『里恋詩くて・・・熊野・高野』紀伊を愛した怒涛詩人さとちゃんを忘れない【177】2007/12/14 ~12/17

さとちゃんがYahoo!ブログに書き残した詩や文章
そしてさとちゃんの
紀伊の山里の暮らしを愛する心を記憶するために
ブログ『里恋詩くて・・・熊野・高野』の全記事(2935)に
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「あなたの観想詩を詩います」11・もうちょっと

2007/12/17 2008里恋詩
コメント
一郎
・・・もうちょっと

もしかしたら死ぬかもしれないという病気を乗り越えて
生きていることのありがたさを
里巡りということで確認していった日々
里の暮らしのこと歴史のこと
自然のこと農のこと
語り続けてきたんだね
だからもうちょっともうちょっと
と願うんだね
やりたいことがいっぱいあったんだね
命の灯の消えるのを感じてたんだろうね
だからこそもうちょっとなのだろうね
病気した者でないと分からないかもしれないね
私も病気持ちだけどすぐにどうなるものではない病気だから
もうちょっとと思わない
もうちょっとと願った君は
やはり先に行ってしまった
早すぎるとは言わない
よく持ったねと言いたい
もうとっくになくなっていたのかもしれないそのいのち
よく持ったねと言いたい
よく頑張ったねと
お疲れ様
ゆっくりしているかな
きっとそこでもコピー機いじてるかな
ブログにからすとんぼの冊子
よくがんばったね
お疲れ様
2020/02/08

里恋詩くて12/16・つるし柿と乳母車

2007/12/16 里恋日記
一郎
・・・「その気」

その気になれば
自分は出来る
自分はやれる
そう思っていたが
その気にいつまでもならなかった
ということは
その気になってもやれないと分かってるから
その気にならなかったんだと思うよ
その気になれば
都合のいい自分へのいい訳
だからもう考えない
その気になる時を待つこともない
その気にはならないのだから
ことさらその気にならなくても
日々やりたいことをすればいい
そのから何かやりたいことも見えてくる
そのことさら探さなくてもいい
なるようになるのだから
なるようにしかならないのだから
生きてさえいればそれでいい
日々楽しめればそれでいい
2020/02/08

今週の観想詩・12/17(月)~12/23(日)

2007/12/16 観想詩1
コメント
一郎
  穏やかにお過ごしあれ。慌てることなかれ。

今の心境は
さとちゃんが書いたこの通りでありたいと思う
穏やかに過ごしている
若干の問題はあるが
これまで通りの生活ではやっていけないことを
痛感している
一人になるということはこういうこともあると
分かったからにはそれに合わせてやるしかない
出来るだろうしなければ
それさえクリアできればあとは問題ない
慌てず騒がず穏やかに毎日暮らしている
TVはストレスになるので押し入れゆき
静かなものd
やっとMuragonの作業も落ち着いて
ここに来る時間が出来た
コメントも5件は確実にできる
出来れば10件一日分書きたいが
集中するにはもう少し時間がかかるかも
以前はどうしてたか忘れてしまった
覚えているのはコメントだけで8千字書いたこと
おそらくもう書けないだろう数字だ
そんな時期もあった
いろんなことがあって今がある
これからもいろんなことがあるだろうが
なるようになる
あわてず騒がす急がず穏やかに過ごしていく
その結果が人生の卒業
この先自分がどうなるか楽しみにしておこう
2020/02/08

「あなたの観想詩を詩います」10・君は学ぶ道

2007/12/15 2008里恋詩
コメント
一郎
  オレより早く
  死ぬなという

同じ年の生まれ
君は1月
私は12月
同じ年の生まれといっても
およそ一年の差はあるのか
同じ年の生まれというだけで親近感を持つ
それだけに
君が死んだことを聞いてショックだった
君の死は自分の死と同じだから
同じ年の生まれだから
私が死んだも同然
もうそれから9年は経ったことになる
72になった
男70代は死に時
私はそう名付けた
いつ死んでもおかしくない
今日かもしれないし
明日かもしれない
いよいよ人生を卒業できると思えば
嬉しいよ 楽しいよ
若い時から様々 悩み続けたことが
すべて消えてなくなる
今の今を楽しむだけがすべての毎日
こんな日が待っているとは
君は先に行ってしまった
人生を卒業してしまった
おめでとう
このブログを残してくれた
君の足取りがここにある
それをたどっている
こんなことしなくてもいいのに
なぜかそうすることを選んでしまった
同じ由の生まれだから
ただそれだけなのに
君は私だから
君が私を意識したかどうかは知らない
それはどうでもいい
私にとって君の存在は無視できないものになっていた
君がいなくなってそう思った
いる間は何も思わなかった
居なくなったからこうして話にこれる
おかしなものだね
私がこれからどうなるか
見ててほしいよ
いい年してよくやるなあって
ここにこれないほどがんばってるよ
それじゃまた会う日まで

2020/02/08

「あなたの観想詩を詩います」9・一歩又一歩

2007/12/15 2008里恋詩
一郎
   調べるんだね

調べてないなあ
散歩のときにスマホで気になるものを撮っている
小さければ小さいほどいい
スマホでピントを何とか合わせて撮っている
うまくいったときはキターと感動する
それが何の花化はもう調べる元気がない
調べえばまた感動も確かに違うんだろうけど
名は知らなくても小さいものをうまく撮れたら
それで満足している
あえて調べない
知らないままでいい
そういうことにしている
でないとその日の作業が進まない
知らない花などに出会うと
以前は気になる性格で
ネット検索して調べたものだ
そんな昔があってい曲がる
知らなくてもいいという自分がいる
出会った時の その瞬間の感動だけで
十分だと
自分って割と完璧主義だったと思う
それが自分を苦しめることがあった
もうどうでもいい
そう開き直れたのは やはり年のせいかもしれない
年を取ることはそれまでのこだわりから解放してくれる
先がないからどうでもいいと
ある意味それは気楽自由になれる
年を取るのもいいものだと思わせてくれる
年を取ったらどうなるか
若い時は思ったものだ
若い時の悩み 主に性的な問題はどうなるか
70過ぎて 若い時の悩みこだわりが
どうでもよくなる 
悩みと言えば生活ができるか度かぐらいなもの
他の問題はもう何でもなくなる
日々愉しむだけ
知らないことは知ろうと思えば別だが
知らないままでいい
すべて心のおもむくままに
わが心に従えばいい
2020/02/08

「あなたの観想詩を詩います」8・燦々と

2007/12/15 2008里恋詩
一郎
   黙々と

毎日写経~しゃぁきょうももくもくと
というブログやってる
Muragonブログの一つなんだけど
タイトル通りに毎日写経している
写経だからお寺をイメージして
木魚でポクポクという感じで
モクモクというのと黙々ととかけてるんですけど
分かってもらえてるかどうか
どいうでもいいことだけど
毎日続けることを目標に
早朝目が覚めたらその作業をしている
何とか続いている
一つの目標のハガキに書けるほどになることは
どうにかできたのであとは続けるのみ
思えば高校生の時の選択科目が書道
そん時の写経の課題が
毎回書き上げることが出来なかった
集中できなかったからだろうね
書く意味も感じてなかったから
30分で今は書けるようになった
そのことだけは成長したのが目に見えて分かる
他は何も成長してないけどね
写経千回を何度もやったという人もあるから
これも上には上があるということ
同時に法華経の写経もしている
この先どうなるか楽しみ
2020/02/07

「あなたの観想詩を詩います」7・こころ優しく

2007/12/15 2008里恋詩
コメント
一郎
   凛として

このところ毎日
宝塚の娘役男役のスターを
YouTube動画で観ている
今も観ている
その男役の仕草 ダンス
色々観て感じるのが
凛としているということ
その姿が宝塚の魅力なんだと思う
男性であって男性出ない
女性が演じるからこその
男性の魅力
それはやはり賛成のものではない
女性が見せる凛とした存在感
宝塚のことはもう何十年も忘れていた
それどころじゃなかった
すっかり一人になって
すべて自分の時間になって
最近思い出した
宝塚が好きだったこと
宝塚というより
レビューがすきだったと
今ではYouTube動画で観ることが出来る
この際楽しもうと思った
いろんなテーマが次々見つかる
今は男役スターを追っている
それが毎日の楽しみでもある
2020/02/07

さと川柳2007-12-03

2007/12/15 2007さと川柳
コメント
一郎
★一人より二人みんなで食べたいね

すっかりと
一人に慣れて
茶漬け食う

★糸口は案外近くにあるらしい

気になれば
思う通りに
するがいい

★ねむれてるそれはなにより安堵する

早く寝て
早く目が覚め
写経する

★雨降って 固まるどころか 流れ去る

世のなかは
思い通りに
ならぬもの

★年の瀬の音色(ねいろ)ころころならいいね

春の音
考えたけど
鳴りゃしない
2020/02/07

里恋詩くて12/15・南天の赤い実

2007/12/15 里恋日記
一郎
・・・ひとの
・・・こころの有り様も
・・・変化する

今日もさとちゃんちにこれた
これが長いことで気まかった
Muragonの主に画像編集に時間かかってた感じ
スマホで気になるものを撮っているけど
それがやっと落ち着いてきたかなという状態
早く作業が終わるので
note編集も最近順調
その中心が以前はこのさとちゃんちのコメントだった
コメントだけで8千字になったことがあった
普通に書いて5千字ほど
後日記を2~3本書けば
普通に1万字日記が書けるという目安がt立っていた
それがMuragonブログを初めてできなくなった
Muragonブログの方に関心が移っていった
もちろんさとちゃんちを根拠に
1万字日記は書こうという目標は変わらないけど
12月1月とMuragonに集中した
それはそれでよかった
これまでにない事に興味湧いたし
ブログでの出飽きもあった
なにより自分自身が少しばかり積極的になった
人とかかわるようになった
無駄なことはなにもない
経験はいいも悪いも
自分の身になること
変わることはいいこと
変わらなければならない
変わらなくてもいい
無理して変わらなくてもいいということ
なるようになるのだから
先のことはだれにもわからない
先のことを案じ考えることはない
なるようになるのだから
それよりも今したいことをする
それだけでいい
何かしなければというのではなく
したいことやりたいことをすればいい
気の赴くままに あるがままになすがままに
すべてはなるに任せる
なるようになる
毎日を楽しめばいい
涙することがあっても
泣いている自分を笑い楽しむ
悲劇は喜劇 喜劇は喜劇
人生すべて喜劇
愉しむことだ
愉しむために生きている

2020/02/07

「あなたの観想詩を詩います」6・乳母車の母

2007/12/14 2008里恋詩
一郎
・・・乳母車の
・・・母さん

私の場合は
乳母車の姉さんとしなくちゃね
ねえさんもいつのころからか
乳母車というのかな
腰が曲がった姉さんの
歩行の補助になった手押し車
乳飲み子は乗せないので
乳母車とは違うなあ
なんと亘男は呼んでたかな
カタカタかな
コトコトかな
それを押して診療所に行ってた
バスが通る大通りを越えていかなくちゃいけない
心配だったがだったが
できるだけ自分で歩けるところは歩いた方がいい
そう思っていた
そのうち歩くのも大変になった
往診してもらうことになった
調理中に腰掛から落ちて動けなくなった
即入院 5か月ご退院
家でのベッド生活が始まった
入院中のリハビリの時はそう感じなかったが
部屋での歩行リハビリ
ベッドの手すりをもって伝い歩く
その姿は腰が伸びていた
90度以上に曲がっていた腰が
のびてまっすぐになっていた
不思議だよね
それを痛いとも何も言わない
こんなことってあるんだなあと思った
入院して歩けなくなったが
腰が伸びたことは良かったのでは
最初の頃の伝い歩きのリハビリ
これで歩けるのではないかと思わせた
しかしその後 右足首の屈曲が始まり
足の裏が地につかなくなった
となると立つことは何とか出来ても歩けなくなった
同じく使わなき左足はどうでもなくて
手術した右足が悪くなる
退院して丸5年
姉さっはとうとう逝ってしまった
よく頑張った姉さんだった
弱音も文句も愚痴も何も言わなかった
うちに来る人みんなを楽しませてくれた
みんなから好かれた姉さんだった
乳母車
その言葉から姉さんのことを思い出した
これからも事あるごとに
姉さんのことを思い出すだろう
2020/02/07

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里恋詩くて・・・熊野・高野
管理人 無名居士

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