高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して【499】

妄想家・夢想家無名居士の
夢物語の記録です
無名作家 高山のエッセイ
「ガーターベルトの女」の
映画化芝居化 
その他いろいろ作品化できれば
なんて途方もない夢を観ています

📖 高山のエッセイ〜「父と靴磨きの思い出」

父の事や家族の事は非常に書きにくいけど、少し印象的でしたしやはり父の事を書いておかないと思います。

現在も入院してて、行くと話すけどテレビを観るわけでもないし、好きだったラジオも聴きません。

いつまで生きるか調べたら、あちこち悪い部分が出てて決して治って行くような物では無くて、徐々に衰えて行くのでしょう。

十一月には家に戻って、家からデイケアとかで看病するしかないと思います。

病院は長くは居られないし、そういう病気を持った人を入れる施設にはとても金銭的に難しいです。

父は七十代半ばですから当たり前と言えば当たり前ですが、一つ非常に思うのはこの国は老人大国になろうとしてるのにその政策をしてるか?

です。

一生懸命働いて年金も納めて来て、最後は病院は数ヶ月ですよ。

軍備の増強や要らない政治家を減らせ、と思いますね。

極端に言えば、貧乏人は歳を取ったら死ねですよ。

介護に疲れてって事件が非常に多いし、老人の孤独死も多いです。

父の事で出来るだけの事はします。

何故かは、兄がキチガイですから母と、まともに結婚した妹がいますからね。

まあ、その辺りのことは余り書くと嫌になるし、自分自身絶望的にもなるから書きません。

母は、このところ父の物をどんどん整理してます。

帰った時の為です。

父の物はもうほとんど無いかと思ってたら、母がきちんと置いてたの意外に多くて驚いてます。

セーターとか靴とかです。

セーターなんかは当時は高かっただろうなですが、明らかに時代遅れになってます。

そういう中に革靴が有りました。

母は、もしかしたら僕のかと聞いたので、見たけど違うから父のだと答えたら棄てる準備してるようです。

見ると本皮でそれほどすり減って無いから、会社倒産後に違う会社の役員してた時に母が買ったのでしょう。

父は服とかに全く無頓着でして、母がほとんど買い与えてましたからね。

サイズがワンサイズ小さいので、僕では履けないなです。

それを見て思い出したんですよね。

僕が福岡に就職した時に、出張が有るとなるべく会おうとしてました。

大体関東に行くから小倉で乗り換える方が楽ですが、福岡まで来てましたね。

駅であって肉とか食べさせて貰って、それで別れるって感じでした。

福岡には、わりに頻繁に来てましたね。

その後の京都も一二度来てるけど、覚えてるが京都には烏丸ってありますよね。

からすまですが、それを電話口で今とりまるって所に居る、と言ってたのを思い出しました。

この話しは京都の頃でなくて、福岡に居た頃です。

大体駅で会って、地下のレストラン街でステーキを食べるってパターンでした。

当時はまだ、十九才とかですから肉が食べたいんですよね。

兄もそうだったようですが、兄はそれを肉とか食べたくなかったのにと言いますよ。

僕は、食べて簡単に近況話して別れてました。

小遣いを貰ったとかないですね。

しかし、ある時何かの用事で福岡に泊まるらしくて、ホテルを取ってて歩いてました。

そしたらまだ、福岡の裏側の方には靴磨きの人が居たんですよ。

三十年近く前ですが、福岡の発展ぶりは凄まじいですよ。

僕は、年に一度は仕方なく行くけど、え!?ってくらい変わってます。

それが広島とかだと、それほどないですからね。

九州で最も発展してるし、変わってきてます。

しかし、当時は駅の構内で煙草吸いながら歩いても良かったし、大分の田舎者から見たら都会でしたが、何処かまだ牧歌でしたね。

それで駅の裏から出ると靴磨きですが、たまに見かけたんですよね。

僕が、父に靴磨きってどんな感じなの?って聞いたんですよ。

そしたら珍しく父が、そこにいる人にやって貰うの見るかと言いました。

そういう目立つ事の嫌いな人でしたし、茶目っ気の全くない人でしたからね。

そして、白髪の老人の靴磨きの人にすいませんと頼んで、台に靴を乗せて磨いて貰いました。

特に威張った感じでは無くて、息子に出世した自分自身を見せたかったのかなと今では思います。

父は、途中で父の母が亡くなって、僕にとってのおじいさんから散々お金を無心されてて、結婚する時には作業着とバック一つと下駄だけ持ってたと母が言います。

僕にとってのおじいさんは、かつてはトンネルでならしてその地区で一番最初にテレビを入れた人らしいけど、妻を失ってからは相当長男の父に頼ったようです。

だから父はそうはなるまいと、若い頃とにかく働いて頭角を表したんですね。

そして、三十代の後半で会社を興してます。

僕が福岡で会ってた頃は、これからどんどん登るぞって時でしたね。

時代も、八十年代バブルが始まろうとしてましたからね。

靴磨きが終わるときちんとお金を払って、何処か照れ臭そうにしてましたね。

僕も、靴磨きってこうなんだと興味津々で見てましたね。

ホテルまで送ると、財布から一万円抜いてくれました。

珍しい事で驚いてるとお母さんに、靴磨きの話しするなよと言われました。

言うとばつが悪いんでしょうね。

そのための口止め料でしたね。

僕は珍しいなと思いながら、分かったと言って貰いました。

そして別れようとすると、お前もいつかああいう風に靴を磨いて貰うようになれと言いました。

そのあとで、だけど人前で威張ったりするなよ、を付け加えたのが父らしいです。

父は、あれだけ嫌がってた自分自身の父親に、歳を取ってから非常に似るようになります。

母に隠れて、自分自身の借金を僕に頼めないかとかです。

しかし、父は自分自身の贅沢は歳をとって一切捨てましたね。

唯一の楽しみが、月に一二度行く一円パチンコでした。

それと甥っ子でしたね。

こないだ何かの宿題で、甥っ子が祖父母の事を書けと言われたらしくて、短かったからか父の病気の事と母の料理の事を書いたらしいです。

甥っ子の父親側のことは何も書かなかったらしくてまあ、そりゃ一番可愛がって来たんだから仕方ないなです。

それを、父に話すと泣いてね。

行くと。またその話し聞きたがるんですよね。

そして、また話すと泣くんですよね。

つい最近行った時もまたその話しですが、ついでに靴磨きの事を聞いたんですよ。

思い出したからね。そしたら覚えてましたね。

その代わり、随分僕の記憶と違うのが泊まるとかで無くて、駅裏に何かを食べに行ったんだと言うんですが、駅裏に父と行った記憶がないんですよ。

どちらが正しいかは分かりませんが、多分僕でしょうね。

父が小遣いくれてって話しは覚えて無くて、靴磨きはあれが俺も一回切りだったと言ってたのが何故か印象的でした。

ボケてるような時も有れば、きちんと話せる時も有ります。

僕も父のようにはなるまいと思いながらも、確実に兄弟で父の血を強く受け継いでる事も自覚してます。

当時はあれだけ仔細に見た靴磨きの光景も、どうやって磨いたか等思い出せないです。

どんどん歳は取っていくけど、父が靴磨きはあれが行った切りだったが、何かしら心に刺さりますね。

 

息子の前だから、珍しく敢えてやって見せたパフォーマンスなんでしょうね。

残念ながら僕は結婚もしてないし子供も居ないから、父親の気持ちって本当は分かりませんが、男の気持ちなら何となく分かるような気がしますね。

それと母も必死ですが、母は父の生き方を全面否定します。

兄は問題外ですが、意外にも父に近い妹も最近では否定的です。

僕は、父の生き方を全面否定出来ないんですよね。

父の生き方は、ある意味成り上がる為には非常にグレーゾーンな部分の多い人でした。

父を称して、母方の父は政治家と言いました。

母方の父は、やはりトンネル掘りでしたが職人でしたね。

そういう政治家的な父を支えた人でしたが、

生き方は白黒はっきりしないと嫌だと言うタイプでした。

僕は、グレーな部分が当然ないと会社なんて出来ないと思ってますからね。

何でも仕事してて、白黒って難しいですよ。

線引きはしますしM責任に感じでは僕はきちんとします。

僕が父になれなかった、或いはなりたくなかったかは難しいけど、グレーゾーンを余り作れなかったかもと思います。

何度か会社を興す話しに誘われながら、グレーゾーンに踏み込めなかったのかなと今では思います。

父を憎む部分も有りながら庇うのは、僕しかいないだろうって部分も有りますね。

だからこうしたちょっとした事でも、書き留めておこうと思うんでしょうね。

とりとめなくなってすいません。

おわり


📖管理人・無名居士の 童話『花物語』〜結婚って

花の行商をしていたおかあさんから
お花の話を聞いて育った少女は
大きくなって念願のお花屋さんを開きました
少女のもう一つの夢は
子どもにお花のお話をすることでした
おかあさんがしてくれたように・・・

お花のアレンジメントで
顔を合わせたお花さんたちが
なにやらお話をはじめたようです
どうやら話題は
結婚についてのようですよ

私たちどこへ行くか知ってる
きっと結婚披露宴じゃないかしら
どこでもいいけど長くなるのはいやだわ
窮屈だし姿勢よくいい顔してなくちゃだめだし
ほんと疲れるわよね

私たちも疲れるけど
一番疲れるのは新郎新婦ね
準備も大変だし
いざ本番も緊張の連続
お金もかかるしよくやるよね

結婚生活のスタートになる儀式だから
思い出に残るようにと思うのね
両親の結婚式の写真がないからって
子どもたちが結婚式を準備した話があったよ
結婚式しなかったけどその人たちはしあわせだね

豪勢な結婚式を挙げても
離婚する人もあるし
離婚する人が増えているそうだね
それはそれでいいのじゃない
いやなのに結婚生活を続けるよりも

結婚って私は打算だと思うわ
男も女もお互いが相手を値踏みして
ちょうどいいところで手を打つのが結婚
手を打ったら次は愛という言葉の出番
愛していると思い込むの

結婚する人のみんなが打算だとは思わないわ
相手を幸せにしたいと
心から思っている人もいるはずよ
相手を思いやる心と信じる心で結ばれてほしい
それが愛だと思う

今の時代はいろんな生き方の選択があるのね
結婚しない生き方だってある
男同士や女同志の愛
性転換した人たちの愛
お互いをいたわりこころから尊重し合うのが愛なのね

まぐまぐ!「花を歌うかな」'08/10/24 No.1246 から転載

📖 高山の作品から〜「Yとの嬉しい再会〜 13」

Yのシリーズもう少し続けてます。
エピソードが有るんですね。
それも、自分自身では覚えてなかったり、或いは知らなかったりってエピソードが出てきてます。

Yのシリーズの3で、工場長をYの代わりに殴ったEですが、今では三十代半ばです。
非常に腕の良い坑夫になってます。
定期的に電話してて、Yも居るしHもいるぞと言うと、他の所の仕事の区切りが付くのでそれなら鳥取のメンバーなら行こうかな、と言って来ました。
丁度区切りも良いし、その上YもHも居るってので来たんですね。
残ってて次の現場も繋がったらしいけど、一番初心の、鳥取のメンバーが居ると言うのが魅力だったようです。
元々、僕と同じ所の出身です。

Eの居た他の所の所長僕とは仲良くて、Eを貰うけど良いかなと一応電話すると、元々高山さんがEを育てたような物だし良いですよと返事が来ました。

Eと初めて会ったのも鳥取でした。僕達より少し遅れて親父さんと来ましたね。
一キロ五百以上有るトンネルでしたから、人間の入れ替わりも相当有りましたね。
 
最初から最後までって数人だと思います。
僕も掘削とある程度の雑工終わったらおじさんと離れましたから、貫通式に出てないです。
おじさんは確か行ったり来たりしてたと思います。
一応工事長に任せてたけど、任せ切れなかったのでは無いかとか今では思います。

Eは、来た頃はトンネルは初めてどころか、働くのが初めてのまだ十八才でした。
しかし、物怖じせずに言われた事を必死にやってました。
何をきっかけで、そうなったのか良く覚えてないんですが、隣の部屋がEと親父さんとの部屋で、親父さんに呼ばれてて高山君、出来るだけ息子を鍛えてやってくれないかってなりましたね。

部屋に行くと、酒を飲みながら色々話しましたね。
部屋はいかにも親子の部屋って感じと、親父が大酒飲みってのが分かりました。 
あちこちに、酒のツマミが置いてるですよね。
それと、綺麗にしてなかったですね。
その頃僕は雑工してて、Eに色々教えてたんですね。
昼休みに、時間が有れば機械に一緒に乗ったり、細かい事を色々教えてました。
それを、Eが親父さんに言ったのかも知れないし、親父さんも僕の事は噂で知ってました。

僕の父の会社には来たこと無かったけど、僕の噂は知ってたらしいです。
同郷のよしみみたいなのもあったから、僕に鍛えてくれと言ったのかも知れないです。
もうその辺りは覚えてないですね。
しかし、僕が掘削班に入ってそれから掘削班の班長になると、Eになるべく掘削の手伝いもさせました。

Yを使えば楽なんですが、Eに教えてやりたかったんでしょうね。
しょっちゅう僕から、E!!こら!そりゃ違うとか、直ぐに走ってこいとか言われてましたよ。
Eは、それを必死にこなしてましたね。
何かの時に、Eに飯は食べて来るのは良いけど十五分で戻れ、と言ったことが有ります。
そしたら、軽トラで急いで出ると本当に十五分で戻りましたよ。
僕は笑って、本気にしなくて良いと言いましたが、根性を試したのだと思います。
怒るのも良く怒ってましたが、プライベートに持ち込まないって感じで、きちんと怒ったらあとを引きずらないって感じでしたね。

とにかく何か有ればEを呼んで、機械に乗せたり雑用させたりでした。
三十代の僕には当時のEは小僧でしたが、時には高山さんあれはこうした方が良いのでは、と言ってきました。
それを聞いて、あー!俺が若い頃も坑夫に、疑問が有ればどんどん言ってたなあと思いましたね。

だからそれはやっても無駄って時も、時間が有れば実践して見せました。
時間がない時は、地面に書きながらお前の言うのは分かるけど、こういう理由で無駄だよと答えてましたね。
しかし、生意気とか全く思わなくて、これは良い坑夫になるなと思ってました。
疑問が有れば、たとえ歳上でもどんどん来る度胸とか、機械の覚える早さとか運動神経ですね。

そして、何よりコツコツ働く事です。
動きが悪いのに色々聞いてくるだけなら、相手にしませんね。それと、聞いてくるのに対して、昔は生意気と思われましたが、僕はそう思いません。
Eの親父さんは良い坑夫でしたが、凄い量の酒を毎日飲んでました。
僕はそのうち駄目になるかもなあと思ってたら、やはり五十代を少し過ぎて酒で崩れたらしいです。

Eは、二十代は親父さんとあちこち回ってました。
一度応援に行った所にEが居て、もう立派な坑夫になってたのに驚きましたね。
Eは、誰が師匠かと聞かれると僕だと言うらしいですが、僕の事を嫌いな人は、あー高山は下手だぞと色々中傷するらしいです。
僕の事を良く知ってる人は、機械の乗り方がそう言えば似てるし、発破の打ち方がそっくりだと言うらしいです。
発破を打つには、火薬を詰めて行く機械に乗るんですが、それぞれのやり方が有るんです。
それを、Eに自分自身の基本の形を教えたのは僕だからでしょうね。

今回来て色々話すと、おじさんとYとHの遠征隊にも一度は行ったと言うから、え!?そうだったかなです。
僕にとって当時のEは、将来有望では有るけどあくまでも小僧でしたから、本当に覚えてないですね。
Eが言うには、高山さんにも勿論世話になったけどHさんには、暇な時に溶接やガスを習ったらしいです。

そして、僕が掘削に入るとYとずっと雑工やってて、非常に世話になったとの事です。
高山さんは理詰めで教えてくれたけど、Yさんは実践と分からない時には、何度も同じ事を繰り返してくれたらしいです。
火薬の試験さえ通れば、この人凄いのになと思ってたらしいですね。
今回来てそう思ってたけど、実際にYを見て驚いてます。
ここまでやるのかと驚いてますね。
自分自身も相当引き締めて行かないと、Yに負けるかもと言ってます。
掘削の年数はEの方が上ですし、才能は同じ位なのでYの急成長には驚きますね。
Yの一種の超能力のようなのをEも信じてたから、来て一日か二日でほとんどアイコンタクトで、トンネル内では話してます。
早いなあですよ。他の連中もアイコンタクト使うけど、やはり身振り手振りします。
アイコンタクトでほとんど話せるのが、新しく来たHと僕と、元々居た掘削班の班長ですね。

それと、聞くと昔雑工してた時には、Yには大きな恩が有ると言います。
一つは、支保工と言う必ず建てる鉄の枠を昼勤、夜勤の為に用意しておくのもそこでは雑工の仕事でした。
積むのは、そこは門型クレーンが有ったから比較的楽でした。
必ずトラックにそれを幾つか何時も積んで置いて、掘削班は持って行くだけで良いようにしておくんです。

しかし、それ用のトラックでEは、何かの用事で支保工積まずに乗って出たんですね。
戻る時には一ヶ所細い道路で滑ってしまいトラックを落としたんですよ。
本人は無事でしたが、トラックは一時的に使えなくなりました。
しかし、最初掘削班はそんな事故があったのを知らないです。

その時の夜勤の班長が、僕だったらしいです。
坑口、つまりトンネルに入ったばかりの場所に支保工が幾つも積まれてて、夜勤に来たばかりの僕はどうしてここに有るんだ、と聞いたらしいです。
雑工で残ってたYが僕に、トラックを自分自身が落としたと言ったんです。
僕は、それを聞いてそれならしばらくここに置くのかと言うと、怪我が無くて良かったなあと言ったらしいです。

僕は、これを全く覚えてないんですよね。
Yが、トラックをEが落とした時にお前が落としたとなると皆怒るだろうから、自分が落とした事にしようと言ったらしいです。
Eには、まだYほどの人望無かったから、そりゃ掘削班は怒ったでしょうね。
Yなら、珍しい事もあるなあで済むんですよね。
それでEをYが庇って、自分自身がやったとしたらしいです。
今回来て話してて、初めて知りましたね。

もう一つは、少し時間が経ってコンクリート班に二人が手伝いに来てた時です。
この時の、コンクリート班の班長も僕です。
コンクリートを打つより先に、吹き付けコンクリートだけした山に防水シートを張って行きます。
その為の台車もレールも敷かれます。
ダンプは、その間ギリギリを通って行くんです。
それと、このシートを張るのは非常に体力が必要で、シートを持つ人とそれを固定するために、釘をどんどん打つ人に分かれます。
どちらも早くやるから、凄くしんどいです。

そして掘削はまだ終わってないから、ダンプが時おり凄い勢いで走り抜けます。
台車は門の形に近くて、その間をダンプが通るんですが、ダンプの風圧が凄い時は揺れますね。
僕が二人を呼んで、シートを張らせてたらしいです。
因みに全く覚えてないけどね。
Eがシートを持つ係りで、Yが釘をどんどん打つ係りでした。
シートをきちんと張るのにたまたま遠くて、Eがシートを押さえる為に脚を使ってたらしいです。
その時の高さは、三メートル以上とかです。

そこにダンプが通ったんですが、僅かにダンプが当たってしまったようです。
本当にたまに、これが有りました。
相手のダンプは急いでるし気付いてないんですが、台車は大きく揺れるんですよ。
その時も大きく揺れたようです。
脚を使ってたEは、揺れたせいで脚が外れて落ちそうになったらしいです。
高さは、三メートル以上有りますからね。

それに気付いたYが、片手でEの襟首掴んで持ち上げて台車に戻したらしいです。
僕は、それを聞いて漫画だなと思ったけど、Yのパワーと運動神経なら出来るなと思いましたね。
YはEに、危なかったねと笑ったらしいです。
落ちてたら、やはり怪我をしてたでしょうね。

僕はそれを聞いて、俺はその時何してたとEに問いました。
Eは、高山さんはその時、お腹の具合が悪いとかで山にウンコしに行ってましたよ、と笑われました。
そこの現場はトイレが直ぐに壊れやすくて、大便をするのに山に入ってたの思い出しましたね。

Yは、僕にはダンプがぶつかったの言うな、と言ったらしいです。
僕の性格からして、ぶつけた奴に絶対文句言うかららしいです。
確かに、前にもぶつかったのに戻ってくる時に引き留めて停まらせて、どこ見て走ってるんだ下手くそ、と言いましたからね。
Yは、要らない揉め事はしたく無かったんでしょうね。

今、三十代半ばになったEは、高山さんは基本的に変わらないけど、随分大人しくなりましたねと言います。
Yさんも基本的に変わらないけど、あの掘削での腕は凄いなあと言いますね。
それと、当時の高山さんは親切だったけど、明らかに自分を子供扱いしてたけど、Yさんは対等に見てくれてたと言います。
 
僕はそれを聞いて、確かにそうだけどお前は俺には文句ばかりだなあ、と笑いました。
その話しの一部を聞いてた若い女性の事務員が、高山さんの悪行が暴かれてますねと笑いましたね。
しかし、十代だった奴が今ではこんなに仕事が出来て、僕に堂々と文句を言うのは笑えますし、時が経ったなあと思います。

Yに、台車からEを持ち上げてたの覚えてるかと聞くと、それは覚えてないけど、当時のコンクリート班の班長の僕は、とにかく忙しいのと色々上手く行かないので怒ってばかり居たのは覚えてる、と笑いました。

それと、当時の僕は何か有れば直ぐにカチンと来て怒ってたなあ、と笑いましたね。
まあ、三十代前半で色々任せられ過ぎてましたからね。
Yは、へらへらしてるように見えて、人の動き性格を当時から良く見てたんでしょうね。

Eが、Yの班に入るかはまだ決めかねてます。
しかし、今のEならどちらの班でもやれるだろうと思いますね。
一時期、彼は扱いが難しいと言われてました。
直ぐに気に入らないと辞めるとか、気が短いとも言われてました。
古い仲間の坑夫は、僕の若い頃に性格まで似てると笑ってましたけどね。
しかし、今は随分それが無くなったようです。

Eと話してもう一つ、明確に思い出した事が有ります。
EとYと僕と、もう一人を入れて総合格闘技大会をやったことです。
当時、総合格闘技が僕はとても好きで、元々ボクシングをしてたEも好きでした。
Yも好きでしたが、ルールがなかなか飲み込めないようで、ビデオ観てたらこれは勝ちなのとか言ってました。
やったのは鳥取じゃなくて、皆であちこち回ってた時のようです。

砂地が有って、たまたま暇をもて余してたので僕が、ここで総合の試合を皆でしようと言い出したようです。
ルールは、金的無し目潰し無し、後は審判次第となりました。
審判はうちのおじさんでした。
確か、おじさんから一万円位の賞金が出てたと思いますね。
それで、オープンフィンガーグローブを僕は着けたと思ってたら、軍手を何枚も重ねてその上から更に革の手袋で、オープンフィンガーグローブにしたらしいです。
後から他の所でもやってるから、記憶が混じってます。

しかし、今考えたら無茶苦茶ですけどね。
Eに今日細かく聞くと、僕の間違いが沢山分かりました。
Hも居たけど、彼はそういうの苦手って言って観客でしたね。
Yともう一人、二十代の体の大きなのが居たから、優勝候補はこの二人でした。
Yは、一メートル七十五を身長は超えてて、体重も八十五キロ位有りました。
ビルドアップされた肉体は凄かったし、実際にパワーも有りました。
もう一人の、二十代の男は仕事はそこそこでしたが、体は大きかったです。
Yより、身長体重が上でしたね。
Eは、ボクシングやってたと言えども、身長は一メートル六十五で、体重は五十キロの半ばでした。
僕も身長はEより少し大きい位で、体重もEより少し大きい位でした。
そりゃ体格の良いのが勝つなと思いながらも、当時から僕は柔術を知ってる四十代の坑夫に教えて貰ってました。
だから何とかなるかも、という感じでした。

一回戦をくじ引きで決めたら、Yと二十代の大柄な男になったんです。
優勝候補のどちらか消える、で喜びましたね。
この試合はYの右のフックがまともに、こめかみに当たって一発しか出して無いのに、秒殺しました。
わー!!あんなの喰らったら堪らないな、で見てました。

僕とEが次にやったんですが、Eのパンチをことごとく避けて、タックルで倒して背を向けた所を、チョークスリーパーで勝ちました。
E位のレベルなら、顔に来るのは見えたんですよ。
剣道してたから、動体視力良かったからですね。
最後は、首を上手く締めたんですね。
この動きは得意の一つでした。

Yと僕の決勝ですが、Yの大振りのパンチは避けましたが、時々ボディに来るのをガードしてるのにも関わらず、ぶっ飛びそうでしたね。
砂の上にリングの形を書いてましたが、なるべく距離を取りましたね。
捕まってはおしまいですからね。

そうしてて隙を見て、上手く片足を取ってもう片方を払って倒して、Eの時とは違って上から首に腕を差し込んで、Yの息を詰まらせて勝ちました。
今は余りプロはやらないけど、前腕チョークって技です。
おじさんは僕が勝つのではと予想してたけど、他の連中はYが負けると思わなかったです。
おじさんは、柔術を習ってるのを知ってたし、こういう時の容赦ない僕を知ってましたからね。

しかし、Yのパンチは強烈で、ガードしてるのに受けたパンチのせいで、しばらく腫れましたね。
そこで、Eが悔しいから僕ともう一度と言いましたが、僕は受けませんでした。
Eは、今度は避けにくいボディ狙ってくる、って分かりますからね。

Yがやると言いました。
この試合が凄かったです。
Yも一応ガードしてるんですが、上手くガードを縫って、Eが顔面にパンチを入れるんですよ。
Yは馬鹿馬鹿しくなったのか、ガードさえしなくなりました。
何発もEのパンチが入って、鼻血は出るし腫れて来てるしですが、YはひたすらEを捕まえようです。
Eのパンチは強烈でしたが、体重差が有るのとYがタフでしたね。
打撃は、特に体重がある方が得ですよ。
五分でやったんですが、最後にYがEを捕まえました。
捕まえると、作業着の襟を掴んで吊り上げて落としました。
上手くEも受け身を取ったけど、直ぐにYに踏みつけられて終わりでした。
腹の所を思い切り踏みつけかけて、少し力を抜いたのが分かりましたね。

Eに今言わせると、高山さんの時もと言うかYさんは、最初のフックがあまりにも強烈に決まったから、その後からは少し手加減してましたよと言いますね。
確かに、ボディにあのパンチを何発も貰ってたら、僕は倒れたでしょうね。
Yは、自分自身のパワーの凄さに自分自身で驚いて、抑えたんでしょうね。

Eと話しててそれが、いかにもYだなと言うことになりましたね。
Eは、ああいう時に手加減とか全くしない高山さんも、いかにもですと言うから大笑いしました。
Eは口が悪いようですが、他の所で僕の悪口出ると必ず否定してたらしいです。
それと、普段はきちんと喋りますよ。
まあ、今思えば皆若かったし、楽しかったですよ。

それに新しくEが来て言うのが、Hさんが四十九才でYさんが四十七才なら、もうロートルのはずなのに、あの二人が元気なのに驚くとの事ですね。
僕は、おじさん達を舐めるなよと笑いながら言うと、確かにそうですねと真顔で返して来ましたね。

おわり

📖「ガーターベルトの女」の映画化のためにエッセイをお読み下さい・・・「ガーターベルトの女 15 完結編」

その日はMとラブホテルに来ていた。

Mは、ジーンズのミニスカートにガーターベルトを付けて、短めのTシャツを着ていた。

月に何日だったか忘れたが、Mがガーターベルトを僕にくれた日をガーターベルト記念日等と言って、その日は必ず着用するようにと言っていた。

Mは店でパンツの時もガーターベルトをしてるのをこっそり見せたりして楽しんでいた。

僕達二人だけの秘密をMは楽しんでいたのだ。

それは、いたずらっ子がやる事と一緒で、Mにとっても僕にとっても楽しい事だった。

ラブホテルに入るとMはかなり積極的で、責めたり責められたりの二人の攻防が続いた。

Mは、時折セックスを野獣のように楽しんだ。

そういう周期が激しく来るようで、そういう時のMと僕は激しく交じりあった。

終わってもしばらくは、僕はMを裸で軽く愛撫しながらあそこに指を入れたりして楽しんだ。

Mも余韻を楽しんでるようだった。

そのラブホテルの一室は、Mの液体と僕の液体と汗と混じり合って、セックスの残り香が強く残っただろうと思う。

珍しく、街で一番老舗で大きなラブホテルに来ていた。

Mが水商売をしてるのと、僕もその頃は建設会社の息子として顔が売れていた為に、大抵田舎の小さいが綺麗なラブホテルを使っていた。

しかしその日は、そこに行く途中でMが僕のジーパンのボタンを外し始めて物を咥えた為に、運転出来なくなりそのホテルに入ったのだった。

Mがシャワーを浴びてる間、煙草に火をつけて自分自身を見るとすっかり縮んでいたが、Mの残り香が指や自分自身に着いていた。

ゴムを着ける事もあったが、Mは安全だと思ったら生でするのを好んだし、僕もそれを好んだ。

中で出すことは無かったが、もしも出来たら二人で考えようと思っていた。

Mも二十四だし僕も二十六だし、結婚してもおかしくは無かったからだ。

煙草を吸っていると、指にMのあそこの匂いが残っていて気分が良かった。

Mは、時に匂いが出やすい時があったがそれは、不快な匂いでは無くてメスの匂いだった。

Mがシャワーから出ると僕も入って、簡単に汗だけ流したが指の匂いは洗い流さないようにした。

僕がシャワーから出ると、Mはパンティにガーターベルトだけでベッドに寝そべっていた。

僕はそれを見るとまた発情しそうになったが、その日はMの口で一回と後二回はセックスでしていた為に、四度目は急には無理だった。

Mの形の良い乳房を揉みながら、何度もキスをした。

Mは、煙草吸ったなと笑ったが積極的だった。

M自身は、草も吸わないし酒も弱かった。

しかし、煙草を吸うなとかはまるで言わなかった。

Mは、面白そうに僕の物を口に含んでまだ立つねと笑ったが、僕は今日はもう無理だよと言った。

何だか悔しいので、Mのパンティの中に手を入れると指で愛撫した。

Mは、昂って身体をのけ反らせていった。

キスを繰り返してると、笑いながら今日は私の負けかもねと言ったが、本気で負けを認めたくないような感じだった。

二人でジュースを飲むと着替えて、車までエレベーターで降りて昼間だったから隠れるように乗った。

僕は車を出すのに、ゆっくり知ってる人間が通ってないか見ながら出した。

狭い街なので噂は直ぐにたつのだ。

既に飲み屋街の一部の女の子達は、Mと僕との関係を知っていた。

大抵の女の子は、Mは辞めておけと言った。

お客を取られるのも嫌なのだろうが、Mが所謂水商売的で無かったから彼女達は嫌っていたのだと思う。

僕はそういう助言は全く無視したし、付き合ってる事も公にしなかった。

車を出すと夏の光と激しいセックスのせいで、目の前がくらくらした。

まだ三時過ぎだったので、ドライブして何処かで夕食にしようと言ったら、Mはその頃には復活してるねと笑った。

Mの声は美しくて、笑うとそれが何とも言えない心地よい気持ちにさせてくれた。

僕は煙草に火をつけながら、こっそり指に付いたMの匂いを嗅いだ。

少し走ると銀色のベンツが前を走っていた。一車線しかない狭い道路で前を大型車が二台ゆっくり走っていた為に、ベンツは仕方なさそうに後ろにつけていた。

Aのベンツだと直ぐに分かったが、どういう状況で乗っているのか分からない為にこっちから合図は辞めた。 

もしもAの仕事関係の連中と乗っていたら、僕が合図にするのは迷惑だろうと思ったからだ。

Aは、前にそういう事を言った時はお前なら合図すれば良いよと答えたが、やくざの仕事仲間と一緒だと面倒だったから後ろに付けながら、Aが気づくかを待った。

Aは直ぐに気付いて、窓を開けると手を振りながら合図して来た。

この先で止めろと言う合図だった。

小さな空き地が確かあるはずだったのを思い出して、ライトを二度点滅させて分かったと合図した。

Aは小さな空き地にベンツを停めると、僕も横に着けた。

      

Mがその時、女の人と一緒みたいねと呟いた。

Aは降りるとサングラスを外しながら大股でこっちに来た。

僕も降りながら、吸ってた煙草をスニーカーで消した。

Mも降りた。

Aは、二人でエッチの後のドライブかと微笑んだ。

僕は、古い自販機があったからMとAに何が良いか聞くと、二人ともコーヒーと答えたので三人分の缶コーヒーを買うと投げて渡した。

僕は仕事かと聞くと、Aは少し困った顔をした。

デートだよと、苦い顔で言った。    

新しく出来た焼肉屋あるだろう、あそこに行くんだよ。

お前達も誘いたいけど今回はお前達も予定があるだろうからなと、何となく歯切れの悪い言い方をした。

⚫⚫とAを呼ぶ女の声がすると、車から白のブラウスに派手な色が混じったミニスカートを履いたヒールの女が現れた。

ヒールでこっちに歩いてくると、何してるの?と少し強めな調子でAに聞いてきた。

Aは、二人とも俺の大事な友達だよと俺達の方を指したが、女は一瞬だけこっちを見ただけで、食べる前にドライブする約束でしょうと言った。

女は素人では無いなと言う雰囲気があった。やくざ関係か水商売関係のように見えた。

綺麗な女だったが、Aや僕より年上に見えた。

僕が名前を言って挨拶すると、Mも同じように挨拶した。

しかし、女は、⚫⚫急ごうよと言ってこっちに顔を向けようともしなかった。

Aはお前な、相手が挨拶してるのに挨拶も出来ないのかと言うと、ごめんなさい急いでるからとちらっとこっちを見ただけだった。

Mが僕に大きな声で、ごめんなさいこっちも急いでるから行こうかと言った。

それを聞いた女がMの方を睨んだ。

美人だけど、まだ子供じゃないとその女は言うと、Mを憎々しげに見た。

Mは、美人だけど化粧濃いねと笑った。

Aが、慌ててお前が悪いぞと言ったが、女は止まらなかった。

女は、こっちの男が彼氏?貴方にお似合いねと笑った。

嘲りが顔に出ていた。

Mは、Aさんにどうせ遊ばれてるだけの女でしょう、その点私達はきちんと付き合ってるし愛し合ってるからと言い返した。

一瞬、暑いのに僕は背筋がすっと寒くなった。

女は、何処の小娘よと言って、私は福岡の⚫⚫組の何々の娘よと脅すようにMに言った。

しかし、Mは笑って、福岡の⚫⚫組とか私に関係ないし三年B組みたいなもんかなあと僕に言ってきた。

金八先生みたいな物かなと笑った。

それにそんなに偉いなら、普通は自分の彼氏が大事にしてる人にその態度はないでしょう、とMは言った。

Mは笑いながらも怒っていた。

あんたねえ何歳よ?と女が言うと、あんたこそ三十才くらいとMが返した。

⚫⚫どういう付き合いしてるのよと言うと、煙草をくれないと僕に言ったから、ジーパンのポケットから紙パックのマルボロを出すと渡した。

それをくわえたら。僕かAに火はと聞いてきた。

その瞬間、Aがその女を蹴っていた。

Aにしては相当手加減して蹴ったが、女はぶっ飛んでスカートの中まで見えた。

Aは、調子こいてんじゃねえぞこのアマ!!と怒鳴った。

女が倒れてる所を踏みつけながら、お前なあ、素人だろうとなんだろうと礼儀が有るだろう。

二十九にもなってそんなの知らねえなら置いてくぞ、と凄んだ。

Mの前で本気で怒ってるのを見せたのは、これが確か一度だけだった。

僕は後ろからAの所に行くと、辞めておけと言って肩を掴んだ。

Aは、友達が辞めておけって言うからとっとと車に乗れよ、送ってやるよ。

友達が居なかったからここでぼこぼこにしてたぞ、有りがたく思えよと言うと髪を掴んで無理矢理起こすと、車まで半分引きずるように連れていくと車に押し込んだ。

車に押し込んでからも何度か蹴っていた。

Aは、戻ると空き地に置いていた缶コーヒーを掴みごくごくと飲んで、その辺りに投げた。

悪いなと、またなと言うと車に戻っていった。

ベンツはクラクションを軽く鳴らすと道路に戻った。

僕は、喉が乾いていたからMにまた何か要らないと言うと、コーラとMは言ったので自販機でコーラを二本買うと車に乗り込んだ。

僕はコーラを飲むと、煙草に火をつけながら怖いもの知らずだなと軽く笑った。

Mはそんな事はないよ、だって途中からあの女に腹が立っただけよ、と言った。

そう言うとコーラを飲むと、僕のジーパンのボタンを無理矢理外すとくわえて来た。

こうすると冷たい?と笑いながら聞いて来た。

確かに冷たかったが、Mの舌使いとさっきの余韻からか僕の物は大きくなった。

僕は車をなるべく空き地の隅に持っていくと後ろに、後部座席にMと移動した。

2ドアなので後部座席も狭かったが、Mのスカートを上げるとパンティを脱がさずずらしてそのままバックから入れた。

Mのあそこが凄く濡れているのに驚いた。

何度か腰を振ると我慢出来なくなって外に出そうとすると、Mが僕の腰を後ろから手で押さえるようにして抜かせなかった。

僕は中に出してしまうぞと言うと、Mはいいからと喘ぎながら言った。

僕は、Mの中にかなりの量出してしまった。

車の中でキスをするとMが笑いながら、性欲魔神になってるね二人とも、と言った。

僕は、さっきの事が有ったからだよと言いながらティッシュを取るとMのあそこを拭いた。

自分自身のもそのまま拭くと、Mは優しいよねと言いながら抱き付いて来た。

Aさん、何だか可哀想だねとも言った。

僕は頷くだけだった。

Mと前に戻って車を発進させると、焼肉屋に私達も行くと言ってきた。

僕は、二人は行ってないぞと言うと、Mは分かってるけど行ってみないと言って来た。

僕はそれも良いかもと思って、行こうかと答えた。 

Mは、腰を少し浮かすとガーターベルトとパンティを脱ぐと、窓を開けて山の方に投げた。

Mは、びちょびちょで気持ち悪いからと言って、あれを見た人どう思うかなと笑った。

ガーターベルトは今のようなので無くて、パンティに留めるようになっていたからパンティを捨てると、ガーターベルトだけ履いてるのは難しかった。

コンビニでパンティ買うと言いながら、ノーパンでも良いけど焼きもち妬くでしょうと笑った。

焼肉屋に行く途中に、まだ当時はそれほど街に多くなかったコンビニがあったのを思い出した。 

コンビニに寄ってパンティを買うと、Mは車の中で腰を振りながら履いたので僕はまたもや興奮してきた。

Mは口でしてあげると言って、適当な場所に停めると口と手を使って僕のを出して飲んだ。   

そして、うえー!不味いと笑いながらも、流石に量が減ったねと言った。

僕は、自分自身の付け根辺りが痛くなっていたし、自分自身の性欲の強さに驚いていた。

焼肉屋に着くと広い駐車場に停めた。

Mが銀色のベンツを見つけて、僕に微笑んできた。

僕達は焼肉屋に入るとAの姿を探した。

Aは奥の席で、一人で焼肉を食べながらビールを飲んでいた。

MがAの席の前に座ると、あら!?彼女は!?と聞いた後に、私は蹴らないでねと笑った。

Mは、少し驚きながらも微笑んだ。

僕はあんな事をして大丈夫かと聞くと、ありゃ問題があったから多分大丈夫だよと言って、それより肉の追加だな一人で焼肉しても楽しくないと微笑んだ。

Mは、Aが一人で来てるのではと考えたのだろう。

僕達は沢山食べた。

当時は飲酒運転にそれほど厳しく無かったが、僕はビールは二杯程で辞めたが、Aは一体何杯の飲むんだと言うくらい飲んだ。

しかし、酔いの気配はほとんど感じられなかった。

Mは肉の良いのを沢山頼むと、一体この身体にどうしてそんなに入るんだと言う位食べた。

三人とも上機嫌だった。

全てAが奢ってくれ、食べ終えて車に行くとMが、色々あったけど楽しかったねとAに言った。

Aは煙草に火をつけながら、Mちゃんには敵わないよと言うと、ありがとうと言って微笑んだ。

気分が晴れたよ、と呟いた。

それぞれの車で別れて出た。

Aの車が先を走っていて、違う道に別れる時に軽くクラクションを鳴らした。

こっちもクラクションで返した。

Mは僕の方を見ると、焼肉屋臭いから何時ものホテルに言ってシャワー浴びないと行ってきた。

僕の股間が反応を示すのが分かった。

Mは僕の頬にキスをして、今日は沢山しようと笑いながら言った。

後書き

これで、ガーターベルトシリーズ終わりに一応します。

MもAも、この時がもしかしたら一番良かったのかもと思います。

特にAはね。Mは、その後僕と別れます。

僕がフラれます。しかし、数年間友達関係続きます。

父の会社の倒産事にはMは僕を助けてくれますが、その後自分自身あちこち行ってる間に、Mと連絡のしようがなくなります。

Mのケータイ番号が分からなくなるんです。

そうしてたら、Mの結婚と出産の話しを聞きます。

Mには一度会って、あの時ありがとうと言いたい。

Mも今では僕の二つ年下ですから四十七です。

あの日、焼肉食べて絞り尽くすようにセックスしたのを思い出すより、Mのイタズラっ子のような笑顔を思い出します。

Aは、僕が苦しい時も常に僕との連絡を絶やさなかったけど、三十代になると多忙を極めます。

田舎のヤクザから違う組に移って、色々あったようです。

その辺りは分かりません。

刑務所に数年入って出てきますが、僕には変わらなかったけど、周りを見る目は変わります。

人を信用しなくなったのと、常にピリピリしてる感じが激しくなります。

数年前に自殺して亡くなりますが、その少し前にどうしても会いたいと言われて何とか会いました。

その時は穏やかでした。

覚悟を決めてたんだと思います。

Aはどうして自殺したのかは書きません。

はっきりしないからです。

しかし、僕達は、夏にMとAと三人で青春をやり直してました。

そのリーダーは、Mでした。

Mの奔放さに、二人が楽しく振り回されました。

あの頃の空気を思い出します。

切ない気持ちが胸に来ますね。

ガーターベルトシリーズは外伝と言う形でもしかしたらまた書くかも知れないけど、とりあえず完結です。

自分自身の懐かしい日々、愛しい日々に付き合ってくれてありがとうございます。

おわり

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「ガーターベルトの女 外伝」(フィクション編)
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