【これ、関西では、普通の発言だと思う。】安冨歩氏のツイートを読んでみる

明石市元市長の「暴言」を私はパワハラだと思う
安冨氏は「これ、関西では、普通の発言だと思う。」

この違いは何だろう?

はじめに
この問題はすでに市長が辞職願を提出し明石市議会は全会一致で同意
辞職が決まった
市長選挙に立候補するかどうかはまだ不明
報道された当時市長を擁護する人たちがいるということを知った
その人たちの中には安冨氏のように関西では普通と受け取る人もいるだろう
松本人志氏もそのような発言をしている
また前半の部分はひどいが後半を読めば見方が変わったという人もいる
市長の政策はいいのでやめるのはもったいないという見方もある
私は積極的に検索しないので入ってくる情報は限られているから
今のところこのように理解している
受け取り方は人さまざまだなと思う

尊敬しているのに考えが違うのが面白い
あの発言は関西なら普通と思ったならその人にとってはそうなのだろう
日常会話と思うのも
そして後半の発言を持ってくる
こんな思いだから怒って当たり前でしょ
そういう流れになります
安冨氏がそう思うならそれでいいでしょう
私はそう思わない
この相違はなんでしょうね
どこから来るのでしょうね
考えが違うのは当たり前だとして
私は安冨氏とのその相違について考えています
なぜかと言えば私は安冨氏を尊敬しているからです
尊敬しているのにいろいろと考えが違ってるいろことに気付いて来ます
普通尊敬すると言えばその考え方や生き方に共感し感動し
考えを同じくするもの
安冨氏のTwitterはほとんどチェックしないがこの件があって
見ることになったがRTやツイートに同じ思いもたくさんあった
それが今度のような「暴言」「パワハラ」と呼ばれる問題になると
考え方に違いが出てくる
ビ・ハイアパワハラ問題に関しても全く考え方は違っている
こんな言い方をすると不謹慎かもしれないが
その相違が面白い
なぜ違うのか
何に起因しているのか
私にすれば謎なのだ
それは私にそのことを判断する力がないからなんだが
人から見ればなんでそんなことを考えてるんだ迷っているのだ
それくらいの問題なのかもしれない
そもそもそんなことに問題意識を持つことがおかしいよ
そう思われているような気がする
私にすれば謎だからそれを解く面白さを感じているのかもしれない
一つ言えることは私はネットで安富氏のような言葉は使えないし使わない
その違いもなぜなんだろう
まだ私にはそれを説明できないので面白い
性格が違う
人間性が違う
頭が違う学歴が違う
社会的地位が違う
収入が違う
違うところだらけだ
そもそもなぜ安冨氏を意識するのだろう
安冨氏は私の存在すら知らないだろうに
それも面白い
謎だから知りたいと思う
こうやって書いていることも
知るための作業
書きながら考えている
最初の思惑と違って
書く内容が違ってきている
それでいい
流れに任せて書く
書きながら考える
市長の「暴言」に戻れば
確かに関西ではけっこう口が悪いことも言うだろうが
吉本の新喜劇の舞台で使われるギャグとは違う

書くのはやめようと思ったが
吉本新喜劇の動画を観ていた
ギャグとは違うって書いたから
その確認のためにね一応動画観たら
面白くなって次々に再生される動画観て笑ってた
田舎は九州なんだけど吉本は観てたし
関西に住んで50年ほどだからドップリ吉本の笑いに染まっている
そんな私ですら当時の明石市市長の発言は言ってはいけない言葉だと思った
パワハラそのものだと思った
安富氏はその発言を擁護している
そこで思い至った
安富氏を私が尊敬する理由の一つが市長選挙に立候補されたこと
その選挙活動がユニークだったこと
選挙は自由でいいと思わせてくれたから
その選挙は負けたけどもし勝っていたら市長になっている
市長として市政にあたるとなればその姿勢が問われる
パワハラ暴言を擁護する姿勢
ビ・ハイアパワハラ問題でも原告の主張には耳を貸さない態度
それどころか原告を揶揄するツイートをしていた
選挙を市民に拓かれた自由なものにするその行為には
意義があったと今でも思う
ゆえに尊敬してきたが市長として実務を行うことは
また別の資質が要求される
市政には責任が伴うし行政の長としての指導力組織の管理力が求められる
市長は組織のトップであり権力者になる
一つ間違えば権力者の罠に陥る
自分が一番偉いという驕り
それがパワハラへの道へとつながる
組織の長たるものに求められるものは指導力であるが
それは強引さではない
まして暴力的であってはならない
市民や部下の意見を謙虚に聞く耳を持ち
良い意見は政策に反映していく柔軟性
部下を信頼し集団的知恵を引き出しまとめていく管理能力
外部や部下からの意見も十分に聞く姿勢は
独善性に陥りやすい長たる立場にとってその歯止めともなる

安冨氏のこれまでの態度姿勢を考えてみる
安富氏との考え方や態度に違和感を覚えたのはビ・ハイアパワハラ問題
元社員によるいわゆるパワハラ訴訟の原告記者会見の報道を知ってから
面白いことに一月万冊にゲストとしてかかわった著名なお三方が
同じ考えと同じ態度をしましたこと
安冨歩氏と烏賀陽弘道氏と本間龍氏のお三方
報道記事に対しての批判から始まる
そして報道は自分たちっが知っていることと違うので信じがたいとし
ネット人からの批判には匿名に対して卑怯者と反発し受け付けない
それらについての私の考えをnoteに書いてきた

ある民事訴訟に関する私のツイート1
公開中
2018/10/28 13:20
Twitterの「匿名」について思うこと2
公開中
2018/11/01 22:46
Twitterの「匿名」について思うこと1
公開中
2018/11/01 13:19
ある民事訴訟の報道について
公開中
2018/11/03 23:24
「ビ・ハイア問題」と「一月万冊」と~5
(本間龍氏について)
公開中
2018/11/14 02:31
「ビ・ハイア問題」と「一月万冊」と~4
(烏賀陽弘道氏について)
公開中
2018/11/11 02:03
「ビ・ハイア問題」と「一月万冊」と~3
(烏賀陽弘道氏について)
公開中
2018/11/09 22:48
「ビ・ハイア問題」と「一月万冊」と~2
(烏賀陽弘道氏について)
公開中
2018/11/08 04:42
「ビ・ハイア問題」と「一月万冊」と
(安冨歩氏について)
公開中
2018/11/06 20:42
「ビ・ハイア パワハラ問題」での匿名ユーザーに対しての清水有高氏ご友人達の対応ツイート
公開中
2018/12/07 00:23
烏賀陽氏の民事裁判ついてのツイートを考える
公開中
2018/12/10 01:28
私のあるツイート「あるT大教授に こだわっているというのは 劣等感なるものの 仕業かな」
公開中
2018/12/14 13:45
安冨歩氏の10月17日のビ・ハイア問題に関連するツイートを読み考える~3公開中
2019/02/02 16:27
安冨歩氏の10月17日のビ・ハイア問題に関連するツイートを読み考える~2
公開中
2018/12/31 02:06
安冨歩氏の10月17日のビ・ハイア問題に関連するツイートを読み考える~1
公開中
2018/12/27 17:29

記事へのリンクはしていませんが
興味を持たれた方はお読みいただければと思います

これらの記事で書いてたのは尊敬していた安富氏と私の考えとの違和感
そのことを考え書いてきたつもり
安富氏の考えと私の考えとどちらが正しいか
その違いはどうして生じるのか
分からないから考え続けてきた
ビ・ハイアパワハラ問題では身近にいて知っている女性が自死した
そこに至る経過を記者会見で原告らは詳細に語った。
私は衝撃的な事実ばかりだったが
一月万冊のゲストの人々は清水氏に近いこともあって
清水氏の話を信じ原告の主張に耳を貸す姿勢すら見せない
烏賀陽氏はジャーナリストでありながら問題意識すら持っていない
本間龍氏に至っては清水氏の友人だから彼の言うことを信じると言っている
パワハラの実態を見ようともしない
安富氏はツイートで原告を揶揄してパワハラなどあったのという態度
それでも私は安富氏に対する尊敬を持ち続けようとしている
尊敬し続けられるように安富氏に提言していくつもりだ
そう自分の立場目的を確認していた

そこにもう一つ尊敬する理由の女性装についても

過去のインタビュー記事を読んで私が想像していたことと
かなり違うことを知った
安富氏の女性装の選択こだわりに私は
並々ならぬ自己葛藤格闘の結果の選択だと想像していた
まったくそうではなかった
むしろ成り行きだった
元々体型的な問題で男物に違和感があった
パートナーから女物を着用するように勧められた
するとフィット感も合うし何より心地よかったという
しかし女性装をすると外部の冷たい視線に晒される
白い目で見られる
それとたたかわなければならない
女性装を正当化するために理論武装しなければならない
彼にはそれは簡単なことだった
理解できない相手が悪い
中傷攻撃には耳を貸さない
むしろ外部に対して攻撃的になることで自分を守った
高学歴東大教授という社会的地位も
自己武装のよりどころとなったのだろう
それがいわゆるネット市民への蔑視軽視にという形になっていく

ビ・ハイア問題を考え行き着いたところは

何が違うかと言えば人間性の問題と思うようになった
学歴もなく社会的地位もない普通の平凡な私は
生きているだけで価値があると思っている
人は平等困ったときはお互い様おかげ様
支え合って生きていくしかない
人に対しては謙虚であれと思う
社会で大切なものは真実だと思う
学問をする人にとっても何より大切なののは
真理真実を追求することだと思う
知的好奇心問題意識探究心を発揮極めていく場と人が
大学であり教授であり研究者であると思う
知識のプロ専門家の仕事とは何か
研究の成果集積された知識を社会そして庶民に還元することもその一つ
研究者は真理を前に謙虚でなければならないはずだ
そうであってこそ尊敬されるに値する存在となる
人の思惑誘惑欲望は限りない
残念ながらこれまでの経過で知りえたことから判断すれば
私とは相性も良くないし人間的に尊敬できるとは言い難くなってきた
尊敬する理由に挙げていた3つのうち
女性装の認識も違っていた
市長のパワハラ問題では擁護する方
もう一つマイケル・ジャクソンの思想に傾倒している点が
尊敬する理由として残っている
それがまだ救いになっている
これとて彼の真意を私は理解しているわけではない
マイケル・ジャクソンのことも知っていることはわずか
そのわずかなことで私はマイケル・ジャクソンを
信じていると主張している
それは何か
彼が『We Are The World」の作詞作曲制作に
かかわっていたというだけの事実

終わりに
いくつかの問題で安富氏への尊敬が薄らいでいるとはいえ
私の姿勢はやはり変わらない
尊敬し続けられるように氏の問題点を指摘し続ける
私は両親から無言の教えを受けたと思っている
それは信じ切ること
両親は子供のころから
そして家出した私に何も言わなかった
何も言わず見守っていてくれた
私を信じ切っていた
私もそうしたい
問題を指摘しつつ
信じ切ること
尊敬し続けること

書くのをよそうと思った
もう面倒だと思った
何を書くかまとまらなくなった
つたない文になった
これまでの文もそうだけど
こんなものしか書けないと
開き直るしかない
それだけの人間だから
それだけのものしか書けない
だからこれでいい

読んでいただいたことに
感謝いたします
ありがとう

(校正無し誤字脱字御免)

藤川一郎
京都市北区紫竹北大門町37 葵荘17号
075-493-4676


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