、十代のEが宿舎から出てくると素早い動きで、工事長をパン、パン、パン、とボクシングの要領で殴り飛ばしました。

一瞬の出来事でしたね。

十代のEは小柄で細身でしたが、ボクシングやってたのは知ってました。

しかし、Eが殴るの見るのは初めてでした。

工事長は、地面に倒れて顔面血まみれになりました。

僕もHもYも、え!?ですよ。

十代のEは、こいつが完全に悪いですよと、悪びれた様子は無かっです。

僕が、取り敢えず事務所にこいつを放りこもうと言うと、皆で持とうとするとYがまた工事長を持ち上げて事務所のドアを足で開けると、そのまま床に叩きつけました。

その頃には他の連中も出てきてて、工事長が死んでないか見ました。

血まみれだけど生きてるようですし、大した怪我にはならないだろうと判断しました。

次の日に顔を凄く腫らしてましたね。

僕らはそれを見て、工事長の前で笑ってやりましたよ。

背中もしばらく痛い痛いと言ってたけど、おじさんにその事を報告したらしいですが、おじさんからは相手に全くされずに、お前は馬鹿かと言われたらしいです。

僕は、工事長が現場に来る度に何処が痛いとか言うから、自業自得だろう死なかっただけましだよ、と言いました。

この話しを、こないだ皆の前でしました。

Hも今は、他の会社で元気にやってます。

ボクシングのその頃十代のEは、三十代になって一度だけ仕事を一緒にしましたが立派になってます。

EもHも、機会が有れば僕の現場に来たいと言ってます。

皆の前でYのその話しすると、Yは笑いながらあの時はまさかEがあんなに強いと思わなかったし、あの場面で出てくると思わなくて驚いたねでした。

今では笑い話しですが、あんな体勢で人を投げる奴なんて見たことないよ、と僕も笑いました。

工事長は、一つの現場で工事長を解任されてその後作業員をしてたけど、雑工でしたし評判は悪かったです。

僕が、三十代の後半にフリーの作業員として行った所でも偶然会いましたが、雑工してたけど、働かないで評判は悪くて途中で首になりました。

それをYに言うと、やっぱり働かないのは駄目だよと言ってました。

HやEとも会いたいな、とも言ってましたね。

今三人が揃ったら、誰が一番の腕があるか面白いと思いますね。

レベルの高い争いになりそうだなと思います。

しかし、まあ人を投げるのにプロレス以外でリアルであんな風に投げたのは、今後も見ることないでしょうね。

おわり

📖「ガーターベルトの女」の映画化のためにエッセイをお読み下さい・・・「ガーターベルトの女 5」

2017/07/08

「ガーターベルトの女」シリーズも、後書けてこれを含めてせいぜい三作書けるか二作で終わるかだろうと思う。

或いは、これで終わるかも知れない。

そこは何とも言えない。

二十年以上前の話しは、書いてたら思い出す事も有ればすっかり忘れてる事もある。

Mを美化しすぎかも知れないが、当時のMに愛された男は同じように思ってるのでは、とも思う。

しかし、Mに愛されずに振り回された男はそうは思わないだろう。

Mの気まぐれや、一種のこだわりや自信を嫌った女性も沢山居たと思う。

突出した存在とはそういう物だ、と僕は思う。

それに若い頃は頭の回転が良いと、相手が馬鹿だと許せない場合もあると思う。

そういうMだが、Mの義理のおばさんがやってたお店を任されていたが、二十年前、当時でさえ古臭いスナックだった。

時代は九十年代の半ばだが、地方はまだまだバブルだったと思う。

地方でもスナックやラウンジクラブと言えばきらびやかな店が立ち並ぶ中でもMの店はビルの一階の奥にあり小さな古臭いスナックだった。

カウンターがあって、申し訳程度に一応ボックスがあったが十人も入れば一杯だった。

無理に入れて、会社の連中と作業員を連れて二十人程で貸し切って打ち上げをした事があったが、かなり苦しかったのを思い出す。

それに、Mが積極的な客引きやお店からお客を迎えに行ったり滅多にしなかった為に、Mの店の客層は中年が多かった。

僕と出会った頃、Mはそこの店を任されてそんなに経って無かったと思う。

一年位ではないだろうか。

Mのその前の仕事は何をしていたのかはっきり覚えてないが、県の中心で事務員をやっていたと聞いたように思う。

しかし、Mが隠れてても狭い街の為か徐々に若いお客も増えて行くが、僕が付き合い通ってた時は若いお客の比率はとても低かった。

僕の父の会社の連中は若かったが、それが主になっていた。

僕達は当時は、ほとんど皆仲良く綺麗な飲み方をしたからMから嫌がられはしなかったし、Mが僕の彼女だと皆が知ってたから変なちょっかいも無かった。

Mは、若いお客をどちらかと言えば嫌っていた。

自分を口説きに来る荒い連中を面倒に思っていたから、まだ中年の方がましだと言っていた。

しかし、中年もMの魅力に惹かれて来ていたし、隙あらばと思っていたと思う。

病院の先生がその代表格だったが、もう一人銀行員のAと言うのが来ていた。

年齢は四十代半ばで、何時も綺麗めな格好をしていた。

ラルフローレンが好きなのか、ラルフローレンのポロシャツにスラックスを穿いていた。

当時の少し高級思考のファッションは、ラルフローレンと決まっていた。

少なくとも僕の地方都市では。

僕とMはラルフローレンが嫌いで、その人を呼ぶ時に陰でラルフさんと呼んでいた。

Aは綺麗めな格好をしていたが、小肥りで頭髪もかなり薄くなっていた。

離婚したらしく、子供は居なくてMを狙っていた。

普段は大人しいが、酒が入りすぎると時にMにしつこく迫っていた。

着けていたタグ・ホイヤーの時計をやると言い出して、聞かなかった事もあった。

Mは、仕方なくその時は貰って店に飾って置いたら、次に来て持って帰ったと笑っていた。

普段のMなら質屋に持っていて売っていたかも知れないが、粘着質なAの性格を知っていたから店に置いていた。

それに、タグ・ホイヤーなんて安いから大したお金にならないよ、と笑っていた。

ある日、僕が一人で店に居てMと馬鹿話しで盛り上がってると、Aがすっかり酔っ払い来たことがある。

最初は歌を何曲か歌ってから、Mを口説き始めた。

僕は、次のお客が来たら出ようと思って見ていた。

その時の口説き方は何時もより執拗な感じがしたので、僕はニヤニヤしながら見ていた。

ご飯を食べに行こうから、電話番号を教えてくれから、自宅は何処かまで聞いていたが、Mは適当にあしらっていた。

Aは執拗だが暴力的では無かったし、もう一人僕がお客で居るのを意識してかブレーキもかかっていた。

そのうちどんどん水割りをロックで飲むと、Mにチークダンスを踊ろうと言い出した。

この当時のスナックやラウンジやクラブでは、中年は直ぐにチークダンスを踊ろうと言ったものだ。

チークダンスと言っても、ただ女の子の身体を触りたいだけなのだが、ダンスの苦手な日本人には向いていたのだろう。

特に、フィリピンパブでは女の子の方から誘ってきた為に、僕も何度か経験があった。

今でも僕より十才位上の五十代後半などは、時々踊ろうと言って女の子を困らせている。

僕はMの店が狭い上に、女の子がMしか居ないのに良く言うよな、と呆れて煙草を吸いながら成り行きを見ていた。

Mは、しつこいAに明らかに苛立ちを見せていたが、宥めようとしていた。

僕の方を何度かチラッと見たが、僕はわざと無視した。

Mの普段の気まぐれに、時には振り回されていたからMが困ってるのを見ようと思ったのか知れないし、Aの行動が余りに情けなくて面白く、もう少し見たかったのかも知れない。

今となっては分からないが、早めに助け船を出すのを今回は少し焦らしていた。

Aは無理だと言うMの事など聞かなくて、つのだ☆ひろの『メリー・ジェーン』を入れろと言った。

当時のカラオケは、女の子がレーザーディスクを入れないと駄目だったから、Mは入れないと言い出した。

ちなみに、つのだ☆ひろの『メリージェーン』は、チークダンスの定番的曲でもあった。

執拗な攻防がMとAの間で続いたが、Mがいきなり僕の方を向いて、もしも踊るなら若い人の方が良いに決まってるじゃない、と僕に言った。

僕は吸ってた煙草を落としそうになった。

それを言ってはいけないだろう、と思ったからだ。

するとAは僕の方を向いて、お兄ちゃんは良く来てるけどMと出来てるの?と聞いてきた。

僕は、そんな訳ないじゃない笑いながら誤魔化した。

すると今度は、高校は何処を出てるのかと聞いてきた。

僕は、自分自身の高校をきちんと伝えた。

Aに、蔑むような目付きが現れたのが分かった。

小さな街では、僕の高校は不良の吹き溜まりで馬鹿の集まりと思われて居たから、Aはいかにも銀行員らしく態度を変えた。

仕事は何かと名前は何かと、更に聞いてきた。

僕は面倒になっていたのと、腹が立っていた。

人を高校でそういう風に判断するエセインテリには、つくづくうんざりだったからだ。

僕は、仕事はトンネル堀りで会社名と名前をわざと言った。

Aの態度が、さっきと直ぐに変わった。

会社名と名前を言われたら、Aの銀行ともうちの会社は取引があったし、名字を言われて社長の息子か関係者だと分かったようだ。

そのくらい、当時はうちの会社名は売れていたし、そこの息子か関係者ならヤバイと思ったのだろう。

僕は追い討ちをかけた。

明日、自分自身の預金をAさんの銀行から全て下ろすし、他の社員にもそういう風に伝達しますわ、と言った。

僅かに貯金がある程度だったが、大袈裟に言った。

相手が見下して権力で来るなら、こっちも嘘でも言ってやろう、だった。

珍しく財布を見ると名刺が入ってたからAさんに渡して、よろしくお願いしますと言った。

Aはノックアウトされた上に、リングから放り出されたような感じだった。

Aは、また来ると言うと、僕に非礼を何度も詫びた。

 

そして明日にでも会社に行きますから預金の件はお願いします、と言い出した。

僕は、詫びるならMちゃんに詫びてチップでも渡したら、と答えた。

Aはそうですね、と敬語になって、Mに釣りは要らないからと言うとMにも何度も頭を下げて、僕にも何度も頭を下げながら逃げるように帰った。

Mは、何事も無かったようにAの席を片付けると、レーザーディスクを勝手に入れて『メリー・ジェーン』を掛けた。

そして、カウンターを手を着いてヒョイと飛び越すと、こちら側に来た。

ミニスカートでカウンターを飛び越す女の子を、初めて僕は見た。

Mは、僕の手を取ると立ってと言って、『セント・オブ・ウーマン』のアル・パチーノのように踊って、といった。

映画『セント・オブ・ウーマン 夢の香り』は、Mが最近僕に勧められてビデオで見ていて、気に入っていた。

特に、アル・パチーノ扮する盲目の元軍人が、若い女とタンゴを踊るシーンは気に入っていた。

このシーンは、名シーンだった。

Mは、最初にヒールで僕の足を強く踏んだ。

早めに助けようと思ったら出来たでしょう、とクスクス笑いながら言った。

僕は、会社名を出したのは反則だったなと言うと、Mはあの場合は仕方ないでしょ、と笑った。

とにかく足を動かして密着してと、狭いスナックで僕達は、チークダンスなのかタンゴなのか分からない物を踊った。

Mは踊り終わると、あんな風にはなかなか踊れないね、と言いながらも満足した表情を見せて、隣に座った。

僕が、あれはアル・パチーノと相手の女性の役者の名演だよ、と言った。

二人で並んで座っていると欲情して来てキスをしたが、店が空く音がするとMは冷静に立ち上がって、今度はきちんと出入り口からカウンターに入ると、いらっしゃいませと言った。

僕の会社の同僚だった。

来た瞬間に、二人のムードに気づいたのか出直そうかとおどけて言ったが、Mが入って入ってさっき面白い事があったから聞いて、と言って中に入れた。

またもやMは、さっきの話しを面白おかしくして話した。

僕もそれを楽しく聞きながら酒を飲んだが、意外にMから踏まれたのが痛いのに気付いた。

Mの、側に来た時の匂い等はもう思い出せないが、カウンターを飛び越したMは思い出せる。

その日は、ガーターベルトは着けていなかった。

おわり

「ガーターベルトの女」 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 番外編 番外編2 14 15 番外編3
「ガーターベルトの女 外伝」(フィクション編)
1
「新・ガーターベルトの女 
 2 3 4 5 6 7 8 9 10
Blogger 英訳ページへ

「無名魂」FC2ブログ
https://mumeikon.blog.fc2.com/
管理人 無名居士
ichiro73@softbank.ne.jp





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?